22:イタズラ好きの妖精

「さすがに、もう退屈されているでしょう?」


 神父が笑う。


 トウモロコシ畑を見下ろせる小さな丘の、淋しそうに一本だけ生えた、名も知らない低木に背をあずけて地べたに座るハナコは、となりに立って遠くの農作業を見つめる神父を見上げ、


「べつに退屈じゃないけど……」


 と言ってから、難儀そうに立ち上がった。


 トキオの療養のため、すでに二日もここで足止めをくっている。


 あれからずっと、トキオは教会近くの療養所のベッドの上で苦しんでいた。原因はゲイから負わされたケガ、それにここへとやって来るまでの、あの大雨だった。


 焦ったところでどうしようもない。


 もちろんそれは分かっているが、九番を出てもう五日が経とうとしている。タイムリミット――マクブライトが九番に帰る日数も含む――が十四日間だということを考えると、少なくともあと三日のうちには、ムラト率いる《赤い鷹》にアリスを届けなければまずい。


「退屈じゃないけど、焦っているのは確かね。でもトキオのケガは、あたしのせいみたいなもんだから」


 と、なかば独りごちるようにつぶやく。


 ゲイと一悶着を起こした無鉄砲なおのれの性分に腹が立ち、トキオに再三いわれていた「もっと慎重になるべきだ」という言葉を思い出す。今までは馬耳東風ばじとうふうとばかりにその忠告を聞き流していたが、これからはもっと慎重にいかないといけないのだろう。


 ふたつのわだちがのこる農道でアリスが村の子どもたちと鬼ごっこをしている光景を眼下に見ながら、ハナコは手持ち無沙汰に額を掻いた。ゲイとの一戦でできた額のたんこぶは、痛みはひいて、軽いかゆみを覚える程度には回復していたが、これこそが戒めの傷なのだと言い聞かせてみる。


「あの娘も、だいぶ打ち解けてきたみたいですね」


 神父が穏やかな笑みを浮かべてハナコに視線を移す。その右手の甲のタトゥーは、神父やあの女だけでなく、村の住民すべての右手の甲に刻まれていた。


 昨日、マクブライトに教えてもらったが、そのタトゥーの下には、小型の発信器が埋め込まれているらしい。そして、それこそが《異分子組》と《帰化組/申請組》との大きな相違点だという。マクブライトが言っていた、《ゆとり特区》が《開かれた監獄》と呼ばれている理由が、その刻印にこそあるのだ。


 発信器が埋め込まれた人間は、あらかじめ決められた範囲内――各コミュニティーを中心にした半径五キロメートル以内――を出ると、その違法行為が発信器によってすぐに政府軍へと通告され、やってきた政府軍に確保された人間は問答無用で、《ゆとり特区》のいずこかにあると言われている《強制収容所ヘブン》へと連行されるという。そこには、帰化することを拒んだ数多の流浪民が収容されているらしい。


《強制収容所》はここよりも遙かに劣悪な環境であり、一年ともたずに死ぬ者がほとんどだという。政府に監視されているコミュニティーの人間にとって、発信器に縛られた見えない檻の中が、世界のすべてなのである。


 だがそれを広げる方法が一つだけ、あることにはある。「流浪民の発見およびその通報」がそれだ。報償としてコミュニティー単位で与えられる拡大範囲――ひとりにつき七〇メートル――を求めて、ほとんど――主に《申請組》――のコミュニティーでは、有志によって捜索隊が組織され、日々、《流浪民》の捜索が行われている。


 そんな《ゆとり特区》の悲惨な現実を、ハナコは知らなかった。いや、九番以外の《番号つきの街》の住民たちでも、この事実を知っている者はごくわずかに限られるだろう。労働生産力および監視役として、この地区の住民には大きな利用価値がある。クニオ様の独裁体制のための人身御供ひとみごくうとして、彼らは生かされているのだ。


「あの娘を見ていると、昔を思い出します」


 神父が静かに笑みを浮かべた。


「昔ってのは、軍人時代の?」

「ええ、その頃の部隊長の一人娘が、あの娘と瓜二つでした。と言っても、いちど会ったきりですが、あの澄んだ青い瞳は忘れられません」

「たしかにね、アリスも人形みたいにキレイすぎる」


 涼やかな夏の風に長い金髪をそよがせて駆け回るアリスは、この牧歌的な風景にはそぐわないほど、異質な可憐かれんさを湛えていた。


「ええ。本当に」


 神父がうなずく。


「ですが、のちに聞いた話では、その娘の消息は不明だそうです。そして部隊長は政府軍を抜けて反乱軍を組織し、未だに政府転覆をはかっていると」


 心が痛むのか、神父は胸の前で十字を切った。


「その娘の名も、アリスでした。そして、元部隊長の名は――」


 神父が含みを持った笑みを作り、


「――ムラト・ヒエダ」


 と、続けた。


 不意に出た依頼主の名に、


「なんだって?」


 と、ハナコはステレオタイプな反応をしてしまう。


 鬼ごっこに飽きた子どもたちは、マクブライトの二の腕にぶら下がり、回転するスキンヘッドオヤジから振り落とされまいと、楽しそうにはしゃいでいる。何回転かするうち、右の二の腕にぶら下がっていた、額の真ん中にホクロのある少女が振り落とされて尻もちをつき、そのまま楽しそうに笑い転げた。


