第696話 首都防衛

 万和6(1581)年5月10日夕方。

 出羽国(現・秋田県、山形県)の空港に山城真田家一行が集まっている中、

「……」

 大河は、与祢と伊万を抱っこしながら静かに鶫の報告を聞いていた。

「宇津長成が京への進軍を決意した模様です」

「……動機は?」

間者かんじゃ(現・諜報員スパイ)によれば、『現状の不満』だそうです」

「……左遷させんされているから?」

「恐らく」

 室町幕府の旧臣は、信長と敵対し敗れて以降、散り散りだ。

・処刑された者

・地方や離島に放逐ほうちくされた者

・人権を剥奪された者

・行方不明になった者

 ……

 信長の意向は勿論のことだが、大河の方針も大きい。

 かつて平清盛が源頼朝を助命したことで、後に平氏滅亡の原因となったことから、助かった者も一生、監視される状況だ。

 長成の情報が筒抜けなのもその為である。

「……どうしますか?」

 与祢が見上げて問うた。

「そりゃあ、迎撃するよ」

 わらって、伊万の頭を撫でる。

「若殿♡」

 こんな状況下でも笑みがこぼれているのは、大河が過信しているから―――ではない。

 新しい兵器が使用出来るからだ。

絡繰からくりは、全部使える?」

「はい」

「珠、明智殿に連絡を。首都防衛の全権限を一時的に委譲する」

「! は!」

 父への信頼度の高さが分かり、珠は笑顔で首肯した。


 珠から連絡を受けた光秀は、早速動く。

京北けいほくは、大殿から頂いた私領だ。その地を汚す者には鉄槌を下さなければならない」

「「「応!」」」

 召集しょうしゅうされた300人の兵の士気は高い。

 高給な分、待機の時間が多く、久々の戦闘にたかぶっているのだ。

 光秀は早速、京都新城地下にある指令室に入る。

 緊急時と訓練時以外、殆ど使用しない為、出来て数年経つ筈だが、まだまだ真新しい。

 滅菌室のような清潔さだ。

 丸い形の絡繰りが掃除を欠かせない御蔭おかげである。

 一緒に指揮をるのは、光慶みつよし

 永禄12(1569)年の12歳(史実での生年は諸説あり)の子供を入らせるのは、現代感覚では違和感を覚えるだろうが、元服が11~17歳で行われている(*1)ことを考えると、必ずしも「早い」とは言い難いだろう。

 本能寺の変(1582年)後は様々な説があり、その生涯は断定されていない。

 ―――

 ①死亡説

 1、病死

 亀山城(現・京都府亀岡市)で一報を聞き、父の無道を嘆いてその場で悶死(病死)した説(*2)(*3)(*4)

 2、自害

 坂本城(現・滋賀県大津市)で変の前から居り、父の戦死後、中川清秀、高山右近等の攻撃を受けて、落城の際に他の一族と共に自害した説(*4)

 ②生存説

 1、妙心寺みょうしんじ(現・京都市右京区)の住職・玄琳説(*5)

 2、光秀の唯一の肖像画がある本徳寺(現・大阪府岸和田市)を開山した僧の南国梵桂なんごくぼんけい説(*6)

 3、上総国の土岐重五郎説(*7)

 4、鹿児島へ落ち延び、島津家久に庇護された説(*8) 

 ―――

 父・光秀も天台宗の僧侶・天海と同一人物説があるように、2人は不可思議ミステリアスな父子と言えるだろう。

 キリっとした顔つきは、若い頃の光秀と瓜二つだ。

 長男だけあって、その血を色濃く受け継いだに違いない。

「父上、良いんですか? 姉上の許可なく入っても?」

「良いんだよ。管理者は珠だが、その上の婿殿が許可を出したんだ。珠がくつがえせるものじゃないよ」

「……は」

 それから、光慶は目前に並ぶ絡繰りを見た。

「……初めて見ましたね」

「南蛮の言葉で『どろ~ん』というものらしい。意味は『無人』だそうな」

「はぁ……」

 初めて見る無人航空機ドローンに光慶は、興味津々だ。

「何故、絡繰りなんですか?」

「若殿曰く『平和な時代になれば、それに慣れた人々の心は、戦時中よりも弱くなる。良心の呵責かしゃくを防ぐ為だ』と仰られていたよ」

「なるほど……?」

 分かるような分からないような。

 微妙な反応の光慶である。

 ただ、戦地から帰って来た兵士が発症する精神疾患は社会問題となっている。

 特にベトナム戦争以降、PTSDを発症する兵士が多く、その悲劇は映画の題材にもなった。

 それを緩和する為にアメリカが進めたのが、だ。

 兵士は遠い場所からロボットなどで標的を攻撃し、殺人に対する心理的抵抗感を減らそうと努めている。

 中には基地でゲーム感覚でテロリストを殺害し、帰宅後、家族と平和な日常を過ごす例も見受けられている。

 罪悪感を少なくする為の方法ではあるものの、簡素化された場合、より殺人への現実リアルさが感じられなくなり、逆に残虐になる可能性も考えられるだろう。

「まずは見学だ」

 そう言って、光秀は操縦席に座った。


[参考文献・出典]

*1:コトバンク

*2:熊田葦城『少年武士道.第1』 東亜堂 1908年

*3:中岡未竜『明智光秀今昔観 : 附・福知山繁昌記』丹波史蹟研究会 1919年

*4:小和田哲男 『明智光秀と本能寺の変』PHP研究所〈PHP文庫〉 2014年

*5:大野富次 『明智光秀は天海上人だった!』

  ディスカヴァー・トゥエンティワン 2019年

*6:楠戸義昭 『戦国武将「お墓」でわかる意外な真実』PHP研究所 2017年

*7:大室晃『市原地方史研究』10号 1980年

*8:柳別府武志『歴史研究』690号 2021年

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