第652話 真田裁定

 織田信孝の辞任の手続きは進む。

 そして、万和6(1581)年2月28日、信孝は、緊急会見を開く。

 羽柴秀吉を後ろに控えさせて。

「「「……」」」

 パシャパシャと集まった報道陣は、フラッシュをきまくる。

 登壇した信孝は、一礼後、マイクを握った。

『えー、この度、私事の為に御集り頂き誠に有難う御座います。

 今回、突然の会見を開かせて頂いたのは、私自身の健康上の問題についてお話をさせて頂きたいと思ったからであります』

「「「!」」」」

 どよめく報道陣。

 内閣広報官の珠が、沈静化を図る。

『皆様、御静粛に御願いします』

 広報官が、大河の家臣なので、それだけでも織田家と山城真田家の繋がりの深さが分かるだろう。

 どよめきが一段落した頃合いを見て、再び信孝は口を開く。

『国民の皆様に明かしておりませんでしたが、私は戦国乱世の時に前線で負傷しまして、その古傷が最近になって痛む様になり、それが精神的な負担となりました』

 勿論、この話は嘘だ。

 信孝の健康状態は悪くない。

 それでも理由をのは、正直な理由(大河に嫉妬したから)だと、非常に体面が悪いからだ。

 言うても天下人・織田信長の子供なので、その体面は守る必要がある。

 なので、この理由は、大河考案の脚本シナリオであった。

 集まっていた報道陣も、「それなら仕方ない」という空気になる。

 こうなるのも、報道陣の半数以上が国営紙や国営放送の関係者だからだ。

 同町圧力により、民間の記者もその空気に飲まれていく。

 完全に大河の脚本通りの事が進んでいく。

(……真の天下人は、やはり真田だな)

 内心でそう思いつつも信孝は、続ける。

『内閣総理大臣は、時に日ノ本の運命を左右しなければならない選択に迫られる可能性が御座います。

 その際、後遺症によって思考が安定しないままでいると、最悪の場合、重大な失態を犯す可能性があります。

 私は愛国者として、そして内閣総理大臣としてその様な事は望んでいません。

 その為、この度、残念ながら職を辞する事を決断しました』

「「「……」」」

『短期間では御座いましたが、様々な課題に挑戦する機会を得る事が出来、最近では、太陽王国や新大陸との外交に尽力する事が出来ました。

 これもひとえに御支持して下さった国民の皆様の御蔭であります。

 本当に有難う御座いました』

 再び、お辞儀する。

 先程以上に腰を曲げて。

 そして、珠に視線を送る。

『それでは、これから皆様から御質問を頂きます。

 前の方からどうぞ』

 珠が挙手していた記者を指す。

 勿論、所属先は、国営紙だ。

『はい、極東新聞の田中伝左衛門たなかでんざえもんです。

 宜しく御願い致します。

 ご質問したいのは、主に3点。

 まず一つ目、辞意に至ったのは具体的にどの様な時機での御決断だったのでしょうか?

 二つ目、主治医の見解を御教え下さい。

 そして最後に任期途中での辞任は、「丸投げ」とも解釈出来ましが、その辺の批判にういては、どの様なお考えでしょうか?』

 国営紙であっても、一応は記者なので手厳しい質問は当然あり得る。

 なぁなぁな関係性だと、政権が倒れた際、国営紙も共倒れになる可能性があるからだ。

『はい。具体的な時機に関しては断言は出来ませんが、少なくとも年末辺りかと思います。

 二つ目ですが、御話ししたいのは山々です。然し、私的な事でもある為、大変申し訳難いのですが、控えさせて下さい』

 政治家であってもこの手の類は、個人的な事だ。

 詐病さびょう等、確固たる証拠が無い限り、記者は追及する事は難しい。

『最後の批判に関しては、目を背ける事は出来ません。

 甘んじて受け入れる覚悟であります。

 ですので、この事は次期首相に尻拭いさせてしまう事にはなります』

 ドッと、報道陣は笑う。

 余りにも直球な答えだったからだ。

『有難う御座いました』

 記者が下がると、珠は2人目を指名する。

『次の方、どうぞ』

『はい、極東日報の大村勘左衛門おおむらかんざえもんです。

 今しがた、次期首相の話が出ましたは、既に内定されているのでしょうか?』

 歴史的に与党の総裁等が次期総裁(次期首相)を指名する場合がある。

 ―――

 例(*1)

