第37話「格闘家は目覚ましく」

 猛牛は咆哮を上げ、黒い蹄で土を蹴り上げる。もうもうと舞い上がる土煙を太い双角で切り裂き、猛然と驀進ばくしんする。


「『守りの姿勢』――『クラッシュガード』」


 牛の射線上で立ちはだかる一人の女性。彼女は泰然としてゆったりと腰を低くし、その両腕に纏った鈍色の盾を構える。

 青く透き通ったエフェクトが彼女を囲む。

 鮮やかな黄色のエフェクトが盾の表面を撫でる。

 次の瞬間、猛牛の角が彼女を貫く。生身の人間ならば逡巡の隙無く吹き飛ばされる、致命の一撃。ろくな鎧も纏わない彼女では、抵抗すら虚しく思えるほど圧倒的な力。

 しかし、


「ブムォッ!?」


 驚きに目を見張るのは獣だった。

 彼の雄々しい乳白色の角、その片方が根元からボッキリと折れていた。

 信じられないと牛はその黒い瞳に怯えを見せる。

 彼女はただ悠然と立ち、まるで大地に根ざしたかのように不動を保っている。


「――よし」


 誰に向けられたものでもない小さな囁き。

 それと共に、彼女は姿勢を変える。攻撃を受ける守りの姿勢から、獲物を狩る攻めの姿勢へと、流れる水のように推移する。


「『攻めの姿勢』、『鋼の拳』」


 纏っていた青を捨て、鮮やかな赤を纏う。

 その拳は握られ、鉄に及ぶ硬度を得る。


「疾ッ!」


 一瞬の動き。最低限の動作によって彼女は駆ける。

 それは牛が反応するよりも早くその眼前に到達し、その勢いの全てを乗せた拳が振り抜かれる。


「『殴打』!」


 カンッ! と骨を打つ甲高い音が広大な山麓に響き渡る。

 その一撃は牛の巨体を前後に貫き、背骨のことごとくを砕き折る。

 鮮やかな金色のエフェクトは、そのダメージが僅かな急所を的確に捉えた致命的な一撃クリティカルであることを高らかに示す。

 一瞬でHPの全てを刈り取られた牛は、何思うことなく絶命する。ゆったりと筋肉が弛緩し、土の上に倒れる。それを一瞥し、エイミーは今までで一際大きな息を吐いた。


「お疲れさん。かなり強くなったな」


 側の物陰から出ながら、俺は彼女に向かって拍手を送る。

 それに気付いた彼女は振り返ると、恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「そんな。皆に色々助けて貰ったお陰よ」


 などと言いつつもエイミーは今し方倒したばかりのボーンオックスを眺めて感慨に耽る。

 これでいったい何頭目の討伐になるか、解体役をしている俺にすら分からなくなってきた。修行を始めて早二日目である。夜に一度スサノオに戻った以外は延々と〈牧牛の山麓〉でボーンオックスを狩り続けていた。


「レッジのキャンプがなかったら回復の為にいちいち町に戻る必要があったし、ラクトがいなかったら一頭だけ釣ってくることもできなかったわ。それにいざという時にレティが備えてくれてるから、思い切って戦えたし」


 早速解体を始めながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


「それにしても昨日とは見違えるような強さですよね」


 ピコピコと耳を揺らしながらレティが称える。

 彼女の言うとおり、エイミーはこの短期間でめざましい成長を遂げていた。


「『鋼の拳』を覚えたのと、〈戦闘技能〉のレベルが上がったのが大きいよね。基礎的な攻撃力が底上げされてるし」

「そうね。『鋼の拳』と『攻めの姿勢』のシナジーはなかなか大きいと思うわ」


 ラクトの言に頷き、エイミーは改めてステータスを確認する。

 延々と集中的に狩りを続けたことによって、彼女の〈格闘〉スキルと〈戦闘技能〉スキルはレティにも迫る勢いで成長していた。その過程で、彼女は『鋼の拳』という攻撃力とクリティカルヒットの威力を上昇させるテクニックを習得し、それを機にネックだった攻撃力もかなり解消されたのだ。


「まあでも、未だにクリティカル以外のダメージは泣きたくなるわね」

「そこはまあレティも負けてられませんから!」


 もう少し攻撃力が欲しいなぁ、と素早く素振りを繰り返す、

 レティはそんなエイミーを見てむんと胸を張った。

 改めて見てみれば、大きなダメージソースとなるレティとラクト、攻撃を一手に引き受けるエイミーとなかなかバランスの取れたパーティなのではなかろうか。俺は――、俺はなんだろう?


