終章 薔薇の花束

「母さんは予言します。エルバート君はハゲます。遺伝はなくとも絶対にハゲます。いいのか、お前、ハゲが夫で本当にいいのか!?」


 テールと二人がかりで何とか母を取り押さえ、部屋に押しこみなだめすかし、ようやく落ち着いたと思ったら言った言葉がこれだった。ちなみに、なだめすかす段階で母が「議論に二対一は不公平」とかよく分からない主張をしたので、テールは蕾に戻してある。


 この人の罵倒における語彙の最下級はあくまでハゲなのだろうかと、テーブルの対面で憮然としている母を前に、ノアは深く肩を落とす。それでもとりあえず気を取り直し、ぎらついた瞳をまっすぐに見据えて言った。


「いいんだ。僕はエルを選んだし……エルも僕を選んでくれた。ハゲてもなんでも、後悔はしないよ、絶対に」

「…………」


 言い切ったノアに、母は深く息をついて目を閉じた。


 しばらくそうして黙った後でガタンと席を立ち、ノアの元まで歩む。顔を上げたノアの頬を両手で挟み、ふっと瞳に宿した光を和ませた。


「そこまで言うなら、わかった。お前の意思を信じよう」

「ありがとう、母さん」

「礼を言うのは早いぞ。一族以外の者が長く続いた秘蹟を継ぐことは極めて稀だ。まして白薔薇は守護国すら欺いていた。難癖つけてくる連中も多いだろう。あいつにも、お前にもな。それでも、あいつと生きていくんだな?」

「大丈夫、僕、母さんに似て神経は太いから。エルだって多分……僕が居れば平気だよ」

「ははっ、なるほど。たしかにノアも図太いな。自分で言っちゃうところがさ」


 笑った母は、額と額をコン、と合わせてからノアの顔を離し、くるりと踵を返した。


「じゃあ、母さん帰るわ。白薔薇と顔合わせるとまた喧嘩になりそうだからな。夫によろしく言っといてくれ。――あ、そうそう」


 すたすたと出口に歩んだ母は、赤いドアを閉じる寸前、振り返ってにやりと笑った。


「んじゃ、改めましてがんばれよ、初夜!」

「またそれ!? もういいよ下ネタは!」


 ぐっ、と品のない仕草で親指を立てた母は、顔を赤くして叫んだノアに声を上げて笑いながら、パタンとドアを閉めて帰っていった。


 静かになった部屋で、まったくもう、と肩を落としたノアはまあとりあえず、とすっかりくたびれてしまった衣装を脱いで風呂に入り身繕いをし、迷った末にいつものエプロンドレスを着直して、ベッドにどさりと倒れこんだ。


(あっちの話が終わったら、エルが来るだろ。それまでちょっと休んどこう)


 そうしてしばらくゴロゴロしていたが、三十分経っても一時間経っても二時間経ってもエルは一向に現れない。部屋に行こうかとも考えるが、いやそんな入れ食いなことしてやるものかとぐっと堪えて、またゴロゴロする。そこで一旦意識が途切れ、目覚めた時には外はすっかり暗くなっていた。


「……うー、寝ちゃってた……。ねえ、テール、エルは来た?」

『うえっ!? あ、しまったテールちゃんも寝てたよ! でも多分来てないと思う。来たら起きたはずだから、おもしろそうな気配を察知して』

「お前また覗き見する気で……まあいいや。なんだよ、あいつ。寝てるのかな?」


 ベッドの上にあぐらをかいて、腕を組んだノアはうーん、と唸る。


(エルも疲れてるだろうし、明日だっていいんだけど……でも、せっかくあれだ、その、お互いに色々わかったわけだし……初夜とかはまあ置いといて、落ち着いて話くらいはしとくべきだよな、明日からのこととか……返事とか色々、聞きたいし。うん)


 しばらく悩んだ末、そう結論付けたノアは、よし、とベッドを飛び降りる。

 ちらりと横目で鏡を見て寝乱れた髪を整えてから、いそいそとエルの元へ向かった。




□□□

「――と、まあ、『空の森』ではそういうことがあったわけだ」


 薄暗い食堂で、いたるところにこぶや痣を作った騎士二人にこしらえたスープを振る舞いながら、エルは事の経緯を説明した。


「つまりは一件落着、全部は丸く収まったってことですよね? だったらもっと喜べばいいじゃないですか。それを何であーでもないこーでもないってぶつぶつ言いながら鍋かき回してるんですか? ノア様のところへも行かずに」


 口の中も切れているのか、顔をしかめてスープを飲んだロディがそっけなく言う。


 父とあれこれ話をした後、そういえばクライブとロディはどこだと探したところ、縛られて食堂に転がっている二人を発見した。事の次第を聞くに、どうやら彼らはエルのために(ロディはノアのためと主張していたが)赤薔薇の当主と戦ってくれたらしい。だからだろうか、ロディは妙にむっつりと不機嫌だ。


