第321話「お忍び少女」
赤色の太陽が丘陵に沈みゆく。
キヨウの街中が暗くなるにつれて人の気配は増していく。
道行く顔もおぼろげな黄昏の中、軒に連なる赤提灯のぼんやりとした暖光が影を揺らす。
「レッジさん、レッジさん」
からんころんと下駄を鳴らし、足下の白月を蹴らないように気をつけて歩いていると、隣のレティが声をひそめて話しかけてきた。
「どうした?」
「いやその、凄く、周囲から見られてる気がして」
うさ耳をぺたりと畳み、レティは眉を下げる。
確かに横切る人々の視線がこちらに向き、一瞬驚いたような顔をして瞬きするのを俺も感じていた。
一人二人ならばまだいいが、大抵の人がそんな反応をするものだから気にしない方が難しい。
「まあ実際見られてるのは俺たちじゃないから」
「それはまあ、そうですけど」
ちらりとレティは後ろを振り返る。
俺たちの背後、ラクトやエイミーと和やかに談笑しながら歩くのは煌びやかな衣服を纏ったトーカだ。
彼女が遊郭の花魁か、一国の姫かと見紛うような華やかさを放っているがために周囲から視線を集め、俺たちは彼女の付き人になったような気分になっていた。
「エイミーもラクトも、よく平気ですねぇ」
「二人ともあんまり気にしない性質だからなぁ。そういえばミカゲはどこいった?」
「あれ、そう言えば見当たりませんね?」
いつの間にか一人姿を消していて、俺たちはキョロキョロと周囲を捜す。
「……なにか、捜し物?」
「ああ、ミカゲを――ってミカゲ!?」
隣から声を掛けられ自然に答えながら振り向くと、視界いっぱいに白い狐の面が飛び込んできた。
驚いて飛び退くと、細い指が面を押し上げ、その下から黒い瞳が現れた。
「びっくりした。なんだそのお面は」
「向こうの露店で、売ってた。顔を隠してないと、落ち着かない……」
そう言って彼が指さす先には色々な面を並べた露店があった。
普段覆面で顔のほとんどを隠しているからか、素顔を晒すことに抵抗があるらしい。
「レッジもお面、買う?」
「いや、別にいいかな……」
少し興味はあるが。
『あら、レッジさん。奇遇やねぇ』
ミカゲと話ながら歩いていると突然下から声がする。
慌てて顔を下げると、今度は厳めしい般若の顔が飛び込んでいた。
「うわぁっ!?」
「レッジさん?」
俺の声にレティたちが駆け寄ってくる。
般若は山吹色の浴衣を揺らし、裾で口元を隠してクスクスと笑い声を上げた。
『おもしろい反応してくれますねぇ。――こんばんは』
「キヨウ! びっくりしたじゃないか」
般若の面がずれ、下から人形のような少女の柔和な笑みが現れる。
悪戯が成功した子供のように、この町の管理者は肩を揺らす。
「キヨウちゃん、あまりびっくりさせないで下さいよ。ていうか、お面流行ってるんですか?」
レティはミカゲとキヨウの頭を見比べて首を傾げる。
『あては顔を隠しとこうと思って。サカオとアマツマラが前に出たから、あても素顔で歩いたらすぐばれるやろうしね』
「なるほど。みんな似てるものね」
後からやってきたエイミーが頷く。
キヨウたち管理者は最初に外見を得たウェイドを参考にしているため、顔立ちがとてもよく似ている。
彼女がそのまま出歩いたら、目聡いプレイヤーに悟られるのは不思議でもない。
「キヨウさんも山車歩き前のお散歩ですか?」
『ええ。あてもこんなに賑やかになるとは思わんかったから、つい出てきてしまいました』
しゃらりと簪を揺らして尋ねるトーカに、キヨウは動ずることなく答える。
今はまだキヨウも動いておらず、この町のお祭り騒ぎはプレイヤーたちが自発的にやっていることだ。
彼女の手には鈴カステラの入った紙袋が握られているし、管理者であることを隠して楽しんでいたのだろう。
『お店の人もみんな、あての事を調査開拓員って思てくれるから楽しいですよ』
「サカオやアマツマラとはまた違った交流の仕方をしてるんだな」
今までの二人は大勢の前に出て挨拶をするような形で姿を表していたが、キヨウは正体を明かさず一人の調査開拓員として祭りを楽しみ交流を重ねている。
「NPCが露店で買い物って、バレないの?」
不思議そうに首を傾げるラクト。
キヨウは彼女に向かって笑みを浮かべる。
『今日だけはNPCのみんなも自由に買い物できるようにしてるんです。そっちの方が楽しいかなって思て』
随分と簡単に言うが、なかなかにとんでもないことだ。
確かにそちらの方が活気も増してより祭りらしくなるだろうが、それだけに彼女の処理しなければならない業務も増えるはず。
小さな少女の姿をしているが、やっていることが流石は管理者と言うべき規模の大きさである。
『キヨウにお家持ってる人なんかは、メイドロイドと一緒に歩いてたりもしてますよ』
「そうなのか。カミルも連れてきたかったな」
「お土産買って帰りましょうか」
お土産という言葉に白月が顔を上げる。
こいつも随分と食べ物に敏感になってきたな。
