第624話 愛楊葉児
万和6(1581)年1月3日夜。
饗応の夕食を
大所帯の為、緩い修学旅行感の様だ。
女性陣が寝静まった時間帯、大河は、徳川家康、真田昌幸、成田氏長と寿司を摘まんでいた。
元康の事がある為、千姫は居ないが、松姫、甲斐姫も一緒だ。
2人は、大河の左右に座り、其々の父親と向き合っている。
「婿殿、千と元康を定期的に里帰りさせて下さり、有難う御座います」
家康は、深々と頭を下げた。
「いえいえ。江戸城ではどんな御様子で?」
「楽しく暮らしていますよ」
将来的には、徳川姓を名乗らせる予定なので、元康は、早くから江戸城での生活に慣れてもらわなければならない。
元服するまで京都新城で過ごすのも良いが、家康が「出来るだけ傍に居て欲しい」という事で、江戸城での滞在時間が多いのだ。
「他の方々の反応は?」
「皆、可愛がっていますよ。我が家も山城真田家と同じ位、大家族ですからね」
余り知られていないが、家康も又、、大家族だ。
史実での彼の関係者は以下の通り。
―――
『正室:
継室:朝日姫(1543~1590)豊臣秀吉妹
側室:
側室:おこちゃ(1548~1619) 1男(結城秀康)
側室:お愛の方(1552or1561~1589)2男(徳川秀忠、松平忠吉)
側室:於竹 (? ~1637) 1女(振姫)*1
側室:下山殿(1564? ~1591) 1男(武田信吉)
側室:
側室:於亀(1573~1642) 2男(平岩仙千代、徳川義直)
側室:於久(? ~1617) 1女(松姫)*2
側室:蔭山殿(1577~1653)2男(徳川頼宣、 徳川頼房)
側室:於梶(1578~1642) 1女(市姫)
側室:於富(? ~1628)
側室:於夏(1581~1660)
側室:於六(1597~1625)
側室:於仙(?~1619)
側室:於梅(1586~1647)
側室:阿茶局(1555~1637)
側室:於牟須(? ~1592)
側室:於松(? ~?)
側室:三条氏
側室:松平重吉の娘
養子:3男(松平家治、松平忠政、松平忠明)
養女:22女』(*3)
―――
正室1人、継室1人、側室20人、実子16人。
これに実子以外の子供が26人含まれる為、両者合わせると、42人。
更に落胤と思しき人物が8人(*3)居る為、若し、落胤も実子あるならば、家康の子供は、合計50人。
これに妻を合わせると、家康の関係者は、合計72人だ。
サッカーが約6チーム出来る程の大所帯である。
家康最後の子供である市姫は、彼が66歳の時に生まれた。
現代では、前期高齢者に該当する老人が、20代後半のお梶の方を妊娠させ、産ませたのは、現代と比べると、
・そもそも平均寿命が短い
・医療技術が未発達で難産死がよくある時代
を考慮すると、奇跡ではなかろうか。
尤も、市姫は、3歳の時に、野苺を摘んでいる時に毒虫に刺され、急死する(*3)という不幸な事故に遭っているが。
兎にも角にも、山城真田家同様、大家族な徳川家では、元康が孤立する事は無い。
「婿殿、2人の事は良いんですが、稲も積極的にな?」
「はい?」
「稲が千の隣に居る為、稲が婿殿に近付けず、嘆いていましたよ」
「あー……」
千姫の為を想って、稲姫を彼女の専属侍女として帯同させているのだが、稲姫が気にしていたのは、失念していた。
「……義父上は御怒りに?」
「忠勝は不満気でしたよ。まぁ、陛下やお初殿を御優先されるだろうから、その辺は理解している様ですが」
「……分かりました」
頭を掻きつつ、大河は、松姫と甲斐姫を両手で抱き寄せては、
「珠、済まんが、稲を呼んできてくれ。本多殿には、謝罪も代理で頼む」
「は」
