第3話 SINGER
曲順が決まっていないため順不同になったが、一度目の通し練習が終わった。明梨と共に野次馬になっていた例の見ものは見事なものだった。結果から言うと眞莉愛の実力は佳奈に匹敵する力があった。「眞莉愛もやるやろ?」と片方の口端を上げた明梨に、みなこははっきりと頷く。
「これはいい意味でやけど。二人とも全然違う。やからこそより凄みのあるパフォーマンスになってたと思う」
「あたしもそう思うで。持ってるものは真逆かもな」
まだ数回合わせただけだから、うまくは言えないけど、明らかにタイプが違う感じがした。佳奈の演奏を初めて聞いた時からか、今日、改めて聴き比べてからかは分からないけど、明梨も同じものを感じていたらしい。N極とS極や月と太陽というべきか。二人の演奏は派手さや印象の違いから、対極にあるイメージで言い表せられる気がした。
「けど、息はピッタリや」と明梨は釣り上げていた唇の隙間から浅い息を吐く。冷房がほど良く効いたステージの上に舞う埃が彼女の前で荒れ狂うのが、激しい照明のおかげでよく分かった。
「何度も合わせたことがあるみたい」
差があることが高じてか、実力のあるもの同士だからか、明梨の言う通り、二人の息はしっかりと合っていた。なんだか少しだけ胸の奥がもやもやするのは嫉妬心だろうか。まるで恋人が別の異性と仲良くしているのを街中で見かけてしまったような、そういうゾワゾワする感覚が、心臓の下の辺りを駆け回り始めて、みなこはギターのボディーを溝落の辺りに添えて腕で力を込める。
「ギターのアドリブさ、もっと逸脱してもええかな?」
明梨の言葉に腕の力を緩めれば、すっかり先程までの違和感はなくなっていた。楽譜に視線を落として、さっきの演奏を思い出す。
「練習やし、試してもええんちゃう?」
「言うね。それじゃ次は容赦なしで行くで」
ニタリと笑みを浮かべて、明梨はチューナーをギターのヘッドに挟み込んだ。弦を張り替えたばかりらしく、少々チューニングが狂いやすくなっているみたいだ。
みなこは足元に置いていたペットボトルを手に取り、一口含んでから「任せといて」と語気を強めて、チューニングする明梨の邪魔にならないように談笑する周りを見渡す。
学年を問わず、セクション同士での交流が盛んになっているようだった。同学年同士も学年が違っていても、先程の演奏の思ったことを言い合うだとか、それぞれが好きな曲の話や楽器は何を、どうのように手入れをしているだとかという音楽の話から、普段は何をしているや好きな漫画は何だとかという、プライベートな話題も雑音の中に混じって聞こえてきた。
特に目に留まったのは、というとすぐ隣にいるから大げさだが、詩音が竜二に話しかけている場面に自然と目がいった。会話もしっかりと聞こえてくる。
「ここは息をはっきりと出した方が音の伸びがええと思う」
竜二は少しうつむき加減で、小さく頷いた。光沢を帯びた綺麗な金色に湾曲した少年のままの顔が浮かんでいる。「井上くんは、昔からジャズしてたん?」と詩音は優しい口調で続けた。
「……いえ、昔はブラスバンドを」
「そうか。それで上手なんや」
「いえ、上手ってほどじゃ」
人見知りの嫌いがある詩音も後輩相手となれば、しっかり先輩として振る舞えるらしい。むしろ後輩に対しても人見知りを発動していたら、大所帯の此花学園ではやっていけないというのもあるのだろうか。
「先輩にはちゃんと返事しなきゃだめっすよ!」
両手を腰に突いて、つぐみがふんと鼻息を荒くした。竜二は反論をする気概など微塵もみせずに小さく頷く。
「井上くんは大人しいんやなぁ」
「他校に来ているんですから、しっかりしてもらわないと困ります!」
「私も井上くんのこと言えんのやけど」
自嘲気味に詩音は鼻筋を掻いた。彼女がつい言ってしまうのだから竜二は相当なのだろう。「すみません」と呟く竜二に、「いいよ、全然。謝らないで」と詩音は慌てた様子で顔の前で両手を振った。
*
「そろそろ練習を再開しようか」
眞莉愛の声が雑談に賑わうステージ上を静めたのは、それからすぐだった。「もう一度、通しをいきたいと思うが、何か気になったところがある人はいるかな?」とサックスセクションのポジションから緩やかな半円になった部員たちを睥睨する。
「『明るい表通りで』は歌なしでいくん?」
