2021年5月3日(月) 快晴

 昨年に続き緊急事態宣言が発令された状態でのGWを迎えた。天候も不安定な日が数日続き、午前中晴れているかと思いきや午後からは雷を伴う豪雨に見舞われ、夕暮れ時にはまた雲の隙間から陽を覗かせるといった具合いで振り回されるようであったが、漸く今日は晴れそうだ。


 普段であればこの時期の連休は帰省しているところ、県を跨いでの移動も憚られるためドライブがてら行ったことのない海を見に行こうと早朝に目覚め、仕事のメールを返していた。

 休日に会社のPCを起動するのも苦では無くなった今は立派な社畜と言えるのかも知れない。よく弊社は時給換算すると薄給だとネット上で揶揄されている。こうした生活を送りながら実感するのは、弊社に関わらず役職が付いて時給で計算出来るような仕事をしている人がどれほどいるのだろうかというところで、何かしらの意地やプライドや責任感のようなものが四の五の言う前に働くというのは発見だった。不思議とやらされている感は皆無だ。


 このところ下の子が夕食時に細かく切り分けられたプチトマトを分けてくれるので、それを有難く頂くと蘇るように身に染みる。ビタミンが足りていないのかも知れないが、トマトがこんなに美味しかったかと思う。子供の頃は給食で出されても手を付けずに食べなかったはずだ。

 だがトマトジュースは未だに飲めない。


 トマトジュースのくだりで最近あった印象的な出来事を思い出したのだが、上の子が普段は持ち歩かない自分の財布から千円札を抜き出し、それでマンションの共有部分に設置された自動販売機へ妻からのお使いでオロナミンCを買いに行くと出て行った際に、自分用にとトマトジュースを買って帰ってきた。

 しかしながら千円札で購入しておきながらお釣りを取り忘れたと、また家を駆け出して行き、既にお釣りは無かったと落ち込んだ様子で帰宅してきた。自宅から自販機まではエレベータの乗り降りに加え、100m近く離れており小さな体での往来は堪えたようで、おまけにお釣りを取るという本来やらなければならないことが抜け落ちてしまったという徒労感に俯いている。

 千円札で買い物をしてみたかったという体験が少しの間思い出したく無い記憶として定着しそうな感も伺える。


 妻がジュースでも飲んで元気出しなさいと促すと、思い直したようにトマトジュースの缶を開けて一気に喉の奥へ流し込むと、思ったのと違う味だったというダメ押しされたような様子で泣き崩れた。

 トマトの瑞々しい感じのデザインは確かにリンゴジュースのような果実感を彷彿させたのかも知れないが、大人の僕からしてもトマトジュースは薄いケチャップのようなものなのだから無理もないのかも知れない。

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