珠が出ていき、暫くすると、稲姫を連れて戻って来た。
稲姫は、久々に大河を見るなり、
「真田様♡」
喜色満面。
大河に抱き着き、押し倒し、
「稲、流石にはしたないぞ?」
家康が苦笑いで窘めると、
「あ、大殿。これは、はしたない所をお見せしてしまいまして……」
稲姫は、居住まいを正す。
大河は、稲姫を抱き起こした後、尋ねた。
「では、稲は、引き取るとしてまして代わりの侍女は、どうしましょうか?」
「「「「「!」」」」」
大河の提案に、彼の背後に控えていた、
・鶫
・珠
・ナチュラ
・伊万
・与、
の5人は、唇を真一文字に結ぶ。
千姫と稲姫は、古くからの付き合いだ。
その為、万が一、代替要員として派遣されるには、千姫と1から関係を作らなければならない。
又、千姫は、定期的に江戸城で行っている。
最近では、家康の意向もあり、その頻度は高くなり、大河とは、余り会えていない。
千姫の専属侍女になれば、拠点を江戸に移す分、大河との接触も減るのだ。
「「「「「……」」」」」
5人は固唾を飲んで、見守る。
家康は、柔和な笑みで答えた。
「侍女はこっちで手配しますから大丈夫ですよ」
「「「「「……」」」」」
目に見えて、5人は安堵の表情を浮かべた。
「分かりました。では、千を頼みます」
「ええ。それと婿殿」
「はい?」
「本当に元康は、『徳川』を名乗らせても良いんですよね?」
大河は、即答した。
「勿論。但し、跡目争いに発展した場合は、武力行使してしても敵対者は殺害しますよ?」
「ああ、分かっていますよ」
家康は、苦笑いで首肯した。
大河が懸念しているのは、家康の子供達だ。
史実では、彼の男児は、15人居る。
長男 :松平信康
次男 :結城秀康
三男 :徳川秀忠
四男 :松平忠吉
五男 :武田信吉
六男 :松平忠輝
七男 :松平松千代
八男 :平岩仙千代
九男 :徳川義直
十男 :徳川頼宣
十一男:徳川頼房
猶子 :八宮良純親王
養子 :松平家治
:松平忠政
:松平忠明
この内、万和6(1581)年時点で生まれているのは、
長男 :松平信康
次男 :結城秀康
三男 :徳川秀忠
四男 :松平忠吉
養子 :松平家治
:松平忠政
の6人。
その内、松平信康は、自刃している為、実質、跡目争いは、5人である。
年齢順だと、
結城秀康(7)、徳川秀忠(2)、松平家治(2)、松平忠吉(1)、松平忠政(1)であり、秀康が、跡目の最有力候補と言えるだろう。
尤も、秀康の母は、神主の娘。
秀忠の母は、室町時代の初期に三河守護代を務めた事もある、土岐氏の一族である三河西郷氏の出自なので家格的に秀忠の方が上回る。
その為、秀康は早くから後継者争いから脱落し、史実では、羽柴家の養子になった後、結城家の養子となり、その後はその姓のまま天寿を全うした。
大変有能な武将であった為、家格さえ低くなければ、徳川幕府2代目の将軍も十分にあり得た、と言えるだろう(1607年に病死した為、若し、家格が高くても、この早逝で秀忠に御鉢が回った可能性も十分にあり得るが)。
今回に照らし合わせると、非常に難しい問題だ。
出自 肩書
大河 →? :近衛大将 (現在 )
お愛の方(秀忠の生母)→名門・土岐市:三河守護代(室町時代初期)
この為、揉める可能性は十分にある。
大河は、空気となっている松姫、甲斐姫を抱き寄せ、膝の上で甘えまくる稲姫の頬擦りを受け止めつつ、告げる。
「『徳川』を名乗らせても、あの子は私の子供ですから。
[参考文献・出典]
*1:下山殿が母説もあり
*2:於梶が母説もあり
*3:ウィキペディア
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