第380話「迷宮と出迎え」
『〈鋼蟹の砂浜〉のボス、“白盾のコシュア=イハルパルタシア”が討伐されました』
『調査可能領域が拡張されました』
『領域拡張プロトコル順序違反が検出されました』
『ルート再構築臨時プロトコルが発動されます』
『ルート再構築臨時プロトコルにより、新たな開拓目標が設定されました』
ボロボロの白蟹が力なく崩れ落ちる。
それを合図に怒濤のアナウンスが流れ、俺たちは目の前の困難を打破したことを実感した。
「なんとか終わりましたね。ふにゃぁ……」
レティがよろよろとした足取りで歩み寄ってくる。
彼女は倦怠感に身を包み、ぐったりと真横に座り込んだ。
極限に近い集中状態を長時間維持していたことで、今頃になって疲労が押し寄せてきたらしい。
「なんとか、な」
かく言う俺も同じようなものだ。
イハルパルタシアを解体しようと身削ぎのナイフを握っているが、どうにも立ち上がるのが億劫だ。
「リザは全員の回復を。他の皆は周辺の調査を。残党は居ないと思うけど、気をつけて」
タルトたちも疲労困憊で座り込んでいるなか、アストラたち銀翼の団は休憩もそこそこに動き出す。
彼らにとってはまだ調査は終わっておらず、むしろここからが本番なのかもしれない。
「俺も働くとするか」
周りで熱心に動いている人がいるというのに、だらだらと過ごしているのも居心地が悪い。
俺は全身に力を入れて立ち上がり、大物の解体に手を付けようと立ち向かう。
「うおおっ!?」
しかし、身削ぎのナイフが触れる直前、唐突に“白盾のコシュア=イハルパルタシア”の体が白い砂となり、さらさらと崩れる。
俺たちの目の前でそれは形をなくし、滑らかで粒の小さな砂は、白い石の床へ溶けるように消えてしまった。
「せっかく白神獣の素材が獲れると思ったのに……」
がっくりと肩を落とす。
白神獣の巡礼以来の特殊な素材が手に入るチャンスを逃してしまった。
「でも、普通の原生生物の消滅時間と比べて短すぎませんか?」
よいしょ、と立ち上がってレティが言う。
そういえば倒してからまだ5分も経っていない。
通常ならば消滅どころか、ルート権の緩和すらまだ来ていないはずだった。
「解体ができない、特殊なボスなんでしょうか。白神獣ですし」
「白神獣だとあり得るから、なんとも言えんなぁ」
せめて砂は回収できるかと掬ってみたが、さらさらと逃げるように指の隙間から落ちてしまう。
それらは間を置かず床に吸い込まれてしまって、一粒も入手できなかった。
「あんなに苦労して戦ったのにねぇ」
ラクトも残念そうに言う。
その時、トーカがぴくりと眉を上げて前方を指さした。
「レッジさん、置き土産は残して貰えたみたいですよ」
「なに?」
彼女の指し示す先に視線を向ける。
青く淡い光に照らされた白い床のまんなかに、ぽつんと小さな影があった。
慌てて走り寄ってみると、それは小ぶりな宝玉のようだった。
「これは……」
「“白神獣の宝玉”ですか」
透き通ったガラス玉のようなそれには見覚えがあった。
第二回イベント〈特殊開拓指令;白神獣の巡礼〉で各地の祠を守る守護者から得られる特別なアイテムと同じものだ。
「『素材鑑定』……。いや、若干名前が違うな。“白神獣の秘玉”と言うらしい」
手早く鑑定し、名前を明らかにする。
宝玉ではなく秘玉とは、どことなくレアリティが上がっているようだ。
「これ、人数分貰えるみたいだな」
俺が手に取ったものとは別に、足下に新しい秘玉が転がっている。
レティたちも順にインベントリに入れていくが、いつの間にか視界の外に転がっている。
アストラたちも呼び寄せて全員が手に取ったところで出現は止まった。
