第618話 福島正則

 酒瓶を片手に福島正則は、睨みつける。

 大河が周囲を女性で固めている事について、

「近衛大将、臆したか?」

 と嗤う。

「……」

 薙刀を持つ与祢は、更に睨みを利かせた。

 主君を貶められた事に対して、不快に思わない家臣は、佞臣ねいしんだ。

「正則、何が言いたい?」

 大河は、姫路殿と握手したまま歩み出る。

「……赤備えの俺をくれ」

「酒乱にはやれんな」

「何?」

「酔って家臣を切腹に追い込む奴が、上に立てると思うか?」

「う……」

 嫌な記憶が蘇り、正則の表情が歪む。

 然し、反論を用意していた様だ。

「だが、井伊直政は、軍規が厳しいぞ?」

「そうだな」

 事実なので、大河は否定しない。

 その厳しさから、

近藤秀用こんどうひでもち(1547~1631) 遠江井伊谷藩藩主

庵原朝昌いはらともまさ (1556~1640)

 等は出奔しゅっぽんし、筆頭家老の木俣守勝きまたもりかつ(1555~1610 楠木正成の嫡孫ちゃくそんの子孫)は、家康に異動を願い出た程である(*1)。

 福島正則に仕えれば、酒乱に遭い、最悪切腹になるが、井伊直政だと厳しさに耐えれず出奔に走る。

 其々それぞれの家臣は相当、大変であろう。

「奴には向かん。赤備えをくれ」

「……そうか。その心意気認めよう」

「じゃあ―――」

「奥様、どう思います?」

 大河が声をかけると、襖が開いた。

「本当に旦那が申し訳御座いません」

 尼僧の登場に、正則は一気に血の気が引く。

「な、何故お前が……?」

「松様の友達だからよ。千様の御子様・元康様の育児も手伝っているしね」

 尼僧の正体は、昌泉院しょうせんいん(? ~1642)。

 三河国牛久保城(現・愛知県豊川市牛久保町)城主・牧野康成まきのやすなりの娘で徳川家康の養女だ。

 史実では、慶長9(1604)年に正則の下に側室に嫁ぎ、二女を産むのだが、物凄く嫉妬深い性格な様で、ある時、女性問題で怒り、夫を薙刀で斬りつけたという(*2)。

 戦場では臆した事が無い事を自慢していた正則であったが、この時ばかりは、命辛々いのちからがら逃げ出した、とされる(*2)。

 夫婦間でこの刃傷沙汰は、現在だと警察に通報されるレベルの大事おおごとだが、流石、武士と武士の家に生まれた女性の話であろう。

 余談だが、直政も正室・唐梅院とうばいいん(? ~1639)に頭が上がらなかった(*2)、との事なので、

・同い年

・部下に厳しめ

・恐妻家

 と、何かと縁のある2人である。

 大河が、余裕綽々よゆうしゃくしゃくの最大の理由が、この昌泉院しょうせんいんだ。

 松姫の親友で、千姫に仕える侍女として普段は、彼女の身の回りの世話を行い、元康が生まれると、彼の乳母の1人としても活躍している。

 そんな侍女が偶然にも年末年始、シフトに入っていた為、大河は態々わざわざ会わせたのである。

「貴方、あけましておめでとうございます」

「……明けましておめでとう」

 威厳を保つも、正則は正座だ。

 その額には、冷や汗が混ざっている。

「私が年末年始、家にも帰らず、仕事をしている間、お酒ですか?」

「う、いや……これは……」

 酒瓶を隠すも、もう遅い。

「然も、御殿様を呼び捨てるわ、天守を侵すわ……一体、幾つ恥を晒せば気が済むのでしょうか?」

「……」

「この事は、養父上ちちうえに御報告します」

「! 内府ないふにか? それは―――」

「聞いた所によりますと、酒に酔った挙句に、調度品も多数壊したそうですね?」

「!」

 昌泉院しょうせんいんの声は、どんどん低くなっていく。

「以前、酒が原因で忠臣を1人、死なせたのは、もうお忘れですか? 貴方は、その時、断酒を宣言しましたよね? あの時の誓いは嘘だったのですか?」

「……」

 正則は俯いて何も言えない。

 笑顔で静かに理論的に怒る昌泉院に、与祢や珠は、恐怖を覚え、大河の背中に隠れた。

 鶫、ナチュラも内心は、恐怖で一杯いっぱいだ。

「若殿」

「はい」

 大河も敬語である。

 この空間の支配者は、昌泉院である事を物語っていた。

「今回の愚行は、元日と私の顔に免じて許して下さいませんか? 三振法の下、今回は弁償だけで済ませたいのですが」

「構いませんよ。非武装ですしね」

「有難う御座います」

 深々と頭を下げた後、昌泉院は、与祢を見た。

「与祢様」

「ひゃい!」

 いきなり名指しされ、与祢は震えた。

「その薙刀、お借りしたいのですが、宜しいでしょうか?」

「どうぞ……」

 大河の背中に隠れたまま、薙刀を渡す。

「有難う御座います」

 昌泉院はそれを握ると、

「さぁ、貴方。我が家に帰りましょ?」

「……はい」

 薙刀で首筋を突かれ、正則は両手を上げた。

(天守で血は見たくないんだけどなぁ)

 大河の心配を他所に、昌泉院は捕虜になった夫と共に天守を下っていくのであった。


 後日、賠償金が大河の下に届けられる。

 壊したのが高級品ばかりであった為、正則の給金では到底払う事が出来ず、一部を家康が負担する事になり、彼からも詫び状が届いた。

 昌泉院を怒らせ、家康にも恥をかかせた正則は、この一件を大いに反省し、又、迷惑をかけた大河にも逆らう事は難しくなるのであった。


 時は戻って元日の夕方。

 大河は、誾千代と松姫、幸姫、阿国、稲姫と同衾していた。

「珍しいね。殺さないのは?」

 誾千代は、大河の頭を撫でる。

「松や稲の友達に恨まれたくないからな」

「「有難う御座います♡」」

 松姫と稲姫は、笑顔で大河の頬に口付け。

 誾千代は胸板に寝転がり、2人は、左右に居る形だ。

 右脇を枕にしていた阿国は、残念がる。

「見たかったですね」

 日ノ本一の舞踏家である阿国は、朝から御所の方で新年会に出席し、朝顔達の前で、舞踏を披露していたのだ。

「騒がしかったのは、そう言う事ね」

 左脇を枕にしていた幸姫は、納得した。

 あの時は、睡眠不足で自室に戻り、仮眠していたのだ。

 松姫は、頬擦りしつつ尋ねる。

「雇っていたのは、対策の為?」

「そうだよ。彼女が侍女である以上、彼奴あいつは、謀反が出来ない」

「「「「「……」」」」」

 策士、と5人は思った。

「あ、そうだ。誾。初詣は何処行きたい?