第120話 千年の因縁に今、決着を着けよう


 これまで喰らい尽くしてきた修羅神仏全ての力が封印されてしまった。

 現代における無二の親友たる風早颯かざはやはやてによって、不可侵の結界霊装は打ち砕かれた。

 八神やがみ凍雲いてぐも安倍晴明あべのせいめい高槻厳たかつきげん、ルキフグス、天羽華澄あもうかすみと、世界的に見ても上位に位置する強敵たちとの連戦は蘆屋道満の心身へ確かなダメージを残していた。

 

 敗北は必至。

 否、もはや決着は着いている。

 どう考えても、ここからの逆転の目はない。

 

 蘆屋道満の敗北によって此度の戦いも閉幕だ。


「まだ、……終わってたまるかッッ!!」


 修羅神仏の力はもはや使えない。

 それでも、彼には憧れを越える為に極めた究極の陰陽師としての術技がある。

 神の領域にさえ踏み込んだその絶技によって、手始めに八神が展開していた侵食領域を破壊するため行動を起こした。


 蘆屋は地に手を着き、指先からほんの僅かな呪詛を流し込む。

 侵食領域の隙間とも言えぬような、ナノレベルの空隙に忍び込んだ呪詛が内側から亀裂を生み出し、領域を容易く打ち破ってみせた。


「まだ、やるかい……ッ!!」


 八神は全能の完全解放の代償によって動けない。

 ルキフグスと厳も既に戦闘不能だ。

 晴明もまだダメージが回復しきっていなかったのか、即座に動くことはできない。

 故に、今ここで動けるのは天羽華澄ただ一人だけだった。


 だが、


天威呪縛てんいじゅばくッッ!!」


 蘆屋道満とてそんなことは分かりきっていたことだ。

 そして、用意周到たる彼が特記戦力である彼女へ何の仕掛けもしていないはずがない。

 蘆屋は彼女が地球の生命エネルギーである龍脈から力を得ていると知った直後から僅かな呪詛を龍脈へと流し続けていたのだ。

 そして、戦闘中に龍脈からエネルギーを供給していた彼女の身体には少しずつ呪詛が溜まり続けており、今ここにそれが結実した。


「あ、が……ハッ!?」


 天羽は内側から根が張るような激痛と呪縛によって身動き一つ取れなくなる。

 数十秒あれば解除できるだろうが、この場における数十秒はあまりに長過ぎた。


(ダメだ! ……晴明!!)


 蘆屋は動けなくなった天羽など眼中にない。

 一〇〇〇年に渡る宿命に決着をつける為、まっすぐと晴明の元へと駆け抜ける。

 蘆屋が抱く執着は彼を殺して乗り越えることで初めて成就する。

 故に、彼が秩序の守護者であってもそこに一切の妥協はない。

 余力を残していない晴明の首など、残る僅かな呪力を込めた手刀一つで容易く落とせる。

 

 声を出すことさえできない天羽が心中で悲鳴を上げたその時、最後の役者が舞台へ降り立った。


——全ての魔は我が手中にありドミナ・コロナム

 

「随分と待たせてしまったね。みんな」


 晴明を背に庇うように現れた人物は、魔法陣を展開することで蘆屋の手刀を防ぎきってみせた。

 その人物こそは、浅黒い肌にアッシュグレーのゆるふわロングな髪型が特徴の男——ソロモンだった。


 彼は全てが始まる前、メインスタジアムにて蘆屋に封印されていた。

 だが、五行封核ごぎょうふうかくによって蘆屋の力が弱まった隙を突いてなんとか抜け出すことに成功していたのだ。


 そして、ソロモンは蘆屋、いや、魔術を扱う全ての者にとっての天敵であった。


「……あの時、騒ぎを起こしてでもお前の指輪を奪っとくべきやったな」

「僕を警戒してくれて助かったよ。お陰でこうして駆けつけられる可能性が生まれた」


 ソロモンは全ての魔術を修めた魔術王にして、数多の魔神を従える召喚王だ。

 彼が両手にめる金色に輝く十の指輪は全ての魔術を無効化ないし制御権の強奪を可能とする権能を秘めている。

 たとえ、その指輪が奪われたとしても絶大な力を持った七十二柱の魔神がそれを取り戻さんと襲いくるのだ。


 数多の修羅神仏を取り込んだ蘆屋道満といえど、騒ぎを起こさずそれを抑え込むのは不可能だと判断したからこそ、反撃の余地を残さぬほど迅速に無力化し、封印を施しておいたのだ。