「1人につき1つのみ。売却不能。重量ゼロでインベントリも圧迫しない、と」
「その辺は宝玉と一緒ですね。持ってても邪魔にならないなら持ってましょうか」
どうやらイハルパルタシアの討伐報酬はこの秘玉だけらしい。
どう使うものなのか、どういった由来のものなのか、疑問は絶えないがひとまず懐に収めておく。
「あの白い殻で良い防具が作れそうだったんだがなぁ」
「レッジさん装備更新したばっかりじゃないですか」
未練がましく床を見渡すが、すでに砂の一粒も残っていない。
俺は諦めてふらふらと闘技場の壁の方へと歩き出した。
「あれ、レッジさん」
隣を歩いていたレティが声を上げる。
どうした、と目を向けると彼女は前の暗がりを指さした。
「あそこ、扉がありますよ」
「ほんとか?」
ライカンスロープの目はいい。
ウサギ型である彼女も、ネコ型ほどではないが夜目が利くようだ。
ヘッドライトを点けて前に進むと、闘技場の壁にぽっかりと廊下が口を開いているのが見える。
どうやら来た時と同じように大きな廊下が、反対側にも伸びていたようだ。
そこを歩き進むと、レティの言ったように大きな扉が見える。
「これは……こっちが裏側だな」
「ということはこのボス部屋の正式な入り口ですね」
つまりそういうことである。
俺たちはやはり順路を逆に進んでいるようだ。
その割には、〈鋼蟹の砂浜〉のボスがこんな奥にいるというのも少々違和感を覚えてしまうが。
「開きますかね?」
「どうだろうな。さっきと同じなら皆を呼ばないといけないだろうが」
アストラたちは広い闘技場の別の場所を調査している。
せめて白鹿庵だけでも呼ぼうかと俺が考えていた時、ふいに白月が前に出る。
「うん? 白月、どうした――」
彼の黒く濡れた鼻先が扉に触れる。
その瞬間、二枚の扉が微かに振動を始め、俺たちは慌てて飛び退いた。
「うわわっ!?」
「やっぱり白月の鼻は万能鍵なのかも知れないなぁ」
俺とレティ、そして白月とスサノオが見守る前で、分厚い石の扉が開かれる。
振動を聞きつけて、周囲に散っていた仲間も集まってくる。
「どうしたの? って、また何かやらかしたんだね」
「こ、今回は俺じゃないぞ!」
呆れた声を上げるラクトに慌てて首を振る。
その間にも扉は動き続け、やがて完全に開ききった。
「これは……新たな調査可能領域というやつですね」
楽しげにアストラが声を漏らす。
扉の奥に広がっているのは、人工的だった闘技場とは一転して自然に形成された様な暗い洞窟だ。
ヘッドライトの光が届く範囲に他の照明はなく、天井からは細長い鍾乳洞がいくつも垂れ下がっている。
奥からはギィギィと蝙蝠らしい鳴き声が聞こえ、獣と土の混じる匂いも僅かに漂ってくる。
「どうする? 先に進んでみる?」
ホルスターに手を掛けながらルナが言う。
「流石に消耗が激しすぎるのでは。調査するにしても、一度帰還した方がいいと思います」
タルトが現状を冷静に分析して答える。
地下洞窟の蟹の群れと、イハルパルタシアとの戦いでリソースも多く消費した。
ここから奥へ進むのは、危険度が分からない段階では無謀だろう。
「そうですね。とりあえず一歩だけ進んで、あとはまたの機会に回しましょう」
アストラも冷静に決断する。
彼は軽い足取りで扉をくぐり、洞窟に一歩踏み入れる。
『新たなフィールド〈アマツマラ深層洞窟・最下層〉に到達しました』
すかさず流れるアナウンス。
それを見て、俺たちは首を傾げた。
「アマツマラ?」
「まさか……」
地図を開き、縮尺を下げる。
全体図を確認した俺が顔を上げると、レティたちも同じ結論に達していたようだった。
「ここは、おそらく〈アマツマラ地下坑道〉から続くフィールドなのでしょうね」
