世の中には、息をするように他人を嘲る人がいるよね。それってなんでなんだろう? 『嘲る』って行為は、そんなに自然に出てくるものなのか
世の中には、息をするように他人を嘲る人がいるよね。
それってなんでなんだろう?
『嘲る』って行為は、そんなに自然に出てくるものなのかな。すごく疑問だよ。
私は抑えようと思えば抑えられるよ? だとすれば、それは、
<絶対に我慢できないもの>
<我慢すると命にかかわるもの>
ってわけじゃないってことだよね? じゃあ結局、
<他人を嘲るのは、自分の感情を制御できない者の甘え>
ってことじゃないの?
とまあ、それはもう結論が出たとして、そもそもの問題として、
『<他人を嘲るという発想>がなぜ身についてしまったのか?』
ってのがまた疑問として出てくるわけだ。
それはなぜ?
生まれたばかりの赤ん坊は、他人を嘲ったりしないよね? 第一、しゃべれないし。
じゃあどの時点で、<他人を嘲るという概念>を身に付けるの?
ちなみに、私の子供達は、三人とも、自ら進んで他人を嘲ったりしないよ?
私もダンナも、子供達を嘲ったりしなかったからさ。
子供達が赤ん坊から幼児に至るまでの頃に何か失敗しても、『可愛い♡』と思うだけだった。
となると、やっぱあれだよね? 言葉と同じで、周囲の人間から学び取るんだよね? 親をはじめとした身近な人間が誰かを嘲ったり、子供自身を嘲ったりして、それで学び取るんじゃないの?
『他人がやってるのを見たからかもしれないだろ!?』
って言うかもだけど、自分の親をはじめとした家族やそれに準じた人間がやってることと、赤の他人がやってることが、同じだけの影響力を持つと本気で思うわけ?
私の子供達はテレビとかでそういうシーンを見たり保育園とかで誰かに嘲られたりしても、『嫌だな』って思うだけで真似まではしなかったみたいだけど?
だって<赤の他人>だもんね。よくないことをしてたって『それはよくないことだ』って客観的に見られるんじゃないの? 子供でもさ。
だけど、親をはじめとした家族やそれに準じた身近な人間が日常的にそういうことをしていたら、『そういうもの』って思っちゃうんじゃないの? ましてやそれをやってるのが親だったりしたら、
『親がそうしてるんだから』
って思っちゃったりしない?
だからね。私は思うんだよ。息をするように他人を嘲る人は、親がそうだったんだろうな。ってさ。
自分の親をそんな風に思われたくないなら、自重した方がいいと思うけど?
で、自分の親をそんな風に思われても構わないって場合は、自分の子供にそんな風に思わるような親だったってことだよね?
ちなみに私は、自分の親が他人からどう思われようと平気だよ。あの人達のことは心底見限ってるから。
ただ、自分の子供達が他人を嘲ったりするのが嫌なんだ。
他人を嘲るような人間がどう思われるかくらい、私だって分かるからさ。自分の両親や兄を傍で見てきたからね。
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