「でも、僕の出番はこれでお終いだ。後は、当事者に任せることにするよ」


 そう言って彼は一歩退がる。

 その背後からは、安倍晴明がボロボロの身体を引きずるように駆けてくる。


「決着をつけるぞ…………道満ッッ!!!!」

 

 呪術を使えるほどの魔力はもう残っていない。

 癒えきらなかった傷口が開いて、身体に巻かれた包帯に鮮血が染み渡る。

 全身に耐え難い痛みだって走り続けるが、その全てを歯を食いしばって耐え抜く。

 全ては、平安の頃より続く宿命に決着をつける為に。

 その左拳を強く、強く握り込む。


「最後は……やっぱり君が決着を着けるべきだよ。我が愛弟子」


 そして、彼と因縁があるのは安倍晴明だけではない。


 八神はこの場へ駆けつける前に方舟の治療室にて療養する愛弟子の元へ向かい、その意志を聞き届けていた。

 そしてその時、彼が身につける月のネックレスに刻まれた術式にほんの少しの改良を施したのだ。

 それは、『対となる霊装所持者間における相互空間転移』の術式。

 だからこそ、彼がこの場に駆けつけることができた。

 八神がほんの僅かに残していた魔力によって起動した霊装が、彼をこの場へと呼び寄せた。


「風早……ッ!!」


 虚空より現れたのは無二の親友である風早颯だった。

 全身に包帯を巻く彼は本来なら絶対安静を余儀なくされる重傷患者だ。

 しかし、彼の親友を止めたいという想いは確かなものだった。


 そして、師である八神は彼の想いに応えるべく、己の作戦行動に支障が出るギリギリのラインになるまで生命力を与えた。

 だからこそ、彼は無理を通してでもこの場に現れることができた。


「芦屋。お前にどれだけの想いがあるのか、僕はきちんと分かってあげられない」


 当然ではあるが、風早は蘆屋道満ではないのだ。

 その気持ちを十全に理解することなど決してできはしない。


「だけど、憧れに手を伸ばして周りが見えなくなる気持ちだけは誰よりも理解できるよ」


 それは、風早自身が八神と出会う前まではそうだったからこそ理解できる気持ちだった。

 たった一つの綺羅星きらぼしを目指して、その輝きに目を焼かれたばかりに周りの何もかもが見えなくなってしまった、ある種の呪いとも呼べる感情を。

 なまじ、力があったからこそ蘆屋は一般人や国家への配慮を行うことができていたが、本質的には何も変わりやしないのだ。


「だからこそ、僕が今度こそ止める。親友として、お前の目を覚まさせるのが僕の役目だから!!」


 風早は傷口が開いて赤く染み出すこともいとわず、晴明と並び立つように駆け抜ける。

 全ては、憧れに執着するあまり、止まることのできなくなったバカな親友へ終止符を打つ為に。

 その右拳を硬く、硬く握り込む。


(……クソッ。負けたくない。今度こそ勝ちたかった……。やのに、…………やのに、なんで満足してしまうかなぁ……)