「流石に重量がキツイな……。レティ、ラクト、荷物持ってくれないか」

「レティももうギリギリですよ」

「右に同じく。そろそろ一旦帰った方がいいんじゃない?」


 たまりに溜まった素材類を精算しなければ、満足に動くことすらできない。

 ラクトの提案に従って俺たちは町へと足を向けた。


「むーん、しかしレティもそろそろ遊びたいですね。ぱぱーっとハンマー振り回したいです」


 帰路の途中、レティがハンマーをぶんぶんと振り回しながら言う。ずっとエイミーの後方で待機していてくれたから、随分と欲求不満のご様子だった。


「たしかに。わたしもアーツを使いたいな。ずっと〈弓〉スキルばっかり使ってるんだよ」


 群れの中から牛を一頭だけ引き抜くため、弓で遠方から攻撃する役を受けていたエイミーも彼女に頷く。

 たしかに二人は、本来自分たちがしたいことを殺して協力してくれていた。俺は改めて二人に感謝を告げて、ついでずっと考えていたことを口にする。


「それなんだがな。そろそろボスに行ってもいいと思うんだ」

「ええっ!? ほ、ほんとですか?」


 レティがピンと耳を立てて迫ってくる。

 近づく顔にたじろぎながらも頷くと、彼女はラクトと手を取り合って小躍りした。


「やったやった! 久しぶりに大暴れできますよ!」

「あはは。嬉しそうだね」


 突然テンションが上限を突き破った彼女に、ラクトは呆れ顔である。


「いいの? もう少し鍛えた方が、足を引っ張らないと思うんだけど……」


 彼女達を見ていると、隣のエイミーが袖を引っ張る。

 不安げな表情を浮かべる彼女に視線を返し、俺は思わず吹き出した。


「もう戦力的にはエイミーは俺より上だぞ。レティたちにも手が届く」

「そ、そうなの? うぅん、なんか自信無いわね」


 なおも眉を寄せるエイミー。

 俺は"鏡"を操作して、自分のスキルを見せる。


「ほら。俺だってこんなもんだ」

「そ、そうなの? てっきりもうレベル70とかになってると思ってたわ」

「かなりのトッププレイヤーじゃないとそこまで行ってないんじゃないか……」


 意外そうな声を受けて思わず苦笑する。

 恐らく〈牧牛の山麓〉の適正レベルは武器スキルレベル20後半くらいだろう。彼女はそのラインを既に越えているし、むしろ更に奥のフィールドに行かなければこれ以上のスキルアップは望めない。


「よ、よぅし。それじゃあ私も頑張るわ」

「ああ。その意気でよろしくたのむ」


 それならばとやる気を出すエイミー。実際彼女が居れば、レティたちも攻撃に専念できる。

 今までずっと弱点として抱えてきた防御面を担う存在が現れたことで、パーティは更に安定しているはずだ。


「それでレッジさん。ボス挑戦はいつですか? 町に素材置いたらすぐ行くんですか?」

「いいや。それはない」


 浮き足だった様子のレティが、赤い目をキラキラとさせてにじり寄る。

 俺は彼女の肩を掴んで押しのけ、その言葉を否定した。途端に耳を折ってしょんぼりと肩を落とす彼女の頭に、軽く手刀を落とす。


「あいたっ! 何するんですか!?」

「とりあえず落ち着け。今何時だと思ってるんだ」


 きょとんと首を傾げるウサギ娘。


「だいたい、お昼過ぎって所ですかね?」

「誰がゲーム内時間だと言った。リアルタイムだよ」

「リアル? ……ふぎゃぁああ!?」


 不思議そうな顔で"鏡"に視線を落とした彼女は、一拍置いて奇妙な悲鳴を上げる。

 それを見たラクトとエイミーもそれぞれ確認しては声を漏らす。


「もう7時!? ゲーム始めたの、お昼過ぎなのに……」

「やば……。ま、ママに叱られる……」

「うわぁ。久しぶりに時間を忘れちゃってたわね」


 三者三様に表情を変える彼女たち。

 なんとなく予想はしていたが、全員時間を忘れていたようだ。


「ま、そういうわけだ。今日はとりあえず町に帰ったら解散でいいか?」

「そうだね……。それでお願いします」


 何故か顔を青くしているラクトの深い頷きを合図に、二人も了承する。

 俺も時間的にはまだまだ余裕のある悠々自適な一人暮らしの身ではあるが、そろそろリアルの方で何かしら栄養を摂らないと体調の異常を検知されて強制ログアウトを喰らってしまう可能性がある。

 ずっとイザナミの世界に没頭していて忘れかけていたが、ここはあくまで仮想現実なのだ。


「それじゃあまあ、とりあえず明日の昼過ぎくらいでどうだ?」

「レティはいつでも大丈夫ですよ!」

「わたしもそれくらいなら」

「あー、……ちょっと考えさせて。あとで連絡するよ」


 約一名予定の分からない人がいるため、後日の予定は追って共有することとなる。

 そうして俺たちはスサノオへと戻り、素材を売却して得た金を分配し、それぞれログアウトした。


_/_/_/_/_/

Tips

◇〈剣術〉スキル

 刀剣をはじめとした刃物類を用いて戦うスキル。王道故に奥深く、シンプル故に鍛錬の道は長く険しい。多種多様な派生を持ち、同じスキルを持つ者でもその戦闘スタイルは千差万別の様相を呈す。消費LPと威力、ディレイのバランスは大きすぎもせず小さすぎもしない。


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