第47話 兎耳種の襲撃者

 二時間ほど訓練をしてから、俺たちはラグナルの家への帰路についていた。


 日も高くなっているので、念のため『魔力感知』で網を張っているが、幸い廃墟の方面に人の往来はなさそうだった。

 誰も住んでなさそうなボロ家や、建物の名残のような空き地が並ぶ道なので、人が通らないのも当然なのかもしれない。

 とはいえ、万が一ということもあるのでフードは深く下ろしている。


 俺とアトリの足取りは割りとへろへろだったが、先導するミーシャたちはまだ余裕がありそうな感じで、帰り道も楽しそうに雑談していた。


「それにしても、セツナ兄はさすが。クーファ、結構強くなった気がする」

「あたしも。最後のほうはなんとか勝てるようにもなったし、すごく助かったわ」

「ここまで恩を売られたら、もうクーファたちの体で返すしかない」

「バ、バカっ! なに言ってんのよ、クーファ! だ、だいたい、セツナさんにはアトリさんが……」

「正妻はアトリ姉でも、二号以降は狙うチャンスがあるはず。ね? セツナ兄?」

「……………………」


 クーファが振り向いて尋ねてくるが、俺は黙殺する。下手に反応すると、茶番が続くだけだからな……

 横目でアトリを見るが、彼女も疲労のせいで会話に混ざる余裕がないらしく、困ったように苦笑しているだけだった。


「アトリ。つらかったら俺が背負うか?」

「…………お言葉に甘えたいところですが、これも訓練だと思って自分で歩きます。でも……もし足がつったりしたら、お願いするかもしれません」

「無理すんなよ」


 ぎこちない歩調で歩きながら、アトリは小さくうなずいた。

 そのままミーシャたちの雑談をぼんやり聞きながら、帰路を歩き続ける。


「――っ!」


 それから数分ほど歩いた時、強い魔力反応がこちらに向かって接近しているのを感じた。

 ボロ屋の並ぶ方角から『俊敏』の速度で歩いてくる魔力反応に、俺は思わずふところのナイフに手を添えつつ声を上げる。


「おい、誰か来るぞ」


 魔力反応が接近してくる方向を指し示すと、他の三人も空気が張り詰める。

 ミーシャとクーファは模擬戦用の武器を構え、アトリは魔法を撃てるように魔力を練り始める。

 俺たちの警戒を知ってか知らずか、接近してくる『何者か』がボロ家を飛び越えてくる。


 ボロ家を飛び越えて現れたのは、二十歳くらいの若い男だった。

 短く切り揃えた黒髪の頭頂から、同じく黒い毛並みの兎耳が生えている。

 精悍な顔立ちの中でひときわ輝く金色の瞳は、兎というより獰猛どうもうな獣を連想させる。

 ところどころ破れたりほつれた衣服は、精悍な面立ちとあいまって荒々しい魅力を引き立てている用に見える。

 腰にいた二本の剣は、おそらく木剣ではなく本物だろう。


 彼が地面に着地する前に、俺は『鑑定』で相手をる。


     ラゴス

     種族:兎耳種ラビリス

     クラス:戦士

     状態:正常

     レベル:18

     魔力:60/68

     スキル:

      双剣術(レベル:4)

      体術(レベル:4)

      俊敏(レベル:4)

      脚力強化(レベル:4)


 レベルは劣るが、スキルレベルはラグナル並だな。

 誰だかはわからんが、俺たちに用があるのは間違いないらしく、兎耳種の青年――ラゴスは地面に降り立つと、俺たちに向けて鋭い視線を向けてきた。


 いや――正確には俺たちではなく、視線はクーファ一人に向けられていた。

 ミーシャはクーファをかばうように腕を広げるが、クーファは構わず前に出る。


「ラゴス、一体なんの用?」

「なんの用、じゃねえよ。お前、昨日の事件を聞いてないのか?」

「……なんの話?」


 ラゴスは聞こえよがしに舌打ちしてから、クーファの胸ぐらをつかみ上げた。


「ラゴス! クーファに乱暴なことしないでよ!」

「あ? うるせえ、メス猫」


 ラゴスは唾棄するように言ってから、駆け寄りかけたミーシャのほうに剣を向けた。


「昨日、大通りで熊爪種ベアリス角牛種ブルズ相手に面倒を起こしやがったのは、どうせお前らなんだろ? あのクソジジイ、勝手に族長を名乗っておいて、好き勝手しやがって……」