 蘆屋の中にはまだ勝利への執念がくすぶっている。

 だけど、親友と好敵手、二人から向けられる想いに対する満足感とでも呼べる、胸を内から焼くような熱い感情がそれを上回った。


 一〇〇〇年抱いた憧れに、対等なライバルとして認められた。

 現代にて初めて得た親友は、何度も何度も傷つけて、彼の大切な人たちさえ傷つけた己を、それでもまだ親友だと認めてくれた。


 それが、なによりも嬉しかったのだ。


「あぁ、まったく……」


 蘆屋はそれでも決して満足げな笑みを浮かべたりなどしなかった。

 その瞳から溢れ出しそうな想いの結晶を零すような真似はしなかった。

 

 それらの想いは全て己に与えられた、己が抱えるべき大切なものだ。

 一つとして溢れさせてやるつもりなどなかった。

 

 だからこそ、蘆屋は最後のその時まで不敵な笑みを浮かべてみせた。


 そんなどこまでも強欲な宿敵親友へ目掛けて、二人は硬く、強く握り込んだ拳を振り抜いた。



——完敗や。



 それぞれの想いを乗せた拳は蘆屋道満の頬を強かに打ちつけ、全ての因縁に決着をつけた。



    ◇



「どうや、気は済んだか?」


 魔力を封じる拘束具で身動き一つ取れないように拘束され、今まさに監獄へと護送されゆく蘆屋道満好敵手へと晴明は語りかける。


「そうやな」


 彼の言葉に応える蘆屋の表情は満足気なもので、そこには一切の未練などないように感じられた。


「って言うとでも思ったかボケ!!」


 気のせいだったようだ。

 全く満足などしていない蘆屋は晴明の鼻っ柱へと頭突きをお見舞いする。


「いったぁ!? えぇ!? そろそろ負けを認めてもええんちゃうの!?」

「じゃかましいわ!! ……ええか? 今回は儂の完敗や。それは認める。……でもな、それとこれとは話が別や。儂はこれから先、何度でもお前に挑み続けるぞ」


 真剣な眼差しが鼻血を零す晴明を鋭く射抜く。


「お前は儂の方が実力で勝ってるって言うたけどな、やっぱりそれは間違いや。お前らと戦う中で気付かされた。……実力っていうのは何も術技の練度だけを言うもんやない。人脈や他を牽引けんいんするカリスマ、そして仲間を信頼する気持ち。そういうもんも引っくるめて実力や」


 術技ならば蘆屋道満が優っているだろう。

 身体能力や武技に関しても優っているという自負がある。

 仲間の質にしたって、レート7クラスが八体もいたのだ。

 戦力としては互角と言えただろう。

 それでも、彼我の勝敗を分けた理由は、如何に仲間を信頼していたかという気持ちの部分に起因する。


「今回はその点でお前に劣った。お前は仲間を頼って、己の足りひん実力を補った。でも、儂は自分の力におごって、真の意味で仲間を頼ることはなかった」


 晴明は仲間を信頼していたからこそ、八体の厄災の対処と蘆屋道満の足止めを仲間に任せた。

 

 そうして作った時間で、最後にはメインスタジアムへと決戦の場を移すと見込んだ彼は十二神将を用いた罠を仕掛けた。

 

 蘆屋道満へ五行封核の核を容易く刻めたのも、風早や八神らを信頼して、その間に周囲一体へ術式を刻み易くする細工を施していたからだ。


 蘆屋の力を封じた五行封核、最後の一手にしてもそうだ。

 八神を信頼して任せたからこそ、蘆屋の読みを上回ることができたのだ。


 対して、蘆屋は仲間を信用していても、信頼してはいなかった。

 彼らの実力を信じて、各地へ分散した戦力の足止めを任せた。

 しかし、彼らを信じてはいても、頼ることはなかった。

 己の力で勝たねば意味がないとして、彼らに足止め以上の役割を求めなかったのだ。

 

 だからこそ、蘆屋は孤軍で数々の猛者を同時に相手取ることとなり、敗北を喫した。

 

