即死の槍

 改めて見ずとも分かる。

 目の前に立つ青年の容姿は、白髪にグレーの瞳。

 足首には火の鳥の紋章まで刻まれている。

 大罪の一員で確定だ。


 標的が見つかって、本来ならば喜ばしい。

 ところが、彼女の中に去来した感情は、失望だった。

 うつむき、心の中でため息をつく。


 そんな人だとは思わなかった。

 この気持ちをどこへ向けたらいい。


 くすぶった重いを胸の底にしまい込む。

 今回は自分だけが重荷を背負えばよい。

 なにもかも全てを呑み込んで。


 娘は顔を上げて、相手を見据える。

 全てを終わらせるつもりだった。


「あたしはエミリー・ロックウェル。あんたは?」


 開口一番、自己紹介。


「クリストファー、だけど」


 青年は名字をぼかして答える。

 知られたくないのだ。


「いいわ、聞かないであげる。代わりにあんたは」


 空いた手のひらを宙にさらす。

 その中に一本の槍が出現。

 突拍子のない光景に、青年は目を白黒させた。


「死になさい」


 言うが早いか、少女は突撃する。

 漆黒の穂先が鋭い輝きを放った。

 彼女が繰り出すは、素早い突き。

 言葉の通り、殺意がみなぎっている。

 当たればまずい。

 本能で感じ、思考するよりも早く、体が動く。

 とっさにかわした。


「ちょっと待てぇ!」


 彼にとってはなにがなにだか、分かっていない。

 頭が混乱している。


「あたしが何者なのか、心当たりはない?」


 怒り顔で、エミリーが問う。

 無論、ない。

 彼が無言でいると、ますます彼女は機嫌を悪くした。


 反応の意味は不明だが、知り合いの可能性もある。

 ヒントは得られないだろうか。

 淡い期待を胸に秘めつつ、青年はエミリーの容姿を、まじまじと見つめる。


 年齢は一八歳ほど。

 凛とした顔立ちの娘だ。


 格好はくり色のエプロンドレス。

 石のような灰色ストーングレーの髪は風になびくと、絹を広げたようになる。

 首にはチョーカー。耳元では小ぶりのサファイアが、暗く輝く。

 特筆すべきはこちらを睨みつけてくる、端正な形をした目。涼やかな青竹色の中に、模様が見える。


「クローバー……?」


 四つの葉が眼球の中でチョコレート色に、輝いている。

 だが、それがなにだというのか。

 クリスはいまだに固まっている。


『汝、知らぬのか? やつは対抗者。大罪を討つべくギフトを授かった者じゃ』

「そうなんだ。やばいじゃん」


 気の抜けた声で、緊張感のある言葉を繰り出す。

 だが内心は、どうにかなるだろうと、高をくくっていた。


『妾としては無駄なことをしておるなと、思うのだがな。なにせ他の悪魔は何度でも復活する。何度倒そうと無限にな』


 なら、安心か。

 緊張を解こうとした矢先、クリスは気づく。

『何度倒そうと』

 すなわちそれは――


『裏を返せば、大罪を殺せはするということじゃ。汝も死ぬぞ』

「え、死ぬの? 僕」


 彼のとぼけた態度に、エミリーもしびれを切らした様子だ。


「そうよ。さっきから言ってるじゃない」


 青鈍色のパンプスが地を蹴る。

 彼女はる気だ。

 相手がその気ならば、こちらも受けて立つまで。

 前に出ようとした矢先、体の内側で火の鳥が叫ぶ。


『槍に気をつけるのじゃ! 当たれば死ぬぞ。再生の壁も貫通して』

「なんかそんな気がしてたよ」


 うんざりとしたリアクションに対して、彼女も肯定で答える。


「当然よ。あんたを狙うためだけに、武器を持たされているんだから」


 槍で突きにくる。

 オーラが禍々しい。

 穂先に死の概念が凝縮してあるかのようだ。


 ひとまず、危険であるのなら、防ぐまで。

 なんとかなるだろう。

 軽い気持ちでバックラーを前に出した。


 ちょうど相手の攻撃が命中する。

 白と黒が激突。


 防ぎ切っただろうか。

 希望が胸に湧いた瞬間、ぽっと手が軽くなる。


 ひびが入る隙もなかった。

 形も残らない。

 小さな盾は塵と化した。


「無機物にも有効なのかよ!」


 困惑の音色を、声が奏でる。


「もったいないな、せっかく買ったのに」


 ふと冷静になって、眉を垂らした。

 残念には思うものの、盾がなければ死んでいた。

 守ってくれたのだと、前向きにとらえる。


 一方で、目の前の娘は止まらない。

 今にも命を盗りにきそうな雰囲気だ。

 実際に穂先は眼前に迫っている。


 刹那、轟音と共に、砂煙が舞った。

 二人の間に割り込む形で、ボロボロの壁が倒れてくる。

 目を細めながら横を見ると、酒場の壁が壊れていた。

 中では人が暴れている。


「テメェ今、なんつったァ!? 誰がボケナス、ゴミクズだァ!? 知り合いだかなんだか知らねェが、勝手に優位に立った気になりやがって! 許さねェ! テメェと俺、どっちが上か! 教えてやらァ!」

「上か下かだと? 寝ぼけたことをぬかすじゃねぇか。端から同じ高さに立ってるつもりはねぇんだよ。自惚れるなよ、操り人形風情が」

「ああ! 潰す! 今から潰してやらァ!」


 周りの騒ぎにエミリーは驚いて、身を固める。

 動きが止まり、隙が生まれた。

 クリスは静かに木の板を拾う。


 こっそりと距離を詰めようとしたとき、エミリーが振り返った。

 思い出したかのように死の槍を構える。

 仕留めるつもりだ。

 突きにかかる。

 青年も冷静だ。

 木の板を前に出す。

 穂が命中。

 一秒ももたない。

 板は砂と化し、空気に溶けた。


「防御は剥がれたが、一撃はいなせた」


 槍はありとあらゆる防具も貫通する。

 裏を返せばそれは、いかに柔らかな物体も盾になるということ。


 対するエミリーは奥歯を噛む。

 相手の作戦を成功に導いてしまった。

 表情に悔しさをにじませながら、彼女は次の一撃へと移る。


 グレーの瞳が漆黒の軌跡をとらえた。

 今はかすり傷すら許されない。

 裏を返せば、当たらなければなんの問題もないということ。


「これで最後よ!」


 エミリーが渾身の力を込めて、挑みかかる。


 クリスは動きを止めた。

 そして深呼吸――する間もなく、彼女のそばまで動く。


「えっ!?」


 ギョッと娘が目を見開く。

 同時に青年が、相手の腕をつかんだ。

 手を払う。

 拳がほどけた。

 手のひらから槍がこぼれ落ちる。


 エミリーは反動で尻もちをつく。

 その姿は丸腰で、隙だらけだった。

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