第36話 偉い!!!!!!

 鮎菜ねーちゃんのその言葉に、


「……いやあ、それはないでしょ」


 と、俺はとっさに返していた。


「偉いなんてことはないでしょ、こんなの。むしろ情けないとか……みっともないとか、そういう言葉の方が正しいっていうかさ」


 それは掛け値なしに俺の本音であった。少なくとも自分のことを偉いなどと勘違いすることは、到底できることではない。


 テーブルの上に視線を落としながら、俺は思う。偉いというのは、なんというかもっと、ちゃんとやっている・・・・・人のための言葉だと思うのだ。


 例えば、「ちゃんと」努力をしている。例えば、「ちゃんと」考えている。「ちゃんと」「しっかりと」やっている・・・・・


 だから、自分が臆病であるということに、自分にさえ嘘をついている人間だったということに、ただ気づいたというだけではまだ足りない・・・・・・。それだけでは、まだなにもやってはいないし、考えてもいない。


 俺のしてきたことなんて、しょせんはただ、一人で勝手に怖がって、自分勝手に傷ついてきただけのことだ。それにただ耐えてきた・・・・・・・というだけのことで、胸を張ることなんてできるわけもない。


 鮎菜ねーちゃんが、「偉かった」と言ってくれた言葉にこれ幸いと飛びついて、自分の気持ちを慰めるなんてみっともない真似は、なおさら無理だ。


「だからさ、俺は……そんな風に言ってもらえる資格のある人間じゃないんだよ。褒めてくれるのも、慰めてくれるのも嬉しいけどさ、でも――」


 言いながら顔を上げたところで、俺は鮎菜ねーちゃんがふてくされたような顔をしていることに気づいた。


 なぜだか、怒っているようにも見える。彼女がなぜ機嫌を損ねているのかまるで見当のつかない俺は、言いかけた言葉を引っ込めてしまった。


「……もん」


 ポツリと何事かを呟く鮎菜ねーちゃんだが、声が小さくて聞き取れない。


「え……なんて?」


「……ったんだもん」


「……?」


「だぁって、大樹君のこと、褒めたかったんだもんっ」


「いや、もんって……」


 そんな子どもみたいな、と俺は思うも、鮎菜ねーちゃんはどうやら真剣に言っているようである。目がマジマジの大マジだ。こんな真剣な顔つきの彼女を見るのは初めてだったので、思わず面食らってしまう俺である。


 っていうか第一、褒めたかったって……。


「そんな適当な理由で褒められても……」


 呆れを覚えつつそう返すと、鮎菜ねーちゃんが妙にキリッとした顔つきになる。


 それから口を開いてみせれば、


「そいじゃあ、わたし、今から大樹君に嫌がらせするでな」


 などと謎の宣言。


「はあ……?」


 と首を傾げる俺に向かって、鮎菜ねーちゃんは一気呵成とばかりにまくし立てた。


「大樹君は偉い! 偉い偉い偉い! 偉い! えーと、偉い! めちゃくちゃ偉い! とにかく偉い! あと、偉い! すごい偉い! 偉い偉い偉い!」


「……はあ!?」


「偉い! 大樹君は偉い大樹君は偉い大樹君はめちゃくちゃ偉い! ……偉い! ちゃんと偉い! しっかりと偉い! あとは偉くて偉いので偉い!」


「ちょちょちょ、ねーちゃん!?」


 シュプレヒコールのごとく襲いかかってくる「偉い偉い偉い!」コールに、俺の顔が思わず熱くなる。照れくささと恥ずかしさで、首から上はそれこそ火を吹き出しそうなぐらいだ。


 同時に「なるほど」などと思う。彼女の言うところの嫌がらせがこれならば、その目論見は確かに成功と言えるだろう。とりあえず今の俺は、恥ずかしさのあまりそれこそ死んでしまいそうだった。


「ねーちゃん、やめて! ほんともうやめて!? 降参だから! 俺が悪かったから!」


「いや、大樹君は悪くない! 偉い!」


「偉くないですぅー!?」


「偉い偉い偉い偉い偉い偉い偉いえら――」


「――だからそれをやめてくれないかな!?」


「やめてもいいけんど、ひとつ条件があるに?」


「どんな条件!?」


 すかさず飛びつく、情けない俺である。この褒め殺し攻撃で本当に死ぬぐらいなら、どんな条件でも飲む心積もりであった。


 そんな俺に向かって鮎菜ねーちゃんは圧のある笑顔をにっこり浮かべると、


「じゃあ、大樹君は偉い! 分かったけ?」


 なんて言って迫ってくる。


「いや……それは」


 当然、口ごもってしまう俺であるが。


「分かったけ?」


 と、鮎菜ねーちゃんもまた、微塵も引くような様子はない。


「いやでも、俺は偉くは……」


「分・か・っ・た・け・?」


「だけど俺なんて……」


「じゃあ分かるまで繰り返すでな。偉い偉い偉い偉いえら――」


「わ、分かった! 分かりました! 分かったからほんと、もうやめて……」


 これ以上は文字通り、こちらが死ぬまで褒め殺し・・・・てくる気配を感じて、俺は両手を上げながらそう返すしかなかった。


 そんな俺とは裏腹に、鮎菜ねーちゃんはにっこりとご満悦な様子である。心なしか、このたった数分で頬までつやつやとし始めたようですらある。


 とはいえ、だ。


 鮎菜ねーちゃんとのやり取りがなんだかあまりにもバカバカしくて、こちらの気まで抜けてしまった。真剣に悩んだり、落ち込んだりする気分にも今さらなれず、気持ちだって随分と楽になっている。


 もしも鮎菜ねーちゃんがここまで見越して「嫌がらせ」をしてきたとするなら、やっぱりこの人には頭が上がらない。敵わないなあ、とすら思う。そうしてやっぱり、最後には感謝を覚えるのだ。元気づけてくれてありがとう、褒めてくれてありがとう……話を聞いてくれて、ありがとう、だなんて。


「それになあ」


 不意にポツリと、鮎菜ねーちゃんが言葉を漏らす。


「自分のダメでみっともないとこに気づいてもな。器用な人は、上手にそこから目ぇ逸らせちまうでなぁ」


「……」


「ほいだでなぁ、大樹君は目ぇ逸らさんで向き合おうとしてるで、偉いんだに? それは不器用かもしらんけどな、小器用に自分も他人も騙せるんよりよっぽどええずら」


 その言葉は、なんだか俺の胸に妙に刺さった。


 俺は、俺と向き合えているのだろうか?


 ……向き合うって、一体どういうことなのだろうか?


 そう、俺が思考を巡らせかけたところで。


「ん。やっぱちょっとそうめん足りんね。もそっと茹でるで、食えやれ?」


 と言って、鮎菜ねーちゃんが席を立った。

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