「だから、次は儂の仲間と一緒にお前を負かしたる。次こそは、真の百鬼夜行をお披露目したるわ」


 ニヤリ、と牙を剥くような笑みを見せた蘆屋へ晴明は溜め息混じりの苦笑を浮かべる。


「ホンマやめてくれ。これ以上強くなったお前らの相手とかしんど過ぎるわ……」


 心底から吐かれた晴明の言葉に蘆屋はケラケラとした笑い声をあげる。


 彼らの関係は不器用極まりなく、たった一つの誤解によって千年も前からすれ違い続けていた。


 陰陽師として頂点に立つ晴明はいつも余裕綽々とした態度で蘆屋をあしらっていた。

 ——真は、数多の策と準備を弄したが故の辛勝であり、その心内に余裕が生まれたことなど片時も存在しなかった。


 その誤解が解けた今、ここにあるものこそが彼らの本質的な関係なのだろう。


「芦屋」


 好敵手との最後の語らいを終えた蘆屋へ、ただ一人の親友から声がかけられる。


「風早……」


 八神に肩を貸してもらって立つ親友の姿を目にした蘆屋はバツが悪そうに表情を歪める。

 必要だったから結果的に傷つけてしまうことになったが、晴明の打倒が目的であった彼にとって風早を傷つけることは本意ではなかった。


 できることなら、彼を巻き込むような真似をしたくはなかった。

 彼が雨戸と幼馴染でなければ、雨戸が計画に必要な拡張の紋章者でなければ……、そう願わなかったといえば嘘になる。


 きっと、彼らと元通りの関係に戻ることはできないだろう。

 風早を満身創痍になるまで痛めつけた。

 ましてや、雨戸を拘束し、その身をにえとしようとさえ企んだのだ。


 もう、あの心地良い居場所に蘆屋が戻る余地など残されてはいないだろう。


 そう考えていたからこそ、風早の発した言葉が理解できなかった。


「……なん、て……」

「聞こえなかったなら何度でも言ってあげるよ」


 そうして告げられた言葉は、未だ方舟はこぶね内の医務室でその身を横たえる雨戸から預かった伝言であった。


『芦屋くんのことだから、今回の件気にしてると思う。でもね、私はあの頃の日常が、私とはやてくんと芦屋くんの三人で過ごしていたあの日常が帰ってくるならなんだっていいよ!! これでお別れなんて、それこそ許さないんだから! ……また、会いに行くから。会えないなら手紙を出す! そして、罪を償ったその時は、また一緒に遊びに出かけよう!』


 風早の口を借りて告げられた雨戸の言葉は、彼が予想だにしない言葉だった。

 

 裏切っただけではなく、その命さえ利用しようと企んだのだ。

 幾ら人の良い雨戸といえど、恨まれていると思っていた。

 だというのに、彼女は芦屋が気に病んでいるであろうことさえ見抜いて、そんなことはどうだっていいと一蹴してみせた。

 芦屋と風早と雨戸、三人が揃った日常が戻ってくることこそが何よりの贖罪しょくざいであると、彼の心を救って見せたのだ。


「僕の言いたいことは大体梨花ちゃんが言ってくれたから、最後に一言だけ」


——僕たちは、お前の帰りをいつまでも待ってるからね。


 その言葉を受けた時にはもう、彼の抱いていた罪悪感は跡形もなく掻き消されていた。

 ここまで言われて、まだ罪悪感に囚われるなどそれこそ彼らへの侮辱に他ならない。

 だからこそ、流す涙はこれで最後だ。


「……ありがとうな」


 顔を俯かせた蘆屋の表情は見えないが、一滴の滴が地面を濡らす。

 そして、ガバッと顔を挙げた蘆屋は満面の笑みで、ありふれた再会の約束を告げる。


「……またな!」


 監獄へと収監されれば会うことは難しくなるだろう。

 彼の脅威度を鑑みれば、面会だってそう簡単にはできない。

 手紙のやり取りさえもできないかもしれない。

 だけど、今生の別れなどでは決してない。

 必ず再会して、あの頃の日常へと帰る。


 その想いを込めた言葉を最後に、かつてない騒動を引き起こした陰陽師、蘆屋道満は監獄へと収監された。

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