48:干渉者


 ムラトの開錠によって物々しい重低音とともに開いた扉の先は、幅十メートル、奥行き十五メートルほどの部屋になっていて、中央には例の機械――〈マッド・ハッター〉――が鎮座していた。


 ヒサトがそれに歩み寄って椅子になっている部分の上部から垂れ下がるヘッドギアをはずし、それを抱えてアリスの前へ立った。そのあいだに、兵士たちが〈マッドハッター〉を部屋の外へと運び出す。


「さあ、これを――」

「ちょっと待って」


 ヒサトを制止するハナコ。


「なにする気?」


 ハナコの警戒に、ヒサトが不気味な笑みを浮かべる。


「これを装着すればアリスの頭痛を和らげることができる」


 その言葉をいぶかってムラトを見やると、ゆっくりと頷かれた。


「博士の言うとおり、〈帽子ハット〉を使用すれば脳にできた〈干渉瘤かんしょうりゅう〉の活動を最低限にまで抑えることができるそうだ」


「ふん、そう簡単には信じられないね」

「あのお、カンショウリュウってのは?」


 トキオが訊く。


「……やれやれ、疑いを晴らすために、すこしだけ説明をしなければならんらしいな。準備にはまだ幾分か時間がかかるから、そのあいだにできるだけ分かりやすく教えてやろう」


 ため息をつくヒサト。


「君たちにも理解できるように言うならば、〈干渉瘤〉はいわゆる脳腫瘍の一種だよ。アリスの場合、それは大脳辺縁系だいのうへんえんけい扁桃体へんとうたいの近くに発生している。それによって扁桃体が圧迫されているらしく、因果関係は定かではないが、恐らくはその影響によってアリスには軽度の情動障害が見られる。そして、力を使うたびにアリスの脳に過度の負担がかかっているのだ」

「情動障害ってのは?」

「喜怒哀楽の感情表現に乏しいということだ。とくにアリスの場合は〈恐怖〉という感情が、だが」


 ゲイとの一悶着があったとき、アリスが自ら「……多分、わたしは〈怖い〉という感情をよく理解していないんだと思います」と告白していたが、〈干渉瘤〉がその原因だということらしい。


「アリスがその〈干渉瘤〉とやらのせいで感情をあまり表に出さないってのは理解した」


 マクブライトが言う。


「だがよ、その〈干渉瘤〉があんたの言う力と関係しているとなぜ言いきれるんだ? それがただの腫瘍だとは考えられないのか?」


「ふむ――」アリスへと視線を移すヒサト。「――きみの世話係の一人にセイ・ダノンがいたな」


「はい……セイさんは、わたしをかばって死んでしまいました」


 なぜ、世話係の名が出たのか分からないといった表情で、アリスが頷く。


「彼女が死んだのは実に悲しいことだよ。もともとはわたしの助手として苦楽を共にしてきた仲間だったからな。それになにより、君とおなじく彼女もまた〈干渉者〉の一人だった」


「〈干渉者〉は一人じゃないの?」


 驚いて訊くハナコ。


「そう、〈干渉者〉は一人ではない。いや、正しくは一人ではなかった」


 言って、ヒサトが笑みを浮かべた。


「〈プロジェクト・アリス〉が発足した当初、全国からあつめられた〈干渉者〉は実に二十八人。かれらの共通点は二つ。すべての〈干渉者〉はそのとき十二歳であり、そしてかれらはその十二年前、まだ帝国支配下当時の首都、現在の〈クニオ九番街〉で産まれたということだ」