「…………だから、なんの話……?」

「とぼけんじゃねえ!」


 あくまでしらを切るクーファを、ラゴスは叩きつけるように地面に投げつけた。

 とっさに受け身を取ったようだったが、胸ぐらをつかまれて喉を痛めたのか、しきりに咳をしている。

 そんなクーファのもとに、ラゴスはずかずかと歩み寄った。


「熊爪種と角牛種の冒険者を同時に相手して、相手を殺さずに倒して逃げられるようなやつ、この居住区には俺かあのジジイしかいねえだろうが」

「……だったら簡単。犯人はラゴス」


 クーファが咳まじりの声で、挑発するように言う。

 瞬間、ラゴスの顔に怒りが浮かんだ。素早く足を振りかぶり、クーファの腹を蹴り飛ばす。

『脚力強化』で強化されたキックによって、クーファは5メートルほど空中を舞い、その勢いのまま更に地面を転がっていく。


「クーファ!」


 ミーシャは慌ててクーファに駆け寄ると、腹を押さえて激しく咳き込むクーファをかばうように前に出て、近づいてくるラゴスに弓を向ける。

 だが、弓につがえているのは木製の矢だ。当然、ラゴスの脅威にはなりえない。

 大きな雲が陽の光をさえぎり、ラゴスの精悍な顔立ちに陰湿な影を浮かび上がらせる。


「邪魔すんな。殺されてえのか、メス猫」

「……族長の孫娘を殺したら、どうなるかわかってんの?」

「兎耳種と猫目種キャトラスが戦争状態になるだろうな。それがどうした?」

「どうしたって……ほ、本気なの? あんたの勝手で、せっかく平和にやってるこの居住区をめちゃくちゃにする気?」

「平和にやってる? ふざけんな。お前のジジイが兎耳種の族長の娘クーファを抱き込んで、勝手に居住区をまとめて、勝手に兎耳種の族長ヅラをし始めただけだろうが。平和ボケしたおっさんどもは納得してるみたいだが、俺たちはそんなもんに納得してねえんだよ」


 ……事情はなんとなく理解したが、この揉め事に首を突っ込むべきかどうか悩ましいな。

 話を聞いてる限り、兎耳種と猫目種は表面上は平和的な関係を築けているらしい。

 だがそれは薄氷のような危ういもので、もしこの揉め事に俺が首を突っ込んだら、兎耳種と猫目種の関係性を一気に悪くしてしまう可能性がある。

 単純に居候いそうろうがしづらくなるだけならマシだが、もっと直接的に俺やアトリの隠遁いんとん生活に影響を与える可能性が高い。


 それはわかっちゃいるんだが……やはり、子どもに一方的に暴力を振りかざすようなクズを見ていると、黙ってはいられない。


 隣に立っているアトリも限界に来ていたらしく、外套がいとうから腕を出して魔法を放つ準備をしてやがる。


「やめろ、アトリ」

「でも、あんなの黙って見てられませんよっ!」

「それはわかるが、お前が出てったらやばすぎる。この街で魔法使いはどう考えても目立つぞ」

「なら、どうするんですか!」


 アトリに詰め寄られ、俺は胸中で嘆息した。

 …………くそっ。森をさまよってた時からこっち、平穏に過ごせた日は一日もないな。


 俺は『隠密』をフルで発動させると、『俊敏』でラゴスの背中に向かって駆けた。

 気配と足音を消して一気に距離を詰めるが、間合いに入る前にラゴスはこちらに気づいて振り返った。


「なんだ、てめ――」


 相手の誰何すいかを無視して、俺は更に間合いを詰めながらナイフを投げる。

『狙撃』で正確に狙いをつけたナイフはラゴスの胸に吸い込まれるが、刺さる寸前に剣で弾かれる。

 だが、そのせいで奴の胴はがら空きになっていた。

 俺はもう一本のナイフを両手で握り、全力疾走の勢いのままラゴスに直進する。


 瞬間――ラゴスはあざけるように笑った。


「バカが――っ!」


 えると同時に、ラゴスはもう一本の剣を腰から抜き、流れるような動作で横薙ぎに一閃する。

 達人の居合いあいのような鋭い一閃が、俺の腹を深く切り裂く――


 ――と、ラゴスは思っていただろう。


 会心の一撃が空を切り、ラゴスの体が前に泳いだ。

 あるいは、驚きで目を見開いてさえいたのかもしれない。

 いずれにしろ、背後・・んでいた・・・・俺には、確認しようのないことだった。


 雲の影を利用し、闇魔法『シャドウ・パス』でラゴスの背後に回り込んだ俺は、そのまま『毒物生成』で強力な麻酔を塗布したナイフをラゴスの脇腹に突き刺す。


「――ッ! てめえっ!」


 ラゴスは瞬時に混乱から立ち直ると、振り向きざまに回し蹴りをかましてきやがった。

 とっさにナイフを手放して両腕でガードするが、『脚力強化』と確かな『体術』に裏打ちされた一撃は、ガードごと俺の体を吹き飛ばす。

 両腕に痺れるような鈍痛と同時に、一瞬の浮遊感――そのまま地面に叩きつけられ、転がる痛み。

 それらをやり過ごしつつ、俺は転がった勢いを利用して立ち上がった。


 ラゴスは俺に警戒心を抱いたのか、一気に追い打ちをかけようとはせず、両手に剣を構えてこちらの様子をうかがっている。

 一連の攻防の隙をついたのか、ミーシャはクーファを抱えて、ラゴスから距離を取っていた。

 ラゴスの背中側では、アトリが魔力を練って付け入る隙を狙っている。

 その上――俺が刺したナイフよって、ラゴスの体に麻酔が回り始めていく。


 さすがに形勢が不利なことを悟ったのだろう。ラゴスは立ちくらみを起こしたようにふらつきながら、忌々しげにナイフを引き抜いた。


「……クソが。あのジジイ、用心棒を雇ってやがったのか」

「この人はそんなんじゃないわよっ!」

「どうでもいい。なんだろうが、この傷はお前たちがつけたってことに変わりはないんだからな」

「…………どういう意味?」

「この傷は、お前たち穏健派が俺たちとの抗争に同意した証ってことだ。これでようやく、あのクソジジイと本気でやり合う理由ができたぜ」


 獲物を追う獣のような獰猛どうもうな目で吐き捨てると、ラゴスは『俊敏』でボロ家を駆け上がり、屋根を飛び移って逃げていく。

 嵐のように去っていく奴の背中を目で追いながら、ミーシャは顔を青くしていた。


 その顔を見て、俺は冷静に悟った。

 …………あぁ、やっぱり首を突っ込むべきじゃなかったんだろうな、と。

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