洞窟の奥に目を凝らしながらトーカが言う。
「しかし、いきなり最下層とは……」
ため息交じりにレティ。
やはり、この“白盾のコシュア=イハルパルタシア”は〈アマツマラ地下坑道〉を切り抜け、その下に広がっている〈アマツマラ深層洞窟〉とやらを突破した先に立ちはだかる守護者なのだろう。
そして、〈鋼蟹の砂浜〉は激戦の果てにイハルパルタシアを突破した者のみが足を踏み入れることができる秘境なのだ。
「ほんとに、ゴールから逆走しまくってたんですね……」
「しかしこれで〈アマツマラ地下坑道〉の先があることが分かりました」
「それも、最下層ってことは上層、下層といくつか分かれてるみたいだね」
もやは笑うしかない、とレティが苦笑する。
しかしアストラたち攻略組はむしろやる気を迸らせている。
やはり彼らはどこか常人離れしているのだ。
「この地下ダンジョンを上からいくか下からいくかは、今後の検討課題ですね。ともかく、今日の所は凱旋といきましょう」
洞窟から戻って、アストラは歩き出す。
拒否する理由も無い俺たち〈白鹿庵〉と〈神凪〉、そしてルナも彼らの後ろに続く。
「ここの事はサイトで公表するのか?」
歩きながらアストラに尋ねる。
「はい。上で待機している団員と改めてざっと調べてからになりますが、今日中に公表する予定です。レッジさんもブログに書いて貰っていいですよ」
「そうか。分かった」
記事のネタになるのなら願っても無いことだ。
とはいえ俺のブログはただの感想文になるだろうし、騎士団のサイトの方が有益なものになるはずだが。
そんな話をしながら闘技場を抜け、廊下を進む。
辿り着いた“出口”の扉の前に立ち、若干の不安を胸に手で触れる。
「……すんなり開くなぁ」
来た時の苦労が嘘のように、重く分厚い扉は滑らかに滑る。
しかしそれよりも驚くべき光景がその奥に広がっていた。
「これは……」
「ちょっと予想外ですね」
レティたちも目を丸くする。
扉の奥には、整然と左右に並び頭を垂れる巨蟹たちの姿があった。
先ほどまでの激戦も嘘のように洞窟の中は静まりかえり、ジャリガザミからグレンキョクトウショウグンガザミまで、全ての蟹たちが傅いている。
扉からまっすぐに続く道は無数の蟹に挟まれ、洞窟のそこかしこから青い光が点々と広がっていた。
「もしかして、この洞窟の中にいた蟹たちは、本来こうやって出迎える要員だったんでしょうか」
レティの予想は誰も否定できない。
俺たちは強引に逆走していたわけで、本来ならばこの光景がイハルパルタシアを倒した直後に目にするものだったはずなのだ。
「あの守護者を倒して認められたってことかな?」
少し得意げにラクトが言う。
もしかすると、あの蟹から手に入れた秘玉によるものかもしれない。
「ともかく、再調査の際は楽ができそうなのはいいですね。道の先は恐らく地上に続いているんでしょう。進みますか」
静かに並ぶ蟹の群れの真ん中を、アストラを先頭に進む。
激戦とは縁遠い、神聖な空気すら感じる洞窟に緊張しながら、俺たちは足早に外を目指して歩き続けた。
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Tips
◇白神獣の秘玉・盾
白神獣の古祠を護る者、彼の者に力を示し認められた証。
白盾の守護者、コシュア=イハルパルタシアの秘玉。彼の堅固な盾を砕き、その力を示した者に与えられる。彼が守り続ける土地へ踏み入る許しを与えられ、彼の双子も頭を垂れる。
1人1つのみ。特別な所持枠に入る。売却不能。
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