訊ねたのは此花学園の二年生のトランペットの部員だった。「そうだね……」と眞莉愛は顎に手を添えて考え込んでから、わずかに胸を膨らませた。
「本当は歌って欲しい人がいるんだ。だけど、めぐくんとパート分けの会議をしている時にやんわりと拒絶されてしまってね」
眞莉愛の視線が向いたのもあるけど、めぐが拒絶した話から、それが奏のことなのだとすぐに気がついた。それは奏も同じだったようで、「聞いてないよ!」とみなこの背後から声を上げる。
「去年の年末に行われたクリスマスライブの歌唱は素晴らしいものだった。陽葵くんが明梨くんに、明梨くんが私に知らせてくれて、You Tubeで見させて貰ったんだ」
その動画を見たのは眞莉愛だけではなかったようで、部員たちからも「あの演奏は良かった」と口々に声が上がった。おそらく、コラボすることになった学校の演奏を見るためにネットで検索を掛けたのだろう。
「できれば、奏くんに歌って欲しいと思っている。それはこの曲を選曲した時からの私の希望だ」
「でも、」
弱々しい奏の声は「だめかな?」という眞莉愛のハキハキとした言葉にかき消された。奏を見つめる部員たちの視線は明確な期待の色をしている。「あなたが歌えば、私達のパフォーマンスはもっと素晴らしいものになるから。どうか、お願い、歌うと言って」と。
押しつぶされそうなプレッシャーに奏が口を開きかけようとした時、「ちょっと待って」とめぐがピアノの天板から顔を覗かせて眞莉愛の方を見やった。
「どうしたんだい?」
「奏が歌うのは私も賛成ではある」
「それなら」
「けど、やっぱり本人が嫌がるのなら無理はさせたくない」
眞莉愛はそっと瞼を閉じて、一つ頷いた。「めぐくんの言う通りだ」と面差しを柔らかくして息を吐く。
「けど、歌というのも大切な楽器の一つだと思うんだ。もちろん奏くんのベースも素晴らしい。捨てがたいくらいにね。けど、それと同じくらい歌にも魅力がある。人前で歌うということのプレッシャーや責任の重さは重々承知しているつもりさ」
彼女の言葉には周りの視線以上に、厳しいプレッシャーが込められている気がした。断れない空気感に押しつぶされてぺっしゃんこになってしまいそうなほど重たい。めぐも反論出来ないようで弱々しい目つきで天板の向こう側にいる奏の方をそっと見つめた。
「絶対に歌った方がいい。それくらい奏には歌の才能があると思う」
そう語気を強めたのは明梨だ。「初めに奏くんの歌唱を提案してきたのは明梨くんなんだ」と眞莉愛が肩をすくめる。
「でも……」
「絶対に歌った方がええ! たくさんのお客さんの前であの歌を届けて欲しいし、私はあの歌の後ろでギターを弾きたい」
まっすぐな思いは通じるもので、奏はふっと短く息を吸い込むと、覚悟を決めたように眉間に力を込めた。
「そこまで言うなら」
「よし、ほんなら決まりやな。本当は『Fly Me To The Moon』も歌って欲しいけど」
「二曲も求めるのは、流石に酷かもしれない。けど、期待してしまっているのは私も同じだ。『明るい表通り』が順調にいけば、二曲目も前向きに考えてくれるかな?」
「う、上手くいけば……?」
「ありがとう。それじゃ早速練習というこうか。歌詞や音程は大丈夫かい?」
心配そうな声を和らげた眞莉愛に、奏は「少しだけ練習してもいい?」とベースをスタンドに立てかける。
「もちろんさ。そのための集まりだからね。生バンドで好きなだけ練習して構わないよ。今日は、『明るい表通りで』をメインに仕上げていこう。マイクのセッティングを頼む」
早くもホール内のどこに何があるかを把握しているらしく、つぐみがマイクとスタンドを用意して上手の袖からステージの中央へと駆けてきた。仕事熱心で素晴らしい。あとで褒めてあげようとみなこは心で呟く。それと同時に奏がベースセクションにいた奏がみなこの隣を抜けていった。
「大丈夫?」
「うーん。不安だけど、クリスマスライブの時もなんとかなったしね。二度目な分、ほんの少しだけ緊張はマシかな」
クリスマスライブの時とはキャパの規模が違うだろうに。奏の言葉は強がりなのか、心配をかけないための嘘なのか。みなこにはどちらとも取れるようで、どちらにも取れないようにも感じた。
ただセッティングされたマイクの前に立った奏の背中はいつもよりも大人っぽく見えた。
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