<批判>はあって当然だとしても、罵詈雑言や誹謗中傷は違う。何度も言うように、そんな文言並べなくたって批判はできるんだからさ。罵詈雑言や誹謗中傷は<批判>でもなければ<正義>でもないよ

『死んだって負けを認めずに、<勝ち逃げ>するタイプだよ』


私の両親は。そんな相手にあれこれ言ったところで『暖簾に腕押し糠に釘』ってやつだと思う。だから言わないっていうのもある。


実際、パワハラで訴えられてて、それが理由でネット上でめちゃくちゃ叩かれてるのに懲りてないからね。


その一方で、ネットで死ぬまで相手を追い詰めたのが書類送検されたってことがあったじゃん?


なのにどうして『死ねばいいのに』みたいなことを言うのがいなくならないんだろうね。


それって結局、『自分は大丈夫』『自分には当てはまらない』『自分は捕まらない』『自分は赦される』って思ってるからじゃないの? 


私の両親は自殺したりしないとは思うけど、相手が死ななければ大丈夫ってわけじゃないんだよ。


たとえ自殺とかしなくたってダメなものはダメ。


だいたいさ、直接の被害者や遺族なら『死ね!』って言いたくなるのも分かるし当然だと思う。でも、直接被害を受けたわけでもないのが罵詈雑言ぶつけるのは、やっぱおかしいでしょ。


<批判>はあって当然だとしても、罵詈雑言や誹謗中傷は違う。何度も言うように、そんな文言並べなくたって批判はできるんだからさ。罵詈雑言や誹謗中傷は<批判>でもなければ<正義>でもないよ。


ただの<暴力>であり<加害行為>だって。


自分が被害を受けてるんじゃなければ<正当防衛>も成立しないし、そもそも正当防衛は『咄嗟の時に身を守るためについ』ってのが条件のはずだしね。ネット上にコメントするのは、<咄嗟>なんかじゃないよ。


『コメントを書いて』


『送信する』


なんて手順を踏めるんだから、正当防衛も成立しない。


間違えちゃダメなのが、


『法律は正義を守るためにある』


んじゃないからね? 法律はあくまで<秩序>を守るためにあるんだから。秩序を維持するためには、一般的に<正義>と称されるものを基準におくことで最大公約数的に<多くの人が従い守れる秩序>を作れるとしても、その<多くの人>が思ってる<正義>と完全に合致することはない。


そして、秩序を乱そうとする者を、法律は、基本的には守ってくれない。


それを忘れちゃダメでしょ。


法律が守ってるのが、フィクションで描かれるような<正義>なら、


<ネットで他人を追い詰めて自殺に追い込む輩>


なんてのが守られてちゃおかしいじゃん。


そしてそれは、


『相手が自殺しなきゃセーフ』


じゃないんだよ。


『追い詰めようとした時点でアウト』


なんだ。


ただの<暴力>だからね。


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