第963話「陰謀の味」
「鬼瓦さん! よろしくお願いします!」
「よかろう。いただきますっ!」
鬼瓦三太夫狸太郎斎錦刑部実弥が巨大な丼鉢に入ったラーメンを啜る。豪快な食べっぷりで汁まで飲み干し、かっと目を見開く。
「美味いっっっっ! 星9!」
「あ、ありがとうございますっ!」
会場全体に響き渡るような声で、この日の最高評価が下された。巨大醤油ラーメンを作った料理人はぱっと表情を明るくして飛び跳ねる。MCも盛り上がり、客席も歓喜する。
〈三つ星シェフ連盟〉総料理長の鬼瓦三太夫狸太郎斎錦刑部実弥は、レティやチーム指揮官のように細かな寸評は述べず、ただ味の良し悪しと星の個数だけを簡潔に述べるような評価をしていた。正当な評価という意味では俺たちゲスト審査員よりも本職の料理人として第一線で活躍する彼の方が信頼が厚く、より高みを目指す気概のある参加者は彼に個人審査を依頼しているような印象を受けた。
「おおっと、ここでレティさんの食べた料理の総重量が250kgを超えました! しかし未だ彼女の個人評価最高星数は6と以前低いまま。当初の想定よりも遥かに厳しいこの牙城を崩せる猛者はいるのか!」
「一方、チーム指揮官を狙い撃つ挑戦者たちも苦戦を強いられています! いなりをただ作るのみでは思ったように評価が上がらない。攻略の鍵はT-2、T-3にあるのか!」
レティとチーム指揮官への個人審査は、少しペースが落ちている。最初の挑戦者がかなり厳しい評価が下されたこともあり、作戦やレシピを変える者が増えたのだ。
そんな波瀾万丈の料理王決定戦において、挑戦者の列が途切れない審査員席が一つある。
『美味しいですね……。星10個です!」
「おおおおっ!!!! ありがとうウェイドちゃん愛してる!」
自分の身の丈ほどもある巨大パフェを完食したウェイドが、ニッコニコの笑顔で最高評価を更新する。感極まって彼女に飛びつきかけた挑戦者は、周囲のライバルたちによってステージの外まで投げ飛ばされた。
「ウェイドは人気だなぁ」
「とりあえず甘いスイーツ渡しておけば良い評価が貰えるって分かったみたいですからね」
総合審査で回ってきたオムライスを食べながら、レティと少し話す。
ウェイドが個人審査先として人気を集めているのは、彼女の好物と評価の甘さが故だった。なんと言っても、とりあえず洋菓子を作って差し出せば星6以上は固いのだ。
〈料理〉スキルの内部分類として菓子製作というものがあり、それを伸ばすと
『このシュークリームも美味しいですね。中のクリームがホイップとカスタードとチョコレートの三種になっているのも魅力的です。星11個!』
「ひゃっほーい!」
口の周りにクリームを付けながら景気良く星をばら撒くウェイド。管理者とは思えないほどめちゃくちゃチョロい。本人は無限にスイーツが捧げられて、ご満悦といった表情だ。
「レッジさん、個人審査お願いしてもいいですか?」
「お? もちろん、俺でよければ」
パクパクとスイーツを食べているウェイドを眺めて胃もたれしていると、珍しく俺たちの方に個人審査の希望者がやってきた。俺もイザナギもそこまで好物が知られているわけではないから、他の審査員と比べて個人審査は珍しい。
やってきたのはまだ駆け出しのような雰囲気のある、エプロン姿の少年だった。
「何を食べさせてくれるんだ?」
「こ、こちらです!」
少年は傍のワゴンに乗せたクローシュを持ち上げる。そこにあったのは、小さな一つのクロワッサンだった。こんがりと焼かれた三日月型で、サクサクとしていてなかなか美味そうだが、今回のテーマに合っているとは言い難い。
「これがデカ盛り料理なのか?」
「はいっ! 我が〈ケミカルキッチン研究会〉、通称3Kが新たに開発したクロワッサン。その名も“一粒万倍満腹クロワッサン”です!」
ふんふんと鼻息を荒くして少年が語る。なんというか、その名前からして少し嫌な予感がしてしまうが、食べないわけにもいかない。
「さあ、時間に余裕がないので」
「時間ってどういう……」
クロワッサンを見ると、二つに増えていた。
あれ? ここにあったのは一つのクロワッサンだった気がするんだが……。
「なあ、このクロワッサン……」
「“一粒万倍満腹クロワッサン”は制限解除済み自己増殖ナノマシンを融合させた全く新しいクロワッサンで、食料事情を一気に改善する可能性を秘めた夢のパンなんです!」
「あっ、そういう……」
話を聞いただけでわかる。これはやばい奴だ。そうこうしているうちに皿の上のパンは四つに増えている。これ、宇宙に捨てた方がいいんじゃないか?
