10:二時間前
――
チャコとケンジを連れ立って店にやってきたドンは、アリスに前日の事件の詳細を優しく教え、ハナコたちが今回の仕事を請け負うことを了承した。
それを聞いて、トキオがやはりと深いため息をつく。
「仕事がすんだら、あたしはもうここには戻らないつもりだけど」
念を押すように言うと、
「それも了承済みだ。だがいくつか条件をつけさせてもらう」
と、ドンは「何をいまさら」と言いたげに眼を細めた。
ドンに出された条件は、
一、必ずアリスをムラト・ヒエダのもとまで送り届けること
二、期限は用意した特Aビザの切れる十四日以内
三、途中、政府軍に捕まることがあっても決して口を割らない
四、必要経費は今までどおり借金として加算される
五、旅には《護送屋》のディック・マクブライトを同行させる
というものだった。
一はいつものことで、二も当然だ。三には少し納得がいかないが、事なかれ主義のドンの性格上、これも当然だ。四もまた
だが、五番目の条件だけはその理由がよく分からなかった。
「なんでマクブライトを連れてかなきゃいけないんだよ?」
「お前が任務を遂行したのちにそのまま外へとどまるのならば、報酬をここまで運んでくる人間が必要だからな」
「トキオに任せればいいじゃないか」
「お前なしでこの男が戻ってくると思うのか?」
「どういう意味?」
「そのままの意味だ」
トキオに視線を移すと、いつものように直立不動だった。
正直、ドンの言う『そのままの意味』というのがよく理解できない。ドンほどではないにしろ無茶な行動を好まないトキオが、自分とともに外にとどまることがあるだろうか? 一人になれれば、また新しい相手と組んで、今度は自分がリーダーとして思うままの《運び屋》になれるというのに……
「五番目の条件は絶対だぞ。どうせならお前も気の置けない仲の方がいいだろうから、ディック・マクブライトに任せることにしたんだ。奴はおれの知るかぎり九番で最も優秀な《護送屋》でもあるしな。これ以上、文句があるのなら、この仕事は当初の予定どおり双子にやらせることにするが……?」
「……分かったよ。オーケイだ」
「言っておくが、途中で依頼を放棄してどこかへ雲隠れした場合には、おれはためらいなく《
ケンジがドンの言葉にギョッとした顔をつくる。
ドンが言う《追跡者》とは、本来、組織の仕事において報酬を支払わずに雲隠れした依頼主を追う取り立て屋のことである。
地の果てまでも追いつめて、必要とあらば相手を殺すことさえ
「まったく信用されていないみたいね」
「信用はしているが、おれは裏切られるのがスコッチエッグの次に嫌いなんだよ。胸に刻み込んでおけ」
「いま、刻み込んだよ」
うなずき、煙草に火をつけて紫煙を不味そうに吐くドン。
「で、出発はいつ?」
「二時間後だ。諸々の準備はすませておけ。検問を突破する手はずはこちらであらかた整えておく」
「あら、意外と至れり尽くせりざますわね」
おどけて言うと、
「外に出るまではな。そこからはお前の判断で
笑わずにドンが応えた。
「あの、おれたちはなんで呼ばれたんすか?」
ソファに座るケンジが眉間にシワを寄せて訊いた。そのとなりで『ずっとお城でくらしてる』というタイトルの小説を読みふけるチャコは、相変わらず興味がないといった表情。
「お前たちにも突破の作戦に加わってもらう」
「えー、なんでおれたちが? こいつらを助けるなんて――」
「報酬は弾むさ。この仕事はなんとしてもやり遂げねばならん」
遮ったドンの言葉の力強さにケンジは黙り込んだ。
「わたしはなんでもやりますよ。ハナコのことは好きだから」
小説を閉じてチャコが言い、その言葉にケンジが歯がみしてハナコをにらみつけてきた。
ハナコはケンジをにらみ返しながら、チャコの思いがけない言動に少しだけ戸惑っていた。
四つ年上のチャコは、《血の八月》で孤児になり、そのままドンに拾われたという同じ境遇の持ち主だが、チャコの生き方は、気持ちのいいくらいにハナコとは正反対だった。
“女”であることを武器にして、徹底的に男たちを利用しながら生きているチャコと、“女”であることを否定して、徹底的に男たちと戦ってきたハナコとでは、見えている景色も吸っている空気もちがうものなのだと思う。
以前、チャコに「わたしはハナコが羨ましい」と意味深に微笑まれたことがある。こんな不器用きわまりない生き方しかできない女のどこが羨ましいのか、その時はまったく理解できなかったし、むしろその時は、こっちの方がチャコのようになりたいとすら思ったものだ。
今でもチャコは会うたびに優しく微笑みかけてくる。ハナコもそのたびに笑顔で返そうと努めてみるのだが、勝ち気な性格が災いしてか、未だにしかめ面でうなずき返すことしかできない。
「ありがとう」
ハナコは、微笑むチャコにしかめ面でうなずき返した。
「それと、これを持っていろ」
ドンに放り投げられた物を受け取って、見ると、黄色いスライド式の携帯電話だった。
「これは?」
「一応、お前のことを信用して仕事を任せはするが、何かあったときにはそれで連絡をよこせ」
「ガキの使いじゃないんだ、あたしから連絡はしないよ」
「それでもかまわん。くれぐれも言っておくが、ホームシックにかかったところで、おれが電話越しに優しく励ますなどとは思うなよ」
ドンが口の端を緩める。
「さあ、以上で話は終わりだ。作戦決行まで各自、準備を整えておけ」
言って、アリスを見やるドン。
押しつぶされそうな現実を前にした少女は、心ここにあらずと言わんばかりに口を固く引き結び、はかなく濡れる青い目で、窓のそとを虚ろに眺めていた――
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