第163話 格の違い

 



 場面は移り、同時刻。

 蘆屋道満あしやどうまんの学友である風早かざはやらを庇う形で現れた餓者髑髏がしゃどくろは彼らが逃げきった今も尚、レート7でも上位に位置する脱獄囚ジェイルと激闘を繰り広げていた。


 いや、この表現は正確ではない。


 ジェイルはレイモンドと同じく、地面から吹き出した黒々とした泥に呑まれて変質していた。

 

 襟足を伸ばした銀髪は腰元まで伸びるタールのような黒々とした長髪となり、猛獣が如き鋭い目つきは三対六つに増殖し、紅き眼光を放つ。

 逆三角形の理想的な筋肉の鎧は昆虫の甲殻を想わせる鎧に包まれ、妖精種の象徴たる半透明で、光の加減により七色に輝いていたはねだけが最後の名残なごりかのように残されている。


 そんな異形と化した彼に最早自我は存在していなかった。

 アンリマユの悪意に呑まれたそれは旧世界を破壊するだけの生物兵器。


「ふむ、どうやら外見だけでなく内部構造までも変質しているようですね」


 対峙する餓者髑髏がしゃどくろは一撃必殺にして必中防御不可の呪術式彷徨未葬髄骨ほうこうみそうずいこつを幾度も発動するが、効果は発揮しなかった。

 それもそのはず。


彷徨未葬髄骨ほうこうみそうずいこつは対人を想定して創られた術式であり、その範疇は骨格を有する脊椎動物に限られますから当然と言えば当然のこと……」


 妖怪である彼の敵は当然人間だ。

 故に、術式も対人を想定して研鑽けんさんされる。

 食料を得る為に狩りをするにしても、相手は脊椎動物であり、虫のような骨格を持たない無脊椎動物にこの術式を用いることはなかった。


「ですがまぁ、その程度であれば拡大解釈の範疇ではありますが」


 そう言って再度放たれた彼の呪術は黒泥に侵食されたジェイルの外骨格を支配し、外から内へと圧力をかけて押し潰した。


 だが、


「ふむ、やはり不死性は健在……どころか更に厄介になっていますね」


 飛散して周囲に飛び散った黒泥、その一つ一つが怪物としての姿を再形成していた。

 それだけでなく、血液のように飛び散った黒泥は付着した箇所を基点としてそのものを魔物へと変生させていった。


 植物は根っこによる自立歩行や触手攻撃を可能とし——


 瓦礫は寄り集まり、ゴーレムのような巨体による質量攻撃に加えて周囲の土砂さえも操り——

 虫は人と同じくらいの大きさへと巨大化し、カチカチと大顎を鳴らして喰い殺さんと迫り来る。


「雨が止んだことで無限の魔力供給も一時途絶えていましたが、泥に呑まれたことでこの場に蔓延する負の情念から魔力を抽出しているようですね……」

 

 周囲の環境全てが己が命を刈り取らんとする死地にありながら、餓者髑髏は敵の観察を止めなかった。

 一〇〇を優に越える数の魔物の攻撃をかわしながらも思考を止めることはない。


 なぜなら、それこそ彼が幾千年かけて培ってきた武器の一つだからだ。

 常に冷静な思考で相手を観察し、その本質を見抜くことで弱点を炙り出す。

 そして、人を避け、日陰で怯えるように暮らしてきた彼だからこそ研ぎ澄まされたその冷静な思考回路が敵の弱点を即座に炙り出した。


「負の情念の集積体ではありますが、それだけで形を成せる段階には未だ至っていない。出来たとしても不出来な泥人形が精々と言ったところでしょうか」


 侵食された植物がつたを伸ばして絡めとらんとする一方、地中からも根を伸ばした同時攻撃を行うが、その意図を容易く読み取った餓者髑髏は思考の片手間に避けて魔力砲で一掃する。


「つまり、魔獣の顕現は不完全なもの。魔獣の副産物である泥に関しても、他を侵食することでその身を成立させるのがbetter。そして、その核とはジェイルの魂……と言ったところでしょうかね」


