第726話 雨奇晴好

 伏見稲荷大社からの帰り道。

 ゲリラ豪雨に遭い、馬車は立ち往生。

 ここから京都新城までは、約6㎞なので無理をすれば帰れないことはない。

 が、大河は『石橋を叩いて渡る』性格だ。

「自分は事故にわない」という所謂いわゆる生存バイアスにかかってはならない。

「若殿、雨が弱まった時機で出発しましょうか?」

 雨合羽あまがっぱを着た鶫が尋ねる。

 駐車場の周りを確認して来た為、雨合羽はずぶ濡れだ。

「そうしたいが、弱まっても途中で土砂災害に遭うかもしれないからな」

「では、もう少し待ちます?」

「いや、春が心配だから徐行運転で頼む。あと、土砂災害が起きそうな道は、滑りに気を付けつつ、少し急ぎ目で」

「は」

 鶫は頭を下げて出ていく。

 早川殿がこちらを見た。

「真田様、私のことは気にせず―――」

「だあめ。甘えるんだよ。こういう時こそ。出産後は忙しくなるんだから」

「……はい♡」

 今川範以いまがわのりもちなどを生んだ時、世は戦国時代であり、更に氏真が育児に積極的ではなかった為、女官の手伝いもあったものの、それでも相当に苦労した。

 対して、今は平和な安土桃山時代。

 その上、夫は日ノ本一育児に積極的な大河だ。

 早若殿は、存分に甘えることにした。

 ちなみに謙信は、

「zzz……」

 大河の真向かいでお市と綾御前に介抱されつつ寝ている為、静かだ。

 家格が高い2人が、この状態の為、当然、左右はそれよりも低位な者が権利を得る。

 籤引くじびきの末、この特等席を手に入れることが出来たのは、今回の旅の言い出しっぺである松姫、阿国のコンビであった。

 お市たちに奪われた権利を、最後に籤運くじうんで手繰り寄せたのである。

「松たち、楽しめた?」

「「はい♡」」

 2人は満足気に頷く。

 拝んだ内容は言わずもがな、安産のことだが、口に出すことはない。

 世の中には言霊ことだまが存在する、とされるが、2人はそれぞれ仏教徒と神道の信者として「神様に祈願したものを易々やすやすと口に出すものではない」と考えていた。

 大河も気にはなるが、自分から聞くのは野暮やぼの為、深入りすることはない。

 幸姫のお腹を撫でつつ、もう1本の腕は阿国の腰を撫で回す。

 そして、松姫には接吻だ。

「松は子供に仏道を継がせるのか?」

「そうしたいですが、本人次第ですね。男の子なら軍人。女の子なら教員を勧めたいです」

「なるほど。阿国は?」

「私は、舞踏家以外なら何でもいいですよ」

「何故、舞踏家は駄目なんだ?」

「生傷が絶えませんからね。本人がそれでもいいのならば認めますが」

 大河が累やデイビッドなどを自由主義に教育している為か、女性陣の間にもその方針が浸透されつつあるようだ。

 大河の両足は、侍女のナチュラと幸姫が揉み揉み。

「「……」」

 残りの甲斐姫と小少将は、手持無沙汰てもちぶさたで見守っている。

「可い、小少将。暇?」

「はい……」

「暇です」

「なら、ここ」

「「!」」

 松姫、阿国を両脇に抱き寄せ、彼女たちが居た空間に2人を呼び込む。

「「ありがとうございます♡」」

 2人が席に着いたと同時に馬車は進みだす。

「ナチュラ、幸。足、ありがとう」

「「はい」」

 2人は頷いた後、手を手巾で拭く。

 本当は目の前でするのは失礼なのだが、大河が「気にしていない」とのことなので、このようなシステムなのである。

 それから、甲斐姫と小少将は左右に座った。

「小少将、愛王丸また高僧に褒められていたよ」

「本当ですか?」

「ああ、だよ」

 血が繋がっていないにも関わらずそこまで言ってくれる大河に、小少将は笑顔になる。

「可い、以前作ってくれた蕎麦そば、心愛が食べたがっていたから、次も頼みたい」

「分かりました―――あ♡」

 強く抱き寄せられ、甲斐姫は思わず甘い声を出す。

 おおやけでは、”東国無双の美人”(*1)と評されるものの、大河の前では借りてきた猫のように弱い。

 全員とイチャイチャする大河を乗せた馬車は、徐行運転で進むのであった。


[参考文献・出典]

*1:著・小沼十五郎保道 解説・大澤俊吉訳 『成田記』歴史図書社 1980年

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