第60話 絶望に踊れ

「あたし達の復讐の第一歩として──皆さん、死んでください」


 その場にいる全員が、レイナの言葉の意味を理解できなかった。あれだけ盛り上がっていた歓声がピタリと静まったのだ。沈黙から次第にざわざわと戸惑いの声が大きくなっていく。異変を察した枢機卿がレイナの肩を掴んだ。


「せ、聖女様、一体何を言っているのですか! ……なっ!!?」


 強く弾かれた手の痛みを気にしている余裕もないほど、枢機卿は唖然とする。ヘリオスもウィンもスペランサ国王も枢機卿と同じような顔で硬直した。何故なら──白髪の聖女であるレイナの髪がじわじわと黒に染まり始めているから! そしてレイナはざわついている民衆を真っ赤な瞳で冷たく見下ろす。広がっていく彼女の黒に比例するかのように民衆も顔を青ざめた。


「貴方達にもはや希望などありません。さっさと諦めて、地面に額を擦りつけて泣き縋ってみっともなく死んでね?」


 レイナがそう言い放った途端、彼女の両端に長身の男が二人現れる。一人は頭部に丸い獣の耳が生えており、目の下の隈が酷い。もう一人は舌なめずりをしながら恍惚とオッドアイを見開かせていた。そしてそのオッドアイの男の手には──血だらけのサラマンダー。絶望の悲鳴がさらに広がる。


「お、おい! あれって……サラマンダー殿下じゃないか!? な、なんで炎の勇者である殿下があんなお姿になってるんだ!」

「知らねぇよんなこと!! お、俺が聞きてぇくらいだ!! 一体今、何が起こってる!?」


 一方バルコニーにて、ノームはボロボロの弟の姿に目を丸くした。しかしそればかりに気を取られているわけにもいかない。右隣からつんざくような悲鳴が飛んできたのだ。見ると先程現れた獣耳の男がウィンの頭部を鷲掴みしているではないか。ウィンはそのまま持ち上げられ、強く頭部を圧迫されているのか痛々しく叫ぶ。


「ぐ、あああぁぁあ!! き、貴様ぁっ! ──溺れろアクリ!!」


 なんとか水魔法を放つものの、それは標的をきちんと定めていないやけくそなもの故に当たるわけがない。獣耳が案の定軽々とそれを避け、ウィンの体を勢いよく投げる。ウィンは二階のバルコニーから広場の地面に衝突した。そしてそのまま動かない。

 阿鼻叫喚と化している民衆が一斉に広場から逃げようとするが、突然の地響きでそれらは阻止される。


「お、おい、なんだよ、あれ! 何で──魔族がこの国にいるんだ!?」


 逃げる民衆の前に立ちはだかったのはトロールやドワーフ、ゴブリン……主にテネブリスの魔族たちだった。彼らはひたすら「魔王陛下万歳!」と繰り返しながら棍棒や槍を持ち、民衆を威嚇する。民を守ろうと広場にいた兵士が魔族に攻撃すれば、その圧倒的な怪力と魔族特有の力──魔法によって容赦なく叩きつぶされてしまう。魔族達は徐々に広場の人間を宮殿の方へ追い詰めていく。「もうおしまいだ!!」と宮殿を背にした民衆の中から声が上がった。レイナが怯える彼らにさらに追い打ちをかける。


「見なさい人間! 水の勇者、炎の勇者共にこの有様! 大天使の加護ごときではセロ・ディアヴォロス様の血を分け与えられた我々悪魔には敵わないということ! 聖女もいない、勇者も役に立たない──そんな状況でアンタ達は一体他に何を頼るというのかしら!!」


 人間にとって聖女と勇者こそが原初の悪魔セロ・ディアヴォロスへの希望であったはずだ。だというのにその聖女は悪魔と化し、勇者も動けない。あちこちから聞こえる赤ん坊の鳴き声がさらにパニックを誘った。するとそこで──



「──わ、私がいる!!!」



 そう声を上げたのは枢機卿だ。レイナが彼を見て、「はぁ?」と鼻で笑う。枢機卿の体は得体の知れないこの状況に恐怖し、震えていた。しかし彼は真っ直ぐレイナを見据えている。自分が枢機卿である限り、民衆の希望の象徴としてあらねばならないと彼自身が一番理解していたのだ。素人から見ても頼りない拳を握り、彼はレイナに襲いかかる。レイナはため息を吐くと、虫を払うように「──貴方の一番大切に想っている者をあたしに──“再定義リフェクション”」と呟いた。


「──!?」


 その途端、枢機卿の身体が動かなくなる。キョロキョロ首を動かしてはいるものの、下半身が機能しないようだ。するとレイナが「──あたしの事を愛しているのなら、そこから飛び下りなさい」と言葉を続ける。枢機卿はそんなレイナに眉をひそめたが、次の瞬間には彼の体がその言葉に従おうと動き出したのだ。枢機卿の足がバルコニーのフェンスに掛かる。しかし枢機卿は必死に抵抗しているのか、そこで再度硬直した。ぎぎぎ、と歯を食いしばり、目玉をひん剥いて彼はレイナを見る。


「私の、女神様は、お前のようにっ、下品で、卑劣では、ないっ! お前とあの方を同じにするな悪魔め!」

「……あ?」


 レイナは枢機卿にゴミを見るような視線を向けると、踏ん張っている彼の手にナイフを突き立てた。枢機卿はその痛みによりフェンスから手を離す。そしてそのまま──二階から落下してしまった。

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