第736話 厳父慈母

 お茶屋からの帰り道。

 流石にお市の帰りが遅いことに心配した茶々が実母と妹たち用に馬車を用意し、送ってきた。

「じゃあ、先帰るね?」

「ああ。お休み」

「兄上、ではまた明日」

「うん。明日な?」

「兄者、じゃあね?」

「お休み」

 お市、お初、お江の順番に接吻し、彼女たちが乗った馬車を見送る。

 茶々が馬車を派遣したのは、お市の娘・心愛が母親を欲し、大泣きしたのみ理由の一つである。

 残ったのは直虎、幸姫、稲姫、小太郎、珠、楠であるが皆、一様に、

「「「「「……」」」」」

 疲れが出ているらしく、少しゲッソリとした表情だ。

「じゃあ、帰るか?」

「「「「「はい」」」」」

 流石に2軒目に行くものでもない。

 妻妾が帰りたがっている中、無理に連れて行くこともない。

 大河からの提案に妻妾は頷いた後、笑顔を見せるのであった。


 お市たちから遅れて数分後、京都新城に馬車が到着する。

「「「「「「お疲れ様でした」」」」」

 先に妻妾たちが降車していく。

 女官や用心棒が先に降りるのは、礼儀作法的に駄目なのだが、大河がとがめることは無い。

 天守に上がり5人を見送った後、大河は私室に入る。

 病室の妻たちを見舞いたい所だが、夜遅い分、無理に起こす必要は無いだろう。

 浴室でシャワーを浴び、夜着にそでを通す。

 そして、寝室に移動する。

 襖を開けると、

「「「お待たちしておりました♡」」」

 阿国、姫路殿、小少将が敷き布団に侵入していた。

「……夜這いに来たのか?」

「丁度、部屋の前で鉢合わせしまして♡」

「それなら『一緒に同衾どうきんしよう』という結論に至りました♡」

「ささ、若殿。どうぞ♡」

 小少将に手を引かれ、大河は布団に入る。

「小少将、来てくれたのは嬉しいけれど、今晩は愛王丸と過ごす予定だったんじゃないか?」

 前夫との間に子供が居る妻たちは、基本的に子供との時間を優先することが多い為、大河との同衾は他の妻妾と比べ、少ない傾向になる。

「夕食は一緒に精進料理を摂りましたよ? ただ、愛王丸が『夜は義父上ちちうえとお過ごし下さい』と」

「全く。親に甘えるのが子供の義務なのに」

 呆れつつも大河は、小少将を抱き締める。

 その夜、4人は肉欲の時間を共に過ごすのであった。


 小少将たちを抱いた翌日。

 大河は、偶然にも愛王丸と精進料理を食べる機会があった。

 机に並ぶは、

巻繊汁けんちんじる

・ごま豆腐

・稲荷寿司

・みたらし団子

・天ぷら

・麻婆豆腐

・筑前煮

 の計7品。

 大河は、天ぷらを食らう。

「うん……旨いな」

「どうぞ。義父上ちちうえ

 愛王丸がお茶を注

《つ》ごうとするも、

酌婦しゃくふじゃないだろう? いいよ」

 大河は自分で注ぐ。

 彼の膝の上には、綾御前が横になっている。

「ぐへへへ♡」

 酒瓶を抱き締め、ゴロゴロ。

 朝から酒を飲めるのは、大河の監視があってこそだ。

 日本酒を喇叭飲ラッパのみし、起き上がっては夫を抱き締める。

「真田様♡」

「泥酔だな?」

「貴方にも酔ってるのよ♡」

 大河の頬に噛み千切らんばかりで接吻する。

 それから精進料理を摘まみだした。

 酒のてにするようだ。

 用意した愛王丸は、義母の酒乱ぶりに苦笑いである。

「……」

「済まんな。綾がこんなんで」

「いえいえ。楽しいことは良いことですから」

 戦国時代に楽しめなかった分、安土桃山時代に楽しみたいという気持ちが無意識に働き、羽目を外しているのかもしれない。

 あまり「綺麗な飲み方」とは言い難いが、大河以外には絡まない分、マシだろう。

 酒臭さを我慢しつつ、大河は綾御前を侍らせつつ、精進料理を食べ進めていく。

「ああ、そうだ。愛王丸」

「はい?」

「昨日、小少将と会食後、俺に配慮しただろう?」

「はい」

「気持ちは嬉しいが、折角の母子の時間だ。もう少し母親に甘えても―――」

「義父上のお気持ちも分かりますが、母上は自分と過ごしたのですから、次は義父上と過ごすべきだと思いまして」

「……ありがたいけど、子供に配慮される筋合いはないよ」

「きゃ♡」

 綾御前を抱き寄せつつ、大河は一転、獣の目で言う。

「正式に元服するまでは、親に甘えるんだ。それが我が家の家訓だよ? 『入郷而随郷郷に入っては郷に随ひ入俗而随俗俗に入っては俗に随へ』を忘れたか?」

「!」

 大河が発したのは、鎌倉時代から伝わる子供向けの教訓書『童子教どうじきょう』に載る一文である。

 著者は判っていないが、平安時代の天台宗の僧侶・安然あんねん(841? ~915?)作という説もある(*1)。

 仏教的、儒教的な教えがふんだんに盛り込まれたこの教訓書は、史実では明治時代の中頃まで日本の初期教育用に使用されていた為、日本人の精神性を表す道徳的専門書と言えるだろう。

 異世界・日ノ本の国立校でも採用されていることから、内容を知っている子供達は多い。

「……義父上の仰る通りでございます」

 愛王丸は、深々とお辞儀し、義父への敬意を払うのであった。


[参考文献・出典]

*1:齋藤孝 『こどもと声を出して読みたい 童子教 江戸・寺子屋の教科書』 2013年

   到知出版社

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