「そんなのが〈干渉者〉の条件なわけ?」

「因果関係は定かではないが、かれら〈干渉者〉がまだその母親の胎内にいる頃、戦時下にあった首都に一つの化学兵器が使われたのだよ。その名を〈キンブルガス〉という」

「なんだそれは? 聞いたこともないぞ」


 マクブライトが言う。


「〈キンブルガス〉を使用した事実は闇に葬られたからな。あれは、その当時、帝国側の天才科学者だったドクター・キンブルが発明した科学性の毒ガスだ。あの毒ガスの使用により、数多くの死者が出たが、ほんとうに恐ろしいことが起きたのは戦争の終結後まもなくしてからだった。〈キンブルガス〉にさらされながらも生き延びた人々のなかに、あらゆるかたちで後遺症を発症する人々が出てきたのだよ。そして、そのあと誕生した子どもたちの多くには、さまざまな染色体異常が見られた。〈干渉者〉もまたそのひとつだ。その影響を重く受け止めたクニオ・ヒグチは首都を移転させ、そして首都の四方を壁で囲み、〈クニオ九番街〉という名の隔離区域にしてしまった」

は、そういうことだったのか」

「そうだ。さて、そろそろ本題である〈干渉者〉の説明にうつろう。あつめられた二十八人の〈干渉者〉はそれぞれ〈干渉瘤〉が発生した部位と、それに伴った〈干渉力〉の能力は別物だった。主に〈干渉力〉は七つに分類できた。アリスは〈分類第二型干渉力――ザ・ハンド〉と呼ばれる力の持ち主だ」

「〈手〉……」


 アリスが呟いた。


「そう。君の力はそう呼ばれていた。いわゆる念動力サイコキネシスだ。第一型は〈ザ・イヤー〉、これはいわゆる読心能力サイコメトリー。第三型は〈ジ・アイ〉、これは予知能力プレコグニション。第四型は瞬間移動テレポーテーションのできる〈ザ・フット〉。第五型は〈ザ・ファイアー〉、これは――」


「ちょっと待て――」


 マクブライトが口を挟む。


「――おれが訊いているのは〈干渉瘤〉が〈干渉力〉を発生させているという根拠だ」

「気短な男だな。とにかく、七種に分類された〈干渉者〉は、それぞれ異なった部位に〈干渉瘤〉が発生していた。セイ・ダノンは〈分類第一型干渉力――耳〉の〈干渉者〉だった。そして、集められた〈干渉者〉の中には、彼女のほかに〈耳〉の力を持つ者が十人いた。最も多い能力だったといえるな。彼らはみな一様に側頭葉の横側頭回にある聴覚野に〈干渉瘤〉が発生していた。その当時、わたしもきみと同じく、その腫瘍状のものが〈干渉力〉と関係しているとはとうてい信じられなくてね。それを証明しようにもどうにもしようがなかった。そこで、わたしは考え方を変えることにしてみた。〈、と」


 ヒサトの言葉に、ハナコはセイ・ダノンの側頭部にあった古い手術痕を思い出した。


「つまり、その〈干渉瘤〉を切り取ってみたってこと?」

「そのとおり」


 ヒサトが笑む。


「その結果、わたしはそれを証明した。セイ・ダノンはわたしの予想どおり〈干渉瘤〉の切除後、まったく力を使用できなくなったのだよ。もっともそれを証明するために七名の〈耳〉の犠牲は要したがね」

「人間のすることじゃない」


 トキオが嫌悪感をあらわにして、眉間にシワを寄せる。


「分かっていないな。わたしはセイに恨まれるどころか逆に感謝さえされていたのだぞ。のちの研究過程で、〈干渉力〉を過度に使用した〈干渉者〉のうちのほとんどが〈干渉瘤〉の破裂により、二十回目の誕生日を迎えぬまま死んでしまったのだからな。セイは〈干渉力〉と引き替えに人生を手に入れたのだ」

