かつて<弱者>だった人間が<同情>とか<大きな声>を集めることで<強者の立場>を得て強者として振る舞い他人を虐げようとするのって、結局、『強者は弱者を虐げていい』って考えに従ってるだけだよね

かつて<弱者>だった人間が<同情>とか<大きな声>を集めることで<強者の立場>を得て強者として振る舞い他人を虐げようとするのって、結局、『強者は弱者を虐げていい』って考えに従ってるだけだよね。


とは、つい最近も触れたことだけど、再度触れておきたいと思う。


これで厄介なのが、同情とか大きな声を集めてる側が、それでも自分を<弱者>だと思ってることなんだろうね。自分は弱者で、自分を虐げようとしてる強者を相手に<正義の戦い>をしてるつもりだから、自らを省みようともしないんだよね。


人間の<悪い癖>だよ。自分を省みようとしないのはさ。


だけどね、たくさんの同情や大きな声は、それ自体が強大な力なんだ。そしてそういうのを味方につければそれはもう<強者>なんだよ。<大きな声>で自分に歯向かおうとする相手を社会的に叩き潰すことだってできてしまう、ね。


実際、それまで<虐げられてきた弱者>だったはずの存在が、<大きな声>で誰かを叩き潰してる事例が生じてるじゃん。


『気に入らない相手や歯向かってきた相手を叩き潰せる』


なんて、完全に<強者>だよね? 


<弱者を虐げていいと考える強者の振る舞い>


だよね? 


弱者だった時に虐げられてきたから、<大きな声>をいう力を得て、それで、


『やられたことをやり返してる』


だけだって?


いや、それがおかしいじゃん。


『弱者を虐げるな!』


って言いたいんでしょ? なのに、自分が力を得たら、途端に強者として、自分より弱い相手を虐げるの?


『相手に勝てる』ってのはもう、<弱者>じゃないよ? 勝てなかったから弱者だったんでしょ? 勝てるならそれはもう弱者じゃないって。


ましてや、


<他人を社会的に潰したりできる弱者>


って、いやいや、おかしいでしょ? それができる時点でもう<強者>だってばさ。


少なくとも<弱者>ではない。


学校でも、マスコミに情報を流したり教育委員会に訴えたりして『教師を潰せる』のなら、ぜんぜん、弱者じゃないよね。生徒は。


まあ、今でも、内申とかを盾に生徒を脅す教師もいるのかもだけど、生徒や保護者に潰される教師がいるんだったら、もう、互いに相手を潰せる手段を持ってるってことで、ある意味、<互角>じゃん。


だからこそ私は、『強者は弱者を虐げていい』って考え方を肯定しないんだよ。その考え方をしないからこそ、子供達を虐げようとは思わなかった。虐げてこなかった。


私もダンナもそれをしなかったから、子供達も、自分より弱い相手を虐げようっていう発想がないんだよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る