椎名しいな裁定(1974年)

 1974年、自民党は、

・同年の参議院選挙での敗北

・金脈問題

 により、田中角栄首相が退陣。

 後任に、

・大平正芳  大蔵大臣 (後、68~69代首相 任期:1978~1980 1910~1980)

・福田武夫  前大蔵大臣(後、67代首相   任期:1976~1978 1905~1995)

・三木武夫  前副首相 (後、66代首相   任期:1974~1976 1907~1988)

・中曽根康弘通商産業大臣(後、71~73代首相 任期:1983~1987 1918~2019)

 が挙げられ、副総裁・椎名悦三郎しいなえつさぶろう(1898~1979)は、同年末、最終的に三木武夫を指名。

 これによって三木内閣が誕生する。

②中曽根裁定(1987年)

 当時、自民党の総裁は、3選禁止であり、中曽根首相も1986年に任期満了で退陣予定だったのだが、同年の衆参同日選挙で自民党が圧勝した事から、功績により首相の続投が決定。

 然し、

・安倍晋太郎前外務大臣   (任期:1982~1986        1924~1991)

・竹下登  前大蔵大臣   (後、74代首相 任期:1987~1989 1924~2000)

・宮澤喜一 大蔵大臣    (後、78代首相 任期:1991~1993 1919~2007)

・中川一郎 元科学技術庁長官(任期:1980~1982        1925~1983)

・渡辺美智雄前通商産業大臣 (任期:1985~1986        1923~1995)

 等を後任に推す声もあり、総裁の任期の延長は、通例の2年から1年となり、首相の昭和62(1987)年での退陣が決定した。

 その後、暗闘が行われ、中曾根首相は、竹下を指名し、次期首相が決定する。

③竹下裁定(1989年)

 リクルート事件等で竹下内閣の支持率が低迷し、首相は辞任を決意。

 その後任には、

・安倍晋太郎元外務大臣   →リクルート事件に関与した為、辞退。

・宮澤喜一 元副首相    →同上。

・渡辺美智雄元通商産業大臣 →同上。

・伊東正義 総務会長    →持病の悪化により、辞退(*2)。

・福田赳夫 元首相     →安倍晋太郎、伊藤正義の反対(*3)

・坂田道太 元衆議院議長  →「元議長経験者の首相は国会の権威を損なう」

・河本敏夫 元沖縄開発庁長官→自身が所有する海運会社の倒産が懸念。

・後藤田正晴元官房長官   →「私は総大将には向かない」

・藤波孝生 元官房長官   →人選中に起訴され、首相候補から外れる(*4)。

 等が挙げられるも、何れも辞退等により、人選は難航。

 最終的には、

・宇野宗佑 外務大臣

・村山達雄 大蔵大臣

・山下元利 元防衛庁長官(任期:1978~1979 支持者:自由革新連盟若手議員)

 が残り、最終的には、

・宇野  →同年夏に先進国首脳会議が控えている為、外務大臣は好都合

・村山  →消費税導入の担当大臣であった事が懸念材料

 から宇野宗佑が後任に選ばれる。

 ―――

 織田政権においては、内部では、山城真田派一強なので、この様な暗闘は行われないだろう。

『真田裁定』の下、決定した様なのだ。

 信孝は、秀吉を見た。

 秀吉は首肯し、登壇する。

 先程以上にまばゆいフラッシュだ。

『後任は、彼です』

 

[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:週刊現代 2019年6月8日

*3:鈴木棟一『田中角栄VS竹下登 4 経世会支配』講談社〈講談社+α文庫〉

   2000年

*4:後藤謙次『ドキュメント 平成政治史 1 崩壊する55年体制』岩波書店 2014年

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