「でも、あのおばさんも、結局はアリスみたいに鳥かごの中にずっと入れらていたんだろ。そんなのは人生なんかじゃない」

「人生についての見解は人それぞれだよ」


 ふたたび〈帽子〉をアリスの頭上に掲げるヒサト。


「そして、のちにわたしは〈帽子〉を製作したのだが、この装置についてもすこしだけ説明しておいてやろう。セイ・ダノンその他の〈干渉者〉から切除した〈干渉瘤〉を解剖した結果、非常に興味ぶかいことが判明してね。〈干渉瘤〉は米粒大の小さなものだったが、その内部にシナプスによく似た神経組織が確認できた。そして驚くべきことに〈干渉瘤〉内で発生するイオン電流はその他の脳の各器官のシナプス内で発生するそれの実に約九十倍にも達していた。それが〈干渉力〉とのあいだにどういった因果関係があるのかまでは分からなかったが、ともかくわたしは数十パターンのパルス信号を直接脳内に送り込むことで、〈干渉瘤〉内に発生する過大なイオン電流を、強制的に極限にまで抑えこむ装置、〈帽子〉を発明した。といっても、これは〈第二次プロジェクト・ピクシー〉の一翼を担っていた際に兄が製作した〈隔絶二者間脳波部分同期装置かくぜつにしゃかんのうはぶぶんどうきそうち〉の原理を利用した代物なのだがね。〈隔絶二者間脳波部分同期装置〉とは、〈第一次プロジェクト・ピクシー〉において、脳の一部が機能不全に陥り暴走著しかかったピクシーを制御し、そして操作するため〈第二次プロジェクト・ピクシー〉の最重要課題として作られたものだ。仕組みを分かりやすく言うと、ピクシーの脳内に埋め込まれた電極チップに、操作者の意思を疑似脳波として送りこみ意のままに操るための装置だ。とはいっても、完全に同期した際の操作者側への負のフィードバックを防ぐために、部分同期というかたちでの操作だったわけだが。ここでいう部分同期とは意思だけをピクシーと同じくする状態のことを言う。つまり、己の身体のようにピクシーを動かすのではなく、例えば、『目の前の敵を殺す』といったような命令をピクシーにくだすと、ピクシーはその命令を自分の意思として実行する。まあ、結局は〈隔絶二者間脳波部分同期装置〉をもってしても、ピクシーの暴走状態を制御することは叶わなかったわけだが……とにかく、わたしが作り上げたこの〈帽子〉はその原理を利用し、〈干渉者〉の脳に電極チップを埋めこむこともなく、〈干渉瘤〉から出るパルス信号を抑えこむことが可能なように調節した機械だ。故に、〈帽子〉を装着することによる〈干渉者〉の脳への負担はほぼ皆無と言っても過言ではない。〈帽子〉の装着中には〈干渉力〉を使用できなくなるという難点はあるが、しかしアリスの身の安全を考えるのならば、それが最善策だ」


「……とにかく、その〈帽子〉を着ければアリスの脳への負担は減るってわけだな」


 マクブライトが言う。


「ああ、そのとおりだ」


 正直、ヒサトの言っていることは難しすぎてハナコにはよく分からなかった。だがしかし、〈帽子〉がアリスに及ぼす効果が、本当にヒサト・メンゲレの言うとおり物凄く低いということならば、装着させるのがアリスのためにもなるのじゃないか、と思った。


 だが、その前にひとつ確認しておきたいことがある。


「あたしたちが出くわしたピクシーも、そのカクゼツナントカって機械でシロー・メンゲレに操られていたの?」

「〈隔絶二者間脳波部分同期装置〉だ。断定はできんが、恐らくはそうだろうな。むしろ、あの他者を自由に操作できる〈隔絶二者間脳波部分同期装置〉こそがピクシーの本体だと言っても過言ではない。さっきも言ったが、そもそも〈第二次プロジェクト・ピクシー〉の段階においてでさえ、脳波の部分同期に関しては一〇〇パーセントと言えるレベルではなく、人格や意思を消し去ったはずの強化兵の自我が暴走することも稀ではなかった。さらにピクシーとして戦闘に投入されてから三日後には、一つの例外もなくすべての強化兵が、〈第一次プロジェクト・ピクシー〉の時とどうよう、脳の劣化により操作すら困難な状態になってしまったのだよ。それこそが〈プロジェクト・ピクシー〉におけると言われるものだ」

