鉢合わせ

 湖畔に建つ豪邸の角。

 ひっそりとした廊下の隅で、二人の女が向かい合っていた。


「まずは君を逃がそう……」


 老婆が少女に向かって手をかざすと、相手は光に包まれた。

 瞬間、少女は別の場所へ転移を果たす。


 ほんの数十分前のこと。

 ユーロンの使用人が姿を消した。

 それが、彼女だった。



 少女は外に出る。

 町は相変わらずの様相だ。

 買い出しのたびに外に出るが、見える景色は変わらない。


 なにはともあれ、やるべきことはある。

 ちょうど近くを平凡そうな男が通りがかった。

 彼に目をつけるなり、素早く近づく。


「お尋ねしたいことがあります。人体の一部に紋章を刻んだ者です。心当たりはありますか?」


 聞き込みを始める。

 求める情報は怠惰。倒すべき敵だ。



 彼女の脳内に、老婆の説明が蘇る。


「世界で今、なにが起きているか、知っているね?」

「はい。七つの大罪を冠する悪魔が解き放たれ、各々の器を獲得。彼らは組織を結成し、この世に災厄をもたらさんとしています」


 相手の質問に、少女はすらすらと答えをつむいだ。

 老婆は満足げな表情を見せると、次の言葉を繰り出す。


「私たち御使いは、手を出せなくてね。なぜかって、干渉を禁じられているからね……。君たち対抗者がやるしかないんだよ」


 相手はゆっくりと少女に視線を合わせる。


「そう、七つの大罪に対抗すべく、我々は七名の戦士を選んだ。その内の一人が、君だよ……」


 老婆が告げる。


「エミリー・ロックウェル」


 娘の名を呼び。


「君が冠するは勤勉。対するは怠惰」


 瞬間、彼女の瞳にクローバーの紋章が浮かんだ。



 普段、街に出ると、男たちはいやらしい顔でエミリーを見る。

 しかし、彼女の格好――エプロンドレスとチョーカーに気づくと、彼らはすぐに青ざめる。

 男たちはエミリーを避けていた。


 反対に、彼女が情報を求めると、彼らはあっさりと話し始める。

 相手が恐れているのは娘ではなく、バックにいる存在――貴族だ。

 虎の威を借る狐のようで複雑だが、主人の権力を利用しない手はない。



「そういや、大悪党の一家がいったけな?」


 左上へ瞳を向けながら、目の前の男が語る。


「息子なら見たことがあるぞ。白髪にグレーの目をした男だったな」


 白髪にグレーの瞳。

 その情報を耳に入れて、少女の顔に影が差す。

 聞きたくない情報を手に入れたかもしれない。

 まさかね……。

 心の中でつぶやきながらも、彼女の瞳は揺らいでいた。


「どうかしたか?」

「いいえ、なんでもないのよ」


 気を取り直して、次の質問に移る。


「彼はどのような悪事をしたのかしら?」

「さあな。見た感じ、なにもしてなかったぞ。基本は酒場にいるだろうしな」


 なにもしていないのは拍子抜けだが、妙にしっくりとくる。

 アタリだろうか。

 彼女は相手の話に注目する。


「その白髪の男、どこにいるのかご存じですか?」

「まさか、喧嘩を売りにいこうってか? やめときな」


 男は激しく止めにかかる。


「親は魔王を倒したって噂があるんだ。それくらい強いやつらなんだぞ。その遺伝子を受け継いでるのが息子だ。当然、めちゃくちゃ強い。だから一人で旅ができるんだ。それを理解ができないお前じゃ、ねぇだろ」


