押し売りの理屈
読者や視聴者は、<神の視点>を持てるから主人公の両親の<裏の顔>も見えるけど、普通はそんなことまでは見通せないんだよね。
で、子供を学校に通わせててそれなりの生活させてれば、それだけでもう、
<良い親>
の体裁だけでも整っちゃう。
だけど私は、私自身が<親>としてそれはおかしいと感じてる。
何度も言うように、子供をこの世に送り出したのは親の勝手でしかなくて、だからこそ、子供を扶養し、教育を受けさせるのは親の義務なんだ。だから義務を果たしただけで子供に恩を売れると考えられることが理解できない。
『育ててやってる』
とか、
『面倒見てやってる』
とか、完全に<押し売りの理屈>だよね。って感じる。
世の中の<普通の親>は、この考え方に猛然と反対すると思う。何しろ、自分が子供に対して思ってることの大前提が崩れちゃうだろうからね。
『自分が養ってやってるんだから』
『自分が面倒見てやってるんだから』
『だから子供は親に従うべきだ』
っていう、ね。
だけど私は、『扶養してやってるだけで学校に通わせてやってるだけで子供に恩が売れると考えるのはおかしい』って考えたところで自分の子供が思い上がって調子に乗るなんて、これっぽっちも心配してないし、現に子供達が生まれた時からもうずっとこの考え方だけど、子供達は私の言葉にはちゃんと耳を傾けてくれるよ。
それは、実に単純な理屈。
私は子供達を、自分と同じ<人>として接してるから。だから子供達も私のことを人として接してくれるんだよ。
子供が自分の言葉を聞いてくれないとしたら、子供のことを<動物>だと思ってた時期はない? 人間の言葉が通じない動物だと思って見下してた時期はなかった?
もしそうなら、
『自分を人間として扱わないような相手の言葉なんか聞きたくもない』
みたいに、子供に思われてないかな?
もし子供のことを、
『人間じゃないただの動物』
と見下してた時期があったとしたら、子供が言うことを聞いてくれなくても、ただの自業自得だとしか思わないよ。
だってそうでしょ? 自分のことを明らかに見下してる相手の言葉とか、積極的に聞きたいと思う?
ものすごく簡単で単純な話じゃん。
私は、子供達が生まれた時から、一度も、
『言葉も通じないただの動物』
だなんて思ってはこなかったし、そんな態度で接したこともないよ。
『子供はただの動物だから躾けて人間にするんだ』
なんて思ったこともないよ。
子供達が生まれた時から、徹頭徹尾、<自分とは別の人格を有した存在>として敬ってきたよ。
だから子供達も、その真似をして、私のことを、<自分とは別の人格を有した存在>だと認めてくれてるんだ。
だけど他人からは、
『子供をちゃんと学校に通わせてそれなりの暮らしをさせている』
かどうかくらいしか見えないよね。
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