 侵食されたジェイルは瓦礫や植物を侵食核とした魔物では有効打になりえないと判断し、己自身を急速増殖させる。

 一〇〇〇に及ぶ数に増殖したジェイルは餓者髑髏を囲いこむように展開し、多種多様な攻勢を仕掛ける。


 あるものは後方より魔術の砲撃を放ち、


 あるものは植物を操って巨木の多頭龍で喰らわんとし、


 あるものは近接戦にて打倒せんと、四方八方から迫る。

 

 だが、それらは餓者髑髏の眼中になかった。


 なぜなら、彼の中で勝敗は既に決していたからだ。


「で、あるならば真に警戒すべきは不完全顕現である魔獣よりもむしろアトランティスの方かもしれませんね」


 四方八方から迫っていた者、後方から魔術や植物を操って攻撃を仕掛けた者、地中より奇襲を仕掛けようとしていた者。

 全てのジェイルが同時に外骨格を圧縮されて肉塊へと変えられる。

 だが、餓者髑髏の攻勢はそれに留まらない。

 圧縮された肉塊は地中にいた者を含めて全て中空の一点へとまとめ上げられる。


 地中から引き揚げられたジェイルに巻き込まれる形で土砂や樹木も宙へ舞い上げられる中、その更に上空では三重につらなる魔法陣が展開されていた。


「あぁ、貴方は良い考察材料になりましたよ。お疲れ様です」


 そう言って背を向ける餓者髑髏は首から下げていたロザリオを握り込み、己が唯一崇拝する主へと鎮魂の祈りを捧げる。


——三界呪法さんかいじゅほう魅神楽みかぐら


 餓者髑髏の背後を照らすように光の柱は降り立ち、侵食された黒泥諸共にジェイルの魂を完全に消失させた。



    ◇



 場面は移り、ダニエル・K・イノウエ空港。

 オアフ島に現存する動植物や微生物といった人間を除いた全ての生命エネルギーと龍脈から引き出した星の生命エネルギーを己が身に収束させることで発動した生命系統樹セフィラ・王冠ケテル


 それにより、身に宿る生命エネルギーは細胞レベルで変質を引き起こし、その身体を臨界者としての在るべき姿へと変質させた天羽あもう


 腰まで届くつややかな茶髪は純白に染まり、淡い燐光りんこうを纏い輝く。 

 琥珀色の瞳は黄金に染まり、純白の火花を散らす。

 

 そんな彼女の眼前で魔獣の黒泥に呑まれたレイモンド。


 その泥はレート7でも上位に位置する怪物であるジェイルさえ自我を失わせた負の情念の集積体。

 

 呑まれれば最後、全世界に存在する負の情念を味わい、その精神は崩壊してしまう。


 だが、それでもレイモンドは笑っていた。

 狂嗤う道化クレセント・クラウンのように汚泥に狂わされた歪な笑みではない。

 それは、あざけりの笑みであった。


「この程度で狂ってしまうようなら臨界者になどなり得んよ」


 黒泥の間欠泉より歩み出たレイモンドの姿は変化を遂げていた。

 

 長い黒髪を首筋で縛り、無精髭を生やした精悍せいかんな顔つき。

 腰布と肩布、蒼炎で構築された左肩の聖紐という古代の僧侶階級バラモンと同様の服装は変わらない。

 だが、その身体を侵食するかのように漆黒の炎のような紋様が浮かび上がっており、鼓動を打つかのように紅く脈動していた。


 レイモンドは汚泥に呑まれて尚正気を保ち、それどころか世界中の負の情念を一笑にふしてその力のみを己がものとしていたのだ。


「これだから臨界者になるような我の強いやつは……」


 天羽は呆れたような笑みを浮かべて、淡い燐光を放つ十字架のような大剣を構える。


「さぁ、新たな力のお披露目だ。英雄と呼ぶに相応しいその勇姿をとくと堪能させておくれ、御同類よ」


 レイモンドは心底楽しみだといった笑みを浮かべて、蒼炎を纏う戦斧を構える。


 そして、光さえも置き去りにした両雄の激突は初撃をもって空港を消滅させ、無数の激突が空間さえ歪ませながら戦場を大空へと移した。

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