 彼は必死だった。

 言いたいことは、分かる。

 悪党の息子を相手にするのは、荷が重い。

 だからといって、引き下がるわけにはいかなかった。


「情報の提供、ありがとうございます。私はこれで、失礼します」


 頭を下げ、感謝の言葉を述べる。


「おい!」


 止める男の手をスルーして、背を向ける。

 彼女は歩き出した。


 行き先は酒場。


 怠惰といえば、怠け者だ。引きこもっている印象もある。

 けれども、白髪の男はアクティブだ。一人旅をしているのなら、町にも現れる。

 遊び人でもあるのなら、日がな一日、酒を飲んでいるだろう。


 かくして少女は目的の場所にやってきた。

 荒れ果てた酒場。今にも潰れそうな見た目をしているが、客の出入りは激しい。怠惰もここにいるはずだ。

 さあ、中へ入ろう。


 扉へと近づこうとした矢先、妙な気配を肌で感じた。

 耳を澄ませば、話し声が聞こえる。

 やがてそれは収まった。

 そちらへ視線を向ける。


 目と鼻の先。立っていたのは、同年代と思しき青年だった。

 容姿には特徴がない。気の緩んだ表情をした普通の男だ。

 格好もルーズで、おしゃれとは言い難い。

 その中で、白く染まったボサボサの髪が、異質な雰囲気を醸し出していた。


 ***


 少し前。


「お前、旅人だな!? 金目のもん、持ってんだろ? よこせや! おらぁ!」


 ボロ衣をまとった男がナイフを片手に、襲いかかってくる。


「持ってないよ」


 青年はすれ違いざまに男を切り捨てると、先へと進む。

 すれ違いざま、相手は勢いよく地に沈んだ。


「なんでみんなして、わざわざ死にに飛び出してくるんだよ」


 うんざりと口に出しつつ、斧を背負う。

 先ほどの男は盗賊だが、狙う相手を間違えたとしか、言いようがない。


『時には自殺をしたい者も現れるだろう。汝、不満か?』


 半透明の女が肉体から飛び出し、あたりをふよふよと漂う。


「別にいいよ。楽になればいい。それを止めるほど、外道じゃないよ」

『そうじゃな。楽な道を選びたがるのが、人間じゃ』


 だが――と、彼女は主張をする。


『汝には仕事をしてもらわねば、困る』


 途端にクリスはうげぇと、表情を歪める。


『妾は何度も伝えたぞ。汝、仕事の内容を覚えておるか?』

「全然」


 しれっと、彼は答える。

 悪いとは全く思っていない。

 途端に火の鳥は憤慨する。


『妾はあの男のために尽くそうとしておるのに』

「なんでそんなに気に入ってるんだよ」

『想い人に似ているのじゃ。砂漠の国の王。彼に、瓜二つというレベルでな!』


 さくらんぼ色に染まった頬に両手を当てて、彼女は語る。


「知ってる知ってる。肉体ごと、滅せられたんだろ? そんなやつをまだ好きでいるとか、君、マゾかよ?」

『何度でも言うがよい。妾の恋は何度でも蘇るのじゃ』


 彼女はいまだにあきらめる気はないらしい。

 好感は持てるものの、行き着く先は破滅のみだろう。

 応援してはならないような気がした。


「それよりも酒だ、酒」


 ズカズカと町を歩く。


『汝がそうしたいのであれば、構わぬぞ。妾は待つ。やる気を出す瞬間をなっ!』


 火の鳥は怒りっぽく告げると、青年の肉体へ戻った。


 入れ替わるような形で、前方から強面の男が近づく。


「見ねぇ顔だな?」

「旅の者なんだ」


 クリスは素直に正体を明かす。


「旅だぁ? 出ていけ。ここは観光どころじゃねぇ」

「知ってる。ついさっき、襲われたし」


 男はさらに眉間のシワを深くする。

 しかし、クリスは町を出ていく気は毛頭なかった。


「大丈夫だって。僕は死なないから。ほら、盾だってあるし」


 バックラーを見せびらかす。

 しかし男は苦い顔つきをしていた。


 心配しすぎではないかと、クリスは考える。

 問題はない。自分ならばいかなる危機も、乗り越えられる。

 彼は忠告を無視する形で、相手から離れた。


 次に青年は酒場へ目を向ける。

 さっそく中に入ろうとした。

 まさにそのとき――


「あ」


 目が合う。

 建物のそばに立っていたのは、勤勉の少女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る