第11話 レッスン

「清瀬さんは頭で考えるタイプ?」


 首が傾いた拍子に長い髪が横山の目元にかかった。練習用のスタジオで横山と向かい合ったみなこは「うーん」と考え込む。


「そうなんですかね」


 というのも、二、三年生を中心にした曲の練習が始まったところで、みなこは横山に声を掛けられた。昨日と同様、上級生の練習を見学しようと思っていたのだが、そのままスタジオの方まで手を引かれて、有無を言わさず個人レッスンが始まったのだ。彼女のことが怖いというわけではないが、OGとのマンツーマンレッスンは少しだけ緊張する。


「アドリブを弾く時もスケールのこととばかり強く意識してるやろ?」


「そうですね。今年からジャズに触れるようになったので、早く上達しようと思って」


「意外と理論派なんやなぁ」


 横山の目元に柔らかく皺が寄る。先輩のその表情がどういう感情なのか分からず、みなこは少しだけ戸惑った。


「そう言えば、ギターを始めた頃に、『お前は理論派だな』って父にも言われたことがあります」


 それはギターを買ってもらってすぐの頃、コードを教わっていた時のことだった。コードがどういう具合に成り立っているのか、どうしてこの指使いでなくてはいけないのか、といったことに疑問を持った。人よりも早いペースでスケールを覚えていけている自負はある。それはあの時、父が丁寧に教えてくれた基礎知識のおかげのはずだ。


「たくさんスケールを覚えて、理論的なアプローチをしていくのは大切なことやと思うよ。入部して、それだけしっかり勉強してるのは偉い」


「あ、ありがとうございます」


 褒められてみなこは素直に喜ぶ。「でもな、」と横山は言葉を続けた。


「そればっかりやとあかんで?」


 その口調は随分穏やかなものだった。厳しいと大樹が言っていたので、少し構えていたが横山はとても優しい先輩だ。


「どうしてだめなんですか?」


「なんというか、頭でっかちになってしまうというか。もちろん、上手くなっていく過程は人それぞれで、その人のペースっていうのがあると思う。清瀬さんは少なくとも頭で理解していくタイプ。でも、そうじゃないアプローチの仕方があるってことも知っておいて損はないと思うで」


 そう言って、彼女はスタジオの隅に立て掛けられていたギターを手に取った。ギブソンのフルアコは、かなり年季の入った古いモデルだった。


「そうじゃないアプローチですか?」


「そう。世の中にはスケールなんて覚えてなくても、アドリブを弾いてる人もおるから」


「……どうやってですか?」


「多分、感覚なんやろうな。どこを弾けばどんな音が鳴るか、感覚的に分かってるんやと思う。流れて来る音楽を肌で感じ取って、その瞬間にひらめく音をチョイスしていく。本能的に気持ちがいい音の感覚が備わってるんやと思う」


 みなこにはあまり理解出来ない感覚だった。だけど、ギターのプロでもコードをあまり覚えていないという人はたまにいると聞く。きっと、生まれ持った才能が違うんだろう。


「まぁ、そんな私は完全に清瀬さんと同じ理論派なんやけどな」


 そう言って、彼女はギターを弾き始める。それは『Rain Lilly』の一節、みなこがいつもリズムの狂ってしまう箇所だった。かなりの難易度の曲なのに、彼女はいとも簡単にそこを弾いてみせた。それにたったひとフレーズ、それもストロークで弾いただけなのに、曲が持っている秋めいた切なさが伝わってきた。


「でも、今のギターとっても素敵でした。なんというか感情的で、切なくて悲しくて……だけどなんだか暖かくて……」


 横山は、少し照れながらはにかんでみせた。マキシ丈のスカートがふわりと揺れる。


「ちょっと特別な曲だからね」


「そうなんですか?」


「そう。さっき言った本能的なセンスは無理でも、自分の体験と曲を照らし合わせて、感情的に理解しようとすることも大切。メロディから感じる物語を、誰かの気持ちを、自分の中で膨らませる。それが気持ちを込めて演奏するっていうこと。理論も感覚もジャズには……ううん、音楽にはどっちも大切なものやねん」


 横山の伝えたいことはなんとなく分かる気がした。感情に訴えかけてくる音楽。そこには上手いだとか下手だとかを超えた何かがある。


「……普通は感覚ばっかりになって理論が追いつけない人の方が多いと思うんやけどなあ。清瀬さんもちょっと変わってるな」


 ギターを抱えたまま、横山は椅子に腰掛けた。ギターのボディに肘をかけ頬杖を突く。微笑ましくみなこへと向けられた彼女の頬に悪戯な深い皺が寄った。

 

「とはいえ、清瀬さんが理論派なら私が教えれることはたくさんある。次のセッションの時間までみっちり鍛えて上げるから覚悟しいや」


 大樹先輩が厳しいと言っていたのはこれだ! みなこの悪い予感は当たる。そこから優しくも長い個人レッスンが幕を開けた。

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