「……まあ、色々とほっとしてはいるよ。ネスも幸せにやってたし、親父にそれも教えてやれたし、家も潰されずにすんだし。でも、ノアちゃんはよかったのかな、ってさ」


 食卓に移し、もはや火にかかってもいない寸胴鍋をお玉でかき混ぜながらエルは呟く。おかわりくださいと空になった皿を差し出しつつも、ロディは怪訝に眉を寄せた。


「何いってんですか? 良かったに決まってるじゃないですか。追っかけてったあんたがちゃんと戻って来たんですから」

「そりゃ来てくれたのはすごい嬉しいけど、でもさ、あの子は俺のこと、そういう意味ではもう別に……なのに俺、どさくさ紛れに夫とか……」

「は? 危険を冒してあんなとこまで来てもらって、まだ何か不満なんですか?」


 おかわりをついだ皿は礼儀正しく両手で受け取るくせに、ロディの声は剣呑だ。慌ててエルは首を振る。


「いや、不満じゃないよそうじゃない、違うんだよ、ロディには説明してなかったけど色々と落ち込む要素があるんだよ! お前なら分かってくれるよなクライブ!」


 黙々とスプーンを口に運んでいるクライブに助けを求めると、彼は静かに頷き、納得いかない顔をしているロディを諭す。


「そうだぞ、ロディ。エルはつまり、試合に勝って勝負に負けた、いいとこなしの負け犬なんだ。そっとしておいてやれ」

「鞭打ってる! 鞭打ってるぞそれ!」


 味方じゃなかったらしいクライブに思わず声を上げると、彼はスプーンを置いて、にわかに真剣な目でエルを見た。


「それで、お前は諦めるのか? ノア様を。追いかけもしないで?」


 ノアは追いかけて行ったのに、と言外に挑発してくるクライブに、エルは一瞬ぽかんとした後でむっとした。分かってるくせに聞くなよ、と。


「諦める……わけないだろ、ここまで来てさ!」

「なんかよくわかりませんけど、だったらいつまでも鍋かき混ぜてないで早く行っちゃってくださいよ、目障りだから」


 啖呵を切ったエルに、クライブは満足そうに頷いたが、ロディはやはり不機嫌だった。子犬のような丸い目で見下すようにエルを見て冷たく吐き捨てる。


「さっきから何でそんな冷たいんだよロディは! ……諦めないよ、諦めないけどさ、でも、なんだ。ちょっと作戦をね、考えたい。この一ヶ月を振り返って俺も反省した。スキンシップが行き過ぎてセクハラになってた。だから、どういう路線でいけばノアちゃんが振り向いてくれるかをここでもう一度検討した――」

「あああもう、ごちゃごちゃ鬱陶しいな! 言い訳ならノア様にしてくださいよ、何で自分より幸せな人の愚痴をえんえん聞かなきゃいけないんですか!」

「うおいてっ!?」


 ガタンと立ち上がったロディは、もにょもにょと呟くエルからお玉を奪い、出口に向かって背中を蹴り飛ばした。バランスを崩してたたらを踏んだエルはとっさに手近な椅子を掴むが、結局は椅子ごと床に倒れる。


「い、痛いだろ、いきなり何すんだロディ!」

「ていうかお前こそ何してんの、エル」

「ノ、ノアちゃ、ん……」


 食堂の扉の前には、いつの間に来たのか、呆れた顔のノアが立っていた。

 倒れたまま呆然と呼ぶと、はあ、と大きくため息をついた彼女はすたすたとエルに歩み寄り、腕をぐいと引いて立たせる。そして、そのまま外に向かって歩き出した。


「あ、あのノアちゃん、どこへ」

「ロディ、クライブ。お礼は後でするから、ちょっと待っててね」

「は、はい……」


 こくこくと頷いた二人の返事を聞いたノアは、次いで胸に触れながら言った。


「あと、テール。ちょっと出てて。エルと二人で話があるから」

「えー……はぁーい」


 ふっと蕾から抜け出たテールは、しぶしぶといった風情で返事をする。

 それきりノアは何も言わず、ただエルの腕は引いたまま、屋上までを早足で歩いた。




□□□

 屋上へ至ったノアは、そこでやっとエルの腕を離した。どうしようかと考えた末、いつかのように舞台に向かい、上に登った。エルも黙って付いて来る。


 おずおずと隣に並んだエルに、視線を夜空に向けたノアは言った。


「……で、なんかよく分からないことごちゃごちゃ言ってたけどさ。お前、とりあえず僕になにか言う事あるだろ?」

「え? ええと……ごめん」

「違うだろ! 何で今更謝るんだよ!」


 戸惑ったように頭を掻いたエルが言った言葉に、ノアは思わず怒鳴ってしまった。剣幕に、エルはびくっと肩を揺らす。


「え? いや、だって、俺は君をずっと」

「嘘ついてたとか騙してたとかそういうのはもう聞いた! もういいから言うなよ!」

「……えーと、じゃあ……あ、明日の朝飯は何が」

「それも違う!」


 苦し紛れに言ってみせるエルは、どうやら本当に分かっていない。


(あーもう……締まらないなあ、なんか……)


