『子供に<ストレス耐性>を付けるために敢えてストレスを掛けるんだ』なんてことを言ってる人が、実は<ストレス耐性>なんて持ってないんだよね

『子供に<ストレス耐性>を付けるために敢えてストレスを掛けるんだ』


なんてことを言ってる人が、実は<ストレス耐性>なんて持ってないんだよね。


だってさ、その考えを否定された途端にブチ切れたりするんだよ? それのどこが、


<ストレス耐性の高い人>


なの?


ただ単に、


<自分の都合を相手に一方的に押し付けるための詭弁>


じゃん。『ストレス耐性を付けるため』なんてのは。


もう一度言うよ。本当に『ストレス耐性が高い』なら、どうして自分の意見が否定された程度のストレスでキレんの?


おかしいじゃん。


ストレスに適切に対処できてないじゃん。


この世はさ、どうあってもすべてが自分の思い通りになるわけじゃないんだよ。


『ストレス耐性が高い』ってのは、そういう『自分の思い通りにならない』ことについて穏当に対応できるってことじゃないの?


『自分の思い通りにならないのが許せない!』


ってキレることをいうんじゃないよね?


『社会は理不尽なことばかりだから、子供のうちに理不尽に慣れさせておくんだ』


とか言うのもいるけど、だったら、


『社会に出たらどうせパンツスーツになるのが多いんだから、女子もスラックスを穿いて慣れておくべきだ』


とか、


『社会に出たらどうせ男性も女性も『さん付け』で呼ばれるんだから、小学校のうちから男子も女子も『さん付け』で呼ばれることに慣れておくべきだ』


とかって話になったらどういう反応するのかな?


もしそれにキレたりするんなら、ぜんぜんストレス耐性なんか高くないよね?


そこで、


『自分の意見を言うのは当たり前だ!』


って言うんだったら、『納得いかない校則やら何やらに対して意見を表明する』のも当たり前じゃん。


『自分は意見するけど他人が意見するのは許さない』


なんてのは、<ストレス耐性が高い人>のすることじゃないと思うけど?


そもそも、<ストレス耐性>なんていうトンデモ科学をいつまで信じるつもり?


もし、<ストレス耐性>が科学的医学的に根拠のあるものなら、それこそもっと丁寧に考えなきゃいけないことでしょうが。


両親の仲が良くて円満な家庭にいる子と、


両親の仲が悪くていつもケンカばかりしてて家に居場所がない子と、


親が離婚した子と、


親と死別した子と、


親から虐待を受けてる子と、


それぞれ受けてるストレスが同じなわけないでしょうが。家庭で大変なストレス掛かってる子にさらに学校でも、


『ストレス耐性を付けるため』


とかいう名目でストレス掛けるとか、正気? スポーツのトレーニングでもオーバーワークは故障の原因だって分かってるのに、元々過剰なストレス掛かってるところにさらにストレス掛けることの何が<科学的><医学的>だっての?


ちょっと考えれば分かることでしょ?


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