私が異世界物を書く理由
自分のすぐ身近な人間が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめさせられないのなら、それこそ、赤の他人が誰かを傷付けたり苦しめようとしてるのをやめさせるなんて、できるわけないじゃん
自分のすぐ身近な人間が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめさせられないのなら、それこそ、赤の他人が誰かを傷付けたり苦しめようとしてるのをやめさせるなんて、できるわけないじゃん
『金を払ってやってるんだから言うことを聞け!』
その考え方こそがブラックな環境を作り出してるんじゃないの?
と、私がそう言ったところで、それを自分の行為に結びつけて考えることなく、自分だけは『金を払ってやってるんだから言うことを聞け!』って考えることが許されると思い込むのがいなくならないだろうなというのは、私も分かるよ。
だけどさ、少なくとも自分の子供がそんな理屈で他人を傷付けたり苦しめたりしようとしてるのを見過ごすことはできないんだよね。
それすら、『面倒くさいから』って見て見ぬふりを決め込もうとしてるのも多いんだろうけどさ。
だけどそんな親や大人なんて、尊敬する価値ある?
自分でもしつこいの分かってて言うけど、子供をこの世に送り出したの親の勝手なんだからね? 子供が親に『生んでくれ』と頼んだんじゃないんだからね?
それなのに自分の子供がやらかしてること見て見ぬふりして、
『子供が成人したんだから私には責任ありません関係ありません』
どころか、
『私も被害者なんです』
みたいな態度を取ってるのとか、私には同情する価値すら見出せないよ。
ああでも、勘違いしてもらっちゃ困るんだけど、だからって他人がそれを面と向かって責めるというのも、違うと思うんだけどね。
自分が直接被害に遭ったわけでもないのに<正義>を振りかざして責めるなんてのも、ただの<憂さ晴らし><ストレスの転嫁>にしか見えないし。
そうやって他人を責めてる暇があるなら、自分自身を省みるべきだと私は思ってる。その方が間違いなく<効果>がある。だって、自分が誰かを傷付けてないか苦しめてないかってのを検証できるし、もしそれで誰かを傷付けたり苦しめたりしてたってのが分かったらやめればいいし、やめればそれだけ傷付いたり苦しんだりする人が減るわけで。
自分はしてなくても、自分の身近な人間が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめるように働きかけることもできるんじゃないの?
特に、自分が親だった場合は、自分の子供が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめさせないとね。
で、もし、自分のすぐ身近な人間が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめさせられないのなら、それこそ、赤の他人が誰かを傷付けたり苦しめようとしてるのをやめさせるなんて、できるわけないじゃん。身近な人間でさえ止められないのなら。
私だって赤の他人を止めることなんてできるとは思ってないし、だからこそ、自分の子供が誰かを傷付けたり苦しめたりしないようにって思ってるだけなんだよ。
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