 困り切った顔をするエルに脱力し、ノアはしぶしぶ直接聞いた。


「僕が言ってるのは返事だよ、返事。あの時の、さ」

「あの時……?」

「六年前の、僕の『誓い』を忘れたわけじゃないだろ。だったらちゃんと、お前として――僕の夫として、僕に誓うことがあるんじゃないのか?」


 やけっぱちに、腕を組んで偉そうに聞くと、エルは疑問符をそのまま貼り付けたような表情でぱちぱちと瞬いた。


「六年前の誓いって、ノアちゃん……え? あれ? まさか、思い出してるのか!?」

「出してるよ! とっくに! 何、気付いてなかったの!?」

「ええ、だって、思い出してってどうして……まさか!?」


 予想外すぎるエルの鈍さに声を上げたノアの肩を、エルはがしっと強く掴んだ。必死の形相で言い募る。


「ま、まさか惚れた!? 誰かに惚れた!? だ、誰に!? どこのどいつに!?」

「だ、誰にって、お前それは……その……分かるだろ!?」


 近い距離でわかりきった事を聞かれ、ノアの頬はかっと熱くなった。


 ノアの反応に再びぱちりと瞬いたエルは、何かを悟ったように、青い瞳を更に大きく、丸くする。月に照らされた滑らかな頬が少しずつ赤に染まる。


 思いがけず可愛らしい反応にきょとんとしたノアの体は、唐突に強く抱き寄せられた。追いかけるように、上ずった声が降ってくる。


「図々しいのを承知で聞くけど――俺、ですか?」

「な、なんで敬語なんだよ……」


 言外に肯定したノアに、エルはますますきつく、苦しいほどにノアの体を抱きしめた。ちょうど耳に当たるエルの鼓動は早く、体は熱く、抱きしめる腕の力はまるで縋りつくように強い。それらが何よりも雄弁にエルの心を物語っていた。


「…………」


 おずおずとエルの背中に腕を回して、ぎゅう、と強く抱きしめる。

 それに気付いたエルはふっと息を漏らして笑い、耳元で囁いた。


「ありがとう」


 顔を上げたノアに、エルは笑った。

 青空のような、ノアの好きな色の瞳を細めて、心の底から幸せそうに。


「誓うよ」


 抱きしめる腕を解き、ノアの頬を包むようにして見つめたエルは、そっと息を吸い直して言った。



「俺の童貞を君に捧――」

「そっちじゃねええええええ——————!!!!!!!!」



 思わず叫んで襟首を掴み上げたノアの隙を突くように、唇に暖かい何かが触れた。


「……っ」

「何度だって誓うよ」


 続いた言葉に、ノアはやっと、今しがた唇を掠めた物の意味を知って赤くなる。


 それを見たエルも照れたように、それでも幸福そうに笑って、もう一度ノアの体を抱きしめた。綺麗に弧を描いた唇が、六年越しの言葉を紡ぐ。



「ノアちゃんに、永遠の愛を誓う!」



 エルは少しだけ時間を置いて、「お姫様、お返事は?」と尋ねてきた。


 あまりに嬉しそうな様子に何だか腹立たしくなって、それでも愉快な気持ちにもなって、ノアは結局笑って答えた。両腕に、エルの体を抱きしめながら。



「受けて立つよ、王子様!」




□□□

「受けて立つ! ってさあ……何かちょっとおかしいよね? ロマンチックじゃないよね? あーもう、やっぱおバカさんだなあ、ノア。私が宿ってればちゃんとアドバイスしてあげたのに!」

「ていうかそもそもノア様はなんであんなお調子者の童貞野郎がいいんだろう……それを言ったら俺だって童貞なのに……納得いかないなあ、やっぱり……」

「……発言が段々エルに近付いてるぞ、気をつけろ」


 花壇の影でテールはもどかしげに拳を握り、その後ろではぶつぶつとロディが呟く。


 両者を一歩離れた距離から呆れたように眺めるクライブは、とりあえず手近なロディを諌めた。


「もー、ちょっと静かにしてよ、ノアにバレちゃ……あっ」


 注意を促そうと振り向いたテールが立てた葉擦れの音は、思いの外大きく響いた。


 舞台上のノアがぴくりと肩を揺らしてから、ゆっくり振り向く。


 見物人を認めたノアは見る間に顔を赤くして、細い肩は遠目にも分かるほどにぶるぶると震え出す。後ろでは、エルがあーあ、とでも言うように眉尻を下げて笑いながら、おもむろに耳を抑えた。



 それから、すぐ。

 遥か雲の上に浮かぶ森にも届くほどに大きな怒号が、星空に響き渡った。

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両手にバラの花束を! 三桁 @mikudari_han

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