「完全には操りきれないってことか……」


 言われてみると、たしかに心当たりがある。ツラブセでの時も、アンバ山での時も、ともにピクシーは一瞬だけなにかに気を取られ、その隙をついて攻撃することができた。あの時は必死だったから、その不自然さに気がつけなかったが、シロー・メンゲレ自身がピクシーではないということならば、その説明がつく。


「こりゃ、マズイかもしれないですね」


 トキオが言う。


「つまり、ピクシー自体は操られているだけの存在ってことですよね? ってことは、アンバ山でピクシーを倒せたにしても、操っていた本体のシロー・メンゲレはまだどこかで生きているってことになるじゃないっすか」

「奴はまだアリスを狙い続けているってことか」

「まあ、どちらにしろ今すぐに奴が行動を起こすとは到底かんがええられんがな」


 ヒサトがかぶりを振る。


「ピクシーを一体つくるのには莫大な時間と予算がかかる。〈プロジェクト・ピクシー〉凍結の最大の理由はそこにあるのだよ。ピクシーがシロー・メンゲレ本人でなかったとして、二体目のピクシーまで用意しているとは思えん。それに、強化兵の被験者として適合できるほどの者が、そうそういるとも思えんしな。もし仮に奴がつぎの強化兵候補を見つけ出したとして、それを〈ピクシー〉として改造するまでには、少なく見積もっても三年はかかるだろう。それほど〈ピクシー〉とは繊細な代物なのだよ。人間の脳を完全に制御することなど、誰にも不可能なのかもしらんな。あれは完全な失敗作だよ。改善策など存在しないだろう」


 失敗作か。


 確かに三日で使い物にならなくなる強化兵を作り続けることには、なんの意味もないのだろう。


 だが、一抹の不安が胸に渦巻いている……

「あの、わたしはもうすぐ死んでしまうんですか?」


 アリスが唐突に口を開いた。


 それをうけて、ヒサトが不気味な笑みを浮かべる。


「やはり、そこが不安かね?」

「はい……」

「安心しなさい。きみは他の〈干渉者〉とはちがう」

「ちがう?」

「そうだ。幾度も遺伝子操作をくわえた結果、きみは完璧な〈干渉者〉として産まれた十三番目のアリスだ。遺伝子操作によって、〈干渉瘤〉の破裂の可能性を著しく低めることに成功したのが君なのだよ。きみにも分かるように言うならば、〈干渉瘤〉の皮膜の厚みを37パーセント増大させ、さらにはそれを硬膜化することに成功してね。そしてその副産物として、きみはオリジナルの〈干渉者〉の数十倍もの〈干渉力〉までをも手に入れたのだ。いまはまだ〈干渉力〉を使用することによる負担があるが、それもじきに安定してゆくだろう。きみは奇跡の存在だ。科学の中にすら、奇跡は起こりうるものなのだな」


 自分の功績に陶酔しているような表情で語るヒサトの言葉の、ほとんどの意味はよく分からなかったが、それでもアリスが特別な存在で、ヒサトがアリスのことをとても大事にしているのだということは分かった。


 正直、ヒサト・メンゲレに対しての不信感は未だにぬぐい去れないが、アリスに関する事柄だけは信じても良さそうだ。


 そう思い、〈帽子〉を装着する意思をあらためてアリスに確認すると、アリスはゆっくりと頷き、ヒサトはそれがさも当然の選択だと言わんばかりに〈帽子〉を少女の小さな頭に被らせた。すると、〈帽子〉からいくつかの機械音が聞こえ、アリスが一瞬つらそうな顔になる。


「少しきついかもしれないが、それは容易にはずれてしまわぬように内部のエアクッションの空気圧が自動で調節されるようになっているためだ。すぐに慣れるだろうから、しばらく我慢してくれ」


 ヒサトが言い、アリスがしおらしく頷くと、


「準備が整いました」


 と、若い兵士が伝えに来た。


 それをうけて、ムラトが、


「さて、それでは行こうか。すべてを終わらせに」


 部屋の一同を見渡して言った。


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