『そういえば、レッジさんたちは山車歩き参加してくれますか?』
紙袋の口を開け、温かい鈴カステラを勧めながらキヨウが聞いてくる。
俺はカステラを一つ摘まみ、レティたちの方へ振り向いた。
「俺は出たいと思ってるが……」
「レティたちが出ないと思ってます?」
「そうだよな」
至極当然、といった表情で返すレティ。
ラクトたちも揃って頷く。
それを見てキヨウは嬉しそうにはにかんだ。
『ありがとうございます。初めてのことやから、レッジさんたちが参加してくれると安心やわぁ』
「今回は一つの陣営が結構な人数なんだろ? レティたちはともかく、俺はそこまで役立つかね」
そもそも山車歩きというイベント自体、どういう事をすればいいものなのかよく分かっていない。
とりあえず四つの町に分かれた対抗戦であるらしいが……。
「そういえばキヨウさん。陣営のどれか一つに人が偏った場合はどうなるんですか?」
『モチ撒きの時にライバルが増えるだけやねぇ。だから人数差は殆ど無いと思ってます』
「なるほど。考えられてますね」
人数が多ければ山車歩きの際には他より有利を取れるが、そのあとのボーナスステージであるモチ撒きでは今まで味方だった奴らが敵になる。
できる限り少ない人数で勝つのが理想だから、四つの町の人数は自然と均衡するというわけか。
「レッジさん、どこの町に付きましょうか」
「そうだなぁ。町ごとに何か違いはあるのか?」
『基本的に差はありませんえ。調査開拓員の皆さんの頑張り次第で勝ち負けを決めて欲しいですからね』
キヨウの言葉になるほどと頷く。
しかし、どこを選んでもいいと言われれば逆に迷ってしまうものだ。
現在の各町の参加人数も見たところ似たような数で拮抗しているし、どうしたものか。
そう悩んでいると、ミカゲがゆっくりと手を挙げた。
「……ホタルが、北町で参加する、みたい」
「なるほど」
この町を拠点にしている呪術師で、自身も呪具職人として店を構えミカゲと懇意にしている少女のことを思い出す。
彼女が北町ならば、そちらに付くのもいいだろう。
「これも何かの縁ってことかしらね」
「わたしたちは北町所属かぁ。他の町に強い人が居ないといいけど……」
山車はそれぞれの町の本拠地に置かれているという。
山車歩きの開始地点もそこになるため、俺たちは早速キヨウの北側に向かって歩き始めた。
「あれ、キヨウも来るのか?」
『ええ。面白そうですからね。特に助けたりはできませんけど、近くで見させてもらおうと思て』
俺の横をてくてくと歩きつつキヨウが言う。
彼女は祭りをプレイヤーと同じ目線で楽しみたいタイプらしい。
「ねぇ、レッジ。山車歩きは防衛班と妨害班の二つに分かれるみたいだけど、どっちに付く?」
「どういうことだ?」
歩きながらウィンドウを見ていたラクトが顔を上げてこちらに振り向く。
彼女が言うには、北町は山車を守りチェックポイントを巡る防衛班と、他の町の山車を攻撃して進行を遅らせる妨害班の二つに分かれるという基本方針を立てているようだ。
どちらも重要な役割を持つため、どちらを選んでもいいらしいが――
「そりゃあまあ、当然防衛だろ。戦闘とか妨害って柄じゃないしな」
「そういうのは闘技場のレート見てから言って下さいよ……。とはいえ、レティは妨害側ですかね。そっちの方が沢山戦えそうですし」
「私は防衛だな。本領発揮って感じだし」
「ならば私は妨害側で。走り回って他の山車を木っ端微塵にしましょう」
「……妨害がいい」
「わたしは防衛かな。動き回るのは大変そうだし」
それぞれのプレイスタイルを見て、レティ、トーカ、ミカゲが妨害班、俺、エイミー、ラクトが防衛班に分かれる。
基本的に素早く動ける戦闘職が町中を練り歩いている他の山車を叩き、動きは鈍くとも攻撃力の高い戦闘職が山車を守るというのが定石らしいから、俺たちもそれに沿って分かれたことになる。
「そういえば、生産職に出番はないのか?」
「〈鍛冶〉〈木工〉〈機械製作〉スキル持ちの人は山車の修理とか妨害設備の設置ができるみたいです。〈調剤〉〈料理〉は特に明言されてないですね」
山車を防衛する必要があると言うことは、山車が損傷する可能性があると言うこと。
また町の各地にはこの日限定で山車の進行を妨害する設備を建築できるようで、そちらの需要も高いのだとか。
「戦闘職も生産職も、ぜんぶ巻き込んでの競争か。たしかにお祭り騒ぎだね」
いつのまにか綿飴を握っているラクトが口元をぺろりと舐めて言う。
今までに無い大規模な激しい争いの予感に、俺は胸を躍らせた。
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Tips
◇綿飴
ふんわりと柔らかい雲のような甘いお菓子。
おいしい。
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