第一章 前編 敗因は恋だった

火の鳥

 古い時代の砂漠の国で、女は燃えるような恋をした。

 褐色の肌に派手な衣装をまとった、王。彼をひと目見ただけで、心を奪われた。

 その威厳に、力強さに。


 彼女は町から宮殿を眺めていた。

 決して手を出すことはない。

 自信がなかった。今の人型は控えめな見た目をしている。そしてなにより、自分は人ならざるもの、火の鳥だ。


 女の顔に影が差す。

 伏し目がちに、うつむく。

 その目を艷やかな黒髪が隠していた。


 決して相容れないことは分かっている。

 それでも耐えきれなかった。

 恋に焦がれ、どうしても会いたい気持ちを抑えられない。

 ゆえに彼女は宮殿に近づいた。人間の振りをして。


 なんとか周りを騙すことには成功した。

 女は宮殿に勤める。

 誠心誠意をもって、王に仕えた。

 幸せな日々だった。


 しかし、バラ色の時間は長くは続かない。

 不運なことに、宮殿には優秀な占い師がついていた。

 女は正体を見破られ、その精神を地獄の底へと叩きつけられる。


「貴様、なにを考えている! 我を騙そうとしたのであろう? 正直に申してみよ」


 激しい憎悪を露わにして、王が女を追い詰める。

 彼女は震えた。


「私はただ、あなたのそばにいたいだけ。尽くしていたい。ただ、それだけだったのです」


 剣を突きつけられながら、彼女は必死に訴える。

 されども王は信じようとしない。


「悪魔の言うことに耳を貸す者がいるとでも?」


 言葉は冷たい。

 目には蔑むような暗い影。


 瞬間、彼女は悟る。

 甘かった。

 自身が人ならざる者であるがために、彼には受け入れられない。

 人類の味方をする様を見せつければ、受け入れてくれると思っていた。

 だが、それは甘い期待に過ぎない。

 心を絶望が襲う。


 気がつくと周囲を従者に囲まれていた。

 彼女の味方は誰にもいない。

 ショックを受ける。

 体から力が抜けていくのが分かった。


 ああなんて、不確かな日々。

 本当に夢のような。

 なんと儚き幸福だったのだろう……。

 顔を覆いたくなった。


 つらくてつらくて、たまらない。

 この場にいたくない。

 たまらず彼女は窓から飛び降りた。

 宙に飛び出し、緋色の翼を広げる。

 空の青に火花が散った。


 従者は窓に駆け寄る。

 されども、そのときにはすでに女の姿はなく。

 以降、火の鳥の姿を見た者は誰もいなかった。


 女は一人になる。

 逃げたのは自分だ。

 彼にとっては外敵にすぎないことも分かっている。

 それでも、忘れられない。

 彼に見てほしい。

 本当の自分を受け入れてほしい。


 だけど、それが叶わないことも分かっている。

 現実と理想。

 その狭間でもがき苦しむ。

 心が、体が、燃えるように熱かった。

 焦がれて、仕方がない。

 どうしても彼を、王を、忘れられなかった。


 たとえ肉体が魔を冠するものでも、心は所詮は女。ただそれだけでしかないのに。

 心の中でこぼした独り言。


 それゆえに彼女は自分の炎で身を焦がした。


 ***



「貴族街の事件を知ってるか?」


 顔や体に無数の傷をつけた店主が切り出す。

 そこは寂れた酒場だった。壁や床はつぎはぎだらけ。窓ガラスの一部も割れている。いまにも潰れそうな雰囲気を放っていた。


「貴族どもがバンバン殺されていくんだとよ。結界師を呼んだが、大した効果もない。あれは優秀な術者だったが」


 他人事のように、彼は語る。

 貴族街の悲劇に関して、なんとも思っていないようだ。


「いくら捕まえても、次から次へと暗殺者が出てくる。普通だと思ってたやつらも、貴族を殺しにいってたりな」

「それだけ貴族が恨まれているということじゃないですか?」

「自業自得だって? 俺もそう思う」


 店主は貴族に対して、冷淡だった。


「お前もさっさと出ていきな。どいつもこいつも物見遊山で遊びに来やがって。ここは観光気分で来ていい場所じゃないんだよ」

「ハハ。それは困りますね」


 苦笑いをしながら、酒を飲む。

 カウンターの席に座る青年は、好青年風の男だった。

 整った髪は、ありふれた黒に染まっている。瞳は青とも青紫ともつかぬ、不思議な色。オーバル型の眼鏡の影響か、理知的な印象を受ける。


「俺は仕事で来ているだけです」

「行商人か?」


 訝るような視線を相手に向ける。


「拠点は中央ですが」

「そんなやつがこんな辺鄙な土地に、なんの用だ?」


 商売をするにしても、まともな場所があるだろう。わざわざこの街を選ぶ理由がない。


「とある貴族に興味がありましてね。名はユーロンと言いましたっけ?」

「わざわざ平民街に居を構える、物好きなやつか」


 ユーロン。

 青年がその名を口に出すと、店主は忌々しげに表情を歪めた。


「やめとけ」


 それは冷徹なまでに低い声だった。


「やつは危険だ。成り上がるために貴族の家を乗っ取り、世話になった村すら毒の海に沈めた男だぞ」

「目的のためなら手段を選ばないと?」

「ああ、そうさ。所詮は元平民。プライドもクソもあったもんじゃない。そんなものだから、土民と同じ空気を吸えるんだ。その時点でやつは――」


 話の途中で言葉が切れる。

 がたんと大きな置物が倒れるような音がした。

 行商人はゆっくりと顔を上げて、前を向く。

 カウンターに店主の影はない。彼は汚れた床に転がっていた。


「なるほど。言葉は真実のようだ」


 一見するとなにが起きたのか分からない、謎めいた光景。

 それでも行商人は全てを理解した。


「安心してください。俺はなにもしませんよ。最初からそのつもりでここに来ました」


 ゆっくりと席を立つ。


 店主が倒れたにも関わらず、酒場には普段と同じ時間が流れていた。

 赤髪の男に謎の黒い人物が絡んで、険悪な雰囲気になっている。

 黒い男は妙な気配をまとっていた。

 全身を黒い霧で覆われているかのように、認識に阻害がかかっている。

 周りの者は気づかないのか、口出しする気配はない。


 行商人はそんなことには気にもとめず、静かに酒場を後にした。


 ***


『所詮は元平民』


 地獄耳で聞き取った悪態を、脳内で反芻する。


「平民だと? この俺が? こちとら皇族の一族だぞ。それともなにか? 滅亡した国は数に入れんってか? ふざけんなよ」


 薄暗い室内にコツコツコツと、机を連打する音だけが響く。

 男はたいへんイライラしていた。

 実際に手を下してもなお、例の店主に対する怒りは収まらない。


 ふざけるなと、何度も何度も繰り返す。

 机を叩く回数も比例するように、増えていった。


「貴様もそう思うだろ? なあ!?」


 目から鋭い光を放ちながら、振り返る。

 同意を求めているというよりは、もはや脅しに近い。


 しかし、その先にあったのは空白。

 先ほどまで部屋に構えていたはずの使用人は、そこにはいなかった。

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