「イザナギ、どんどん食べろ!」
『まかせて。いただきます』
俺は急いでパンを掴み、口に放り込む。食べてしまえば強力な炉が全て分解してしまうので、増殖も止まる。イザナギは生身だが、俺たち調査開拓員と同じものが食べられているので、相応に消化器官が丈夫なはずだ。
俺とイザナギは急いでクロワッサンを食べ切ろうとする。しかし、四つに増えたパンを一つずつ食べている間に、残った二つがまた四つに分裂する。それを食べているうちにまた四つに戻り、更には八つになってしまう。
「これどれくらいのペースで増えるんだ!?」
「三十秒で二倍になりますね」
「早すぎるだろ!」
八個のクロワッサンを食べる間に三十秒は過ぎてしまう。となれば残るのは十六個のクロワッサン。そんなものを三十秒以内に食べられるはずもなく、三十個ほどにまで膨れ上がる。
もはやワゴンからも溢れ出し、テーブルの上に広がった。
「おおっと!? これは〈ケミカルキッチン研究会〉のマドマドさんですね! なんと、クロワッサンが次々と増殖しています! えっ、これヤバいんじゃないの?」
俺たちの様子に気付いたMCも実況の後で顔を青褪めさせる。その間にもクロワッサンは六十、百二十、二百四十と次々増えていく。
俺とイザナギも頑張って食べているが、到底追いつかない。マドマドはどこいったと探したら、クロワッサンの山に埋まっていた。なんなんだこいつ!
「レティ、ウェイド! ちょっと手伝ってくれ!」
「うわわっ!? 美味しそうなクロワッサンですね!」
『甘いバターの香りですね。個人審査に手を出すのはマナー違反ですが、緊急事態と判断して協力しましょう』
流石に二人でこれを食べ切るのは無理だと判断し、他の審査員にも協力を要請する。レティとウェイドが立ち上がった時の頼もしさは異常だな。
「うーん、サクサクで美味しいですね」
『無限に食べられます!』
二人はまるで強力な掃除機か何かのように、次々とクロワッサンを飲み込んでいく。
「いや、本当に凄いな」
レティとウェイドが参加した瞬間、クロワッサンの増殖が止まる。減っていないが、増えてもいない。二人の食欲が増殖スピードと拮抗していた。つまり、二人で500個近いクロワッサンを30秒以内に食べているということだが……。物理的に可能なのか?
しかし、実際にクロワッサンが爆発的に増えた瞬間、レティとウェイドがバクバクとそれを半分まで減らしている。まるでクロワッサンが飲み物のようだ。
『どなたか、チョコレートソースをこの辺りに撒いてくれますか?』
流石にウェイドはただのクロワッサンばかりが辛かったのか、挑戦者の製菓職人たちに声を掛ける。任せろと勢いよく声が上がり、チョコレートやらカスタードやらの甘いものが次々とクロワッサンの山に投げられる。
『ありがとうございます。これならとっても美味しいですね!』
甘味が加わった瞬間、ウェイドの食べるペースが加速する。パンの海に飛び込むようにして、その小さな口に次々ねじ込んでいく。
ブーストのかかったジェット機のような勢いで食べ進めるウェイドとレティ。二人を見ていた観客たちはやがて気付く。
「クロワッサンが……減ってる……!?」
30秒ごとに倍になるクロワッサンが、減少に転じていた。
二人の全く衰えない食欲に、増殖ペースが負けていた。
「こんな展開あるのかよ……」
「原作でもないぞ」
観客たちもどよめくなか、クロワッサンは40、20、10と数を減らしていく。もはや、勝敗は決していた。
「ごちそうさまでしたっ!」
『大変美味しかったです』
汚れた口元をナプキンで拭いながら、二人は拳を掲げる。その勇姿に、誰からともなく拍手が上がる。やがてそれは会場を揺るがすような大歓声となり、彼らはその栄光を讃えた。
『はむっ。おいしい』
万雷の拍手のなか、イザナギがテーブルの下に落ちていたクロワッサンを拾って食べる。ばっちいからやめなさいと思いつつ、まあ仮想世界なら衛生的な問題もないだろうと肩を竦める。
俺はクローシュの裏側に貼り付けられていたオリジナルのクロワッサンを回収し、きちんと完食する。
「せっかくゲストで出させてもらってるイベントなんだ。そう簡単に潰されても困るからな」
3Kのマドマドは失格判定を受けてステージから降ろされる。クロワッサンがステージ中を埋め尽くした後にもかかわらず、残りの参加者たちは再び調理に戻る。
大会は粛々と進んでいた。
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Tips
◇“一粒万倍満腹クロワッサン”
制限解除済み自己増殖ナノマシンを生地に練り込み、その機能を異常に拡張させた特殊なクロワッサン。大気中の分子を変換し、自己と同一の複製体を生成する。増殖は30秒に1回のペースで行われ、そのたびに全体量が倍増していく。
強力な消化器官によってナノマシンの機能が喪失すれば増殖は停止するため、腹が破裂することはないので安心。
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