 その光景を少しはなれたところから楽しそうに眺めているアリスは、胸に小さなバスケットを抱え込んでいた。その中には、一昨日アリスが見つけた、負傷して飛べなくなったクニオフィンチが入れられている。


 アリスにどういった感情が芽生えたのかは分からなかったが、熱心に「このコを助けたい」と、無言のまま懇願する姿にほだされて、ハナコは「トキオが回復して村を出るまで」という条件つきで、小鳥を保護することを了承していた――


 ――そのアリスは、ムラトの娘だという。


 ドンにそのことを聞かされたとき、胸のどこかに違和感があった。神父の言葉によって、その正体が、なのだと、今さらながらに気がつく。もしかすると、ムラトの娘のアリスに娘がいて、それがなのかもしれない。


「……あの娘をムラト・ヒエダに届けるのが、あたしの仕事なんだ」


 その言葉に、神父が目顔で「やはり」とうなずいた。


 ハナコは、賭けに出ていた。


 隠したまま村を去るつもりだったが、旅の目的を明かせば、神父がなんらかの情報を提供してくれるかもしれない。もちろん通報されてしまうリスクは百も承知だが、ハナコのよく当たる勘が「この男はナニカを知っている」と囁いている。さっき誓ったばかりの「思慮の無さへの自戒」には、もう一度だけ猶予を与えることにしよう。


「それで、神父さんがいた部隊ってのは、なんだったんだ?」

「……時効ですね。お話ししましょう。恐らくあなた方にも無関係の話でもないでしょうし、なによりこれもきっと、神のお導きなのでしょう――」


 言って、神父は一つ深呼吸をした。


「――わたしが所属していたのは、主に暗殺や斥候せっこうなどの汚れ仕事をになう、《312部隊》という隠密部隊でした。われわれの部隊は、先の独立戦争が勃発してから一年後、圧倒的に不利な戦局に業を煮やしたクニオ・ヒグチの鶴の一声によって、ある計画に組み込まれたのです。それは、わたしたちのような精鋭をより強力な兵士へと改造する、身の毛もよだつ人体実験でした」

「神父さんも、そのってのに、なったの?」

「いえ、わたしは補欠要員として肉体の鍛錬に明け暮れているうちに、戦争は終結を迎えてしまいました。それでも終戦までにへと改造された仲間は、一〇〇人をくだりません。そしてその全員が、例外なく死亡している」

「失敗だったの?」

「失敗か成功かで言えば、だったのだと思います。実際、その超兵士が暗躍したために戦局は一変し、戦争の帰趨きすうを決定づけた、あの奇跡と語られる《テンガン川の大勝利》を手にしたとも言われているくらいですから」

「じゃあ、なんで?」

「兵士としては成功だったのですが、は失敗だったのです。彼らは痛みを感じず、筋力を極限にまで強化され、そして脳から《恐怖》を感じる器官の扁桃体へんとうたいを取り除かれた。故に、改造された者にしか着用を許されないパワードスーツを身に纏う、何者をも恐れぬ超兵士になったのですが、やはりそれは、短期間だけのものだったのです。つまり――」


 神父はハナコから視線をそらし、雲ひとつない青空を仰ぎ見た。


「――彼らは戦場に送り込まれてから、三日も持たずしてみな一様に正気をうしない、廃人同様になってしまったのです。おそらく肉体の変化に脳が追いつくことができなかったのでしょう。そして正気を失った者から、順にされていきました」

「……まるで悪魔ね」

「ええ、まさに悪魔の計画です。その計画を知る者はその当時の上層部だけでしたが、彼らは、その計画に悪趣味きわまりないプロジェクトネームをつけた」


 神父の目に、憎しみの炎が宿る。


「その計画の名は《プロジェクト・ピクシー》、彼らは人間を悪魔に変え、それをあろうことか、《イタズラ好きの妖精ピクシー》と呼んだのです」


 穏やかな口調を忘れ、神父は吐き捨てるように言った。


 《プロジェクト・ピクシー》――


 ――あの夜の、黒ずくめの怪物を思い出す。


「それで、その《プロジェクト・ピクシー》ってのは、今でも続いてるの?」

「いえ、あの計画は終戦後すぐに凍結されました。事実上、すぐ使い物にならなくなる兵士は、平時ではそれこそ無用の長物に過ぎませんからね。半年以上をかけて作り上げた《ピクシー》が、たったの三日で使い物にならなくなるのは、時間や予算の浪費があまりに高くつきすぎたのでしょう」


 ――じゃあ、あの《ピクシー》は別物か……?


 だが惨殺されたかつての英雄、ムゲン・モチダの言動から考えると、やはりまったくの無関係だとも思えない。


「ちょっと訊きたいんだけど、ムゲン・モチダも、その計画に関わってた?」

「……彼は、テンガン川での戦闘における、作戦指揮官でした」

「そう」


 だから、ムゲン・モチダはピクシーを知っていたのか。


「彼と知り合いなのですか?」

「依頼主だったことがあるの。もう死んじゃったけど」

「そうですか……」


 物憂げな顔で神父はふたたび空を仰ぎ見た。


「それで、その計画が今でも続いている可能性は、本当にないの?」

「ええ、恐らく。その計画の総責任者はムラト・ヒエダだったのですが、彼は今や反乱軍ですし、研究チームのリーダーであった科学者兄弟の兄のほうは、計画の中止とともに行方知れずになっているはずです。弟は兄の失踪後、《プロジェクト・ピクシー》にかわるの責任者になったそうですが、終戦から二年後にわたしは部隊から脱走したので、そのプロジェクトのことはよく分かりません」


 ――恐らく、その兄弟が今回の事件に関わっている?


「……その兄弟の名前は分かる?」

「ええ、兄がシロー・メンゲレ、弟がヒサト・メンゲレ」


 言って、神父がもの問いたげな視線を向ける。


「なに?」

「いえ、貴方がなぜか《ピクシー》に、殊更ことさらつよい興味を示しているようですので」


 どうやら、軍人のころに研ぎ澄まされた感覚は健在らしい。


「ぜんぶ話してくれたから、あたしも教えなきゃ、フェアじゃないよね」


 言って、神父を見据えるハナコ。


は、九番のツラブセってビルに長いあいだ匿われていたんだけど、あたしたちが依頼を受けて引き取りに行ったとき、その《ピクシー》って奴が現れて、フロアの人間をあっという間に皆殺しにしたんだよ。どこから来た何者なのかさっぱり分からなかったけど、神父さんのお陰で、ヤツの正体に少しは近づけたみたい」

「まさか、シロー・メンゲレが犯人だとでもおっしゃるのですか?」


 言って、眉根にシワを寄せる神父。


「たぶん……」

「それはありえませんね。メンゲレ兄弟は、ともにわたしよりも十は年上でした。つまり、仮にまだ生きていたとしても、優に七十は超えている老人です。シローに超兵士になれるだけの体力が残っているわけがないですし、そもそも国の後ろ盾もなしにあの大規模な研究を続けるのは、とてもじゃないが無理な話ですよ」

「べつにシロー自身が《ピクシー》だとは思っていないよ。だれかを超兵士にすれば問題ない。それにあたしが気になっているのは、奴の正体じゃなく、奴の目的だ。?」


 ――そう、それこそが突き止めるべき謎だ。


「わたしには皆目見当がつきませんが、いずれにしろ、あなたがたが《ピクシー》と対峙したのは、三日以上まえでしょう?」


 神父が言う。


「それならば、《ピクシー》の耐久日数はとうに過ぎています。恐らく、ソイツはすでに――」


「いずれにしろって言いたいのは、あたしの方さ」


 神父の言葉を遮るハナコ。


「あたしたちが出くわした《ピクシー》が、使い物にならなくなっている可能性があったとしても、アリスを狙った理由が分からないと、どうにも寝覚めが悪いんだ」


 ――あの、に調べてもらうか。


「……お茶でも飲みましょう」


 地べたに黒い一筋をつくるアリの行列を見つめながら考え込むハナコに、神父が穏やかに言った。


 うなずきかけて、そういえば、とハナコは思い出す。


「この村の情報をくれた奴が言っていたんだけど、神父さん、あんた反乱軍とつながっているのか?」


 一瞬、軍人の目になり、すぐ柔和な笑みに戻る神父。


「どうやら、かなり優秀な情報屋とつながっているようですね。たしかにわたしは反乱軍とつながっていました。過去話ですがね。それにつながっていたと言っても、いっとき彼らをこの村で匿っていたというだけの話です」

「それは、ムラトの?」

「いえ、四年ほど前にできた新興の小さな反乱軍で、たしか名前は《晦日つごもりの夜明け》だったかと。ここを去ったあと、大した噂も聞きませんから、恐らくすでに政府軍に潰されているのではないでしょうか? 残念ながら新興の反乱軍で、力を得るまで生き残れるものはまれですからね」


 神父にうなずくハナコ。


 この男は、嘘をつくような人間じゃない。


 ――どうやら、レーダーマッキーも間違えることがあるらしい。


「さ、本当にお茶にでもしましょう」


 神父が微笑む。


 その笑顔はやはり、一欠片ほどの哀しみを湛えていた。

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