第9話 僅かな時間

 無事に全員分のオーディションを終えて、部員たちは再び大教室へ戻って来た。川上、知子、みちるは隣の小スタジオで選考をしている真っ最中だ。発表までの間、ギターを触るにも誰かと話をするにも、そわそわして落ち着かない。もう今さら何をしても変わらないのだけど、じっとしていることは出来なかった。


「清瀬どうやった?」


 ペットボトルの水を持った大樹がみなこのそばに腰掛けた。


「どうでしょうか」


「そわそわしてるってことは上手く出来たんかな。失敗したら落ち込むはずやろ?」


 そう言って、大樹は笑みを浮かべる。


「そうですね……! やれることはやれたと思います」


「実力通りを発揮するっていうのが一番難しいんやで。緊張したり、その日ごとに体調があったり、いつも通りをどれだけ意識していても、必ずミスが生まれたりする。やから普段通りよりも少し下手なくらいで構わないって思うと上手く弾けたりするもんやねんなぁ」


「オーディション前に、里帆先輩が同じようなことを言ってくれました」


「まあ、これはあいつの受け売りやから」


 大樹の視線が少し離れた場所にいる里帆の方に向いた。里帆も落ち着かない様子で、他の二年生部員と話をしている。けど、それは自分のことを紛らわせるというよりも他の部員を気遣って話しているように見えた。


「里帆先輩って意外と周りのこと気にかけてますよね」


「意外なんて言ったら怒られるでー」


 大樹が悪戯な表情で囁いた。みなこはとっさに口元を手で覆う。


「あいつは昔から周りのやつに気をかけれるタイプやねん。学年リーダーって役職は、あいつらしいっちゃらしい。選ばれた時も誰も文句なんてなかった」


「大樹先輩は、里帆先輩のことを良く分かってるんですね」


「まあ、中学から同じやからな……。あー見えて委員長とかやっててんで」


 あー見えて、が里帆に聞こえたらきっと怒られるに違いない。それを分かってか、大樹の声は少しだけ小さかった。


 *


「それじゃオーディションの結果を発表するで」


 結果が書かれているだろう紙を持って小スタジオから川上たちが現れたのは、三十分ほどしてからだった。川上の一声で、部室内に緊張が走る。


 前回のように知子が読み上げるのではなく、川上が発表するのはコンボのオーディションも兼ねているからだろう。自分で自分の名前は読み上げづらいのかもしれない。


「まずは今回のコンボから発表する。呼ばれた人はしっかり返事をするように。……ピアノ、織辺知子」


 川上に名前を呼ばれ、その隣に立っていた知子が「はい」と返事をした。めぐはがっかりする様子もなく、ビッグバンドに受かっているかどうかだけを心配している様子だった。


 川上は次々と名前を読み上げていく。


「トランペット、久住祥子。ギター、伊坂大樹。ベース、鈴木杏奈。トロンボーン、笠原桃菜」


 トロンボーンで呼ばれたのは、三年の建太ではなく二年の桃菜だった。このオーディションは、学年順ではなく実力主義で選ばれている。そのことをみなこは再認識する。


「ドラム、大西七海」


「え! ホンマにうちですか……やった!」


 呼ばれたら返事をしろ、そう言った川上も七海の反応に少し表情を緩めた。それからすぐに本分を思い出したのか咳払いをした。


「あ、はい!」


 慌てて七海が返事をし直す。佳奈との一件が解決したあと、七海は今まで以上に練習に取り組んでいた。その練習が実を結んだのだ。


「最後にサックス、井垣佳奈」


「はい」


 佳奈は、短くハッキリと返事をした。その手がぐっと握り込まれる。きっと喜びを握りしめているに違いない。佳奈の名前を読み上げた川上の隣で、みちるは穏やかな表情で拍手をしていた。


「次に、今回からビッグバンドへ参加してもらうメンバーを私の方から発表します」


 そう言って、知子が一歩前に出た。彼女がこちらの方へ視線を向ける。


「ピアノ、伊藤めぐ。トランペット、高橋航平。ギター、清瀬みなこ」


 自分の名前が呼ばれた。喜びやホッとした感情が湧いてくるものだと思っていたが、真っ先に湧いてきた感情はステージに立つプレッシャーだった。選ばれたからには責任を果たさなくてはいけない。そんな思いが牙を剥き襲いかかってきて、みなこの身体を強張らせた。


「それに伴い。伊坂くんはトロンボーンに回ってもらいます。それと、今回からのビッグバンドに参加するメンバーは『Little Brown Jug』のみの参加となりますので、集中的に練習してください。それでは以上が次回のイベントのメンバーとなります。今日から本番に向けて頑張っていきましょう」


 知子の言葉に全員が声を揃えた。コンボに選ばれた選ばれていないは関係なく、全員が一丸となってステージを作り上げる。そういう気概が感じられた。


「おめでとう」


 そう大樹から声をかけられた。


「ありがとうございます」


 みなこは小さく頭を下げる。


「これで一年生は、無事全員合格やな」


「はい。とっても嬉しいです」


 それは、みなこの本音だった。佳奈や七海たちと、共にステージに立とうと約束した。それが実現出来たことが何よりも嬉しい。だけど、それが同時に緊張感へ変わっていく。大樹の眉尻に少し皺が寄った。


「もう緊張してない?」


「ほんの少しだけ……。みんなで合格しようって約束してたんですけど、それが少しプレッシャーに変わってて……それに大樹先輩みたいに演奏出来るかとか不安で」


「清瀬って何も考えてないように見えて、意外と責任感強いんやな」


「何も考えてないは失礼じゃないですか」


「ごめん、ごめん。でも、俺みたいに弾こうなんて思わんでええから。自分らしく、自分に出来る最低限のことをする。上手く弾こうなんて欲張ったらあかんねん。これはさっきの話の続きやけど、責任を感じているなら、それを果たすために気楽になることやな。あべこべやけど、これが真髄」


 責任を感じているからこそ、力を抜く。みちるや里帆はそういうことを考えているのかも知れない。副部長や学年リーダーである二人は、自分の立場をわきまえて、ジャズ研という集団において重要な役割を担っているのだろう。


「ちょっと伊坂、それ私の受け売りやろ」


 話が聞こえていたのか、里帆が横槍を入れてきた。大樹が少し恥ずかしそうに頭を下げる。


「大体、アンタは後輩に対してやなぁ――」


 大樹には申し訳ないと思いつつ、始まった里帆の説教から逃れるため、みなこは七海たちの方へと歩み寄った。


「みなこ、良かったなー」


 近づいてきたみなこに気がついた七海が手を広げた。ハイタッチをしたいのだろう。けれど恥ずかしいのでみなこは見てみないフリをする。


「七海もコンボおめでとう」


「ちょっと、ハイタッチは無視?」


「恥ずかしいやん」


「そうかな?」


 その隣で佳奈が真っ直ぐな目をしてこちらを見つめていた。もぞもぞと手が動いている。もしかして、と思いみなこは両手を自分の胸の辺りに出す。すると、佳奈が表情を少しだけ柔らかくして、そこに手を重ねてきた。やはり、ハイタッチがしたかったらしい。


「佳奈も、コンボおめでとう」


「みなこもおめでとう。一緒に出られて嬉しい」


「うん。私も嬉しいで」


「ちょっと、ちょっと、なんで佳奈とはハイタッチして、ウチとはしてくれんの!」


「だって七海は恥じらいがないんやもん」


 大袈裟に傷ついたフリをして、七海は泣き真似をする。佳奈と奏が心配そうな顔をした。心配しなくても七海のリアクションが大きいのはいつものことだ。とはいえ、本当に少しだけ傷ついていることをみなこは知っている。


「七海ちゃんとは私がしてあげるね」


 にこやかな声を出し、奏がそっと七海の両手を握った。そのまま七海が奏の胸に寄りすがる。


「ウチの味方は奏だけやぁ」


「よしよし、本番が楽しみだね」


「そっか……オーディションが終わったってことは、また本番がやって来るんか……しかも今度はコンボでの参加やん……」


「奏また緊張さすな!」


 めぐに叱られ、奏はしゅんとなった。少し落ち込んだ仕草が可愛らしい。ともあれ、五人とも演奏出来るのだ。それが素直に嬉しかった。


 三人のやり取りを見ていたみなこの制服の裾が引っ張られた。振り返れば、佳奈がこちらをじっと見つめていて、小さくしかしハッキリとした言葉を発した。


「本番楽しもうな」


 佳奈の双眸には確かな意気込みが伺えた。佳奈がプロになる。それが将来の確定事項のように信じられる。そして、これがプロになると決めた彼女の最初のステージになのだ。そこに一緒に立てる。それがなんとも誇らしい。だけど、佳奈が将来プロになるということは、一緒にステージ立てるのは高校生時代の僅かな時間だけなのだ。


「うん。そうやな」


 そう頷きながら、みなこはそんなことを考えていた。

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