親子の確執と感動的な和解。のテンプレ
<親子の確執と感動的な和解。のテンプレ>
がフィクションの中で描かれること自体は、私は別にいいと思う。問題なのはあくまで、それを真に受けちゃう人がいるってだけでさ。
私が見てたアニメのそれもさ、あくまでただのエピソードの一つだし、常にそれで上手くいくわけじゃない。そういう、一見すると<ご都合主義>にも思えることで解決しちゃう事例だって、たぶん、無いとは言えない。
フィクションって、結局、
<実際には滅多に起こらないことが起こる、滅多に起こらないことを起こす、そういうお話>
なんだしさ。
『敵の攻撃はなぜか当らずに味方の攻撃だけは百発百中』
みたいな、
<現実ではまず有り得ないけど盛り上がる演出のオンパレードこそがフィクションの醍醐味>
じゃん?
そして、その<演出>の匙加減の好みは、それこそ人それぞれ。
私にとっては痛々しくて突っ込まずにはいられなかった<親子の確執と感動的な和解。のテンプレ>にホロリとさせられる人もいるだろうし、そういうのが好きだという人もいると思う。
私は、そういう<好み>についてはとやかく言わないよ。
もし、あのアニメが、今後も同じようなテンプレを続けるのなら私はもう見ないだけ。ストレスになるばっかりだから。批判もしない。私の好みに合わないからって価値がないわけじゃないし。
それだけの話だよ。
そして私は、自分の思うように作品を作る。
『<親子の確執と感動的な和解。のテンプレ>じゃ上手くいかない事例を描く』
こともする。
これは別に、
『こういう物の見方もある』
ってことを提示したいだけだ。
まあそれがフィクションとして面白いかどうかはさて置いてさ。
『フィクションとして面白くない』『商品にはならない』と編集が判断するなら、ボツにしてもらって構わない。Webの方で発表するだけだし。
『そんなお利口ちゃんな考えで世の中上手くいくわけないだろ!』
とか言うのもいるかもだけど、おかしいな? <お利口ちゃんじゃない考え>で自分は上手くいってるって言うんなら、どうしてそんなに苛々してるの? 上手くいってるならもっと心に余裕があってもいいんじゃないの?
少なくとも私は、他人に八つ当たりしなくても平気なくらいには精神的に安定してるよ?
ああでも、こういう言い方すると、また、
『マウント取ってる!』
とか言われたりするかな。
でも、変だよね。自分は、
『そんなお利口ちゃんな考えで世の中上手くいくわけないだろ!』
とか言ってマウント取ろうとしてたんじゃないの? なのに、相手にそれをされたらキレるの?
おかしくない?
私はそれをおかしいと思うから、
『世の中は自分の思い通りにいかないのが普通。キレる筋合いじゃない』
って自分に言い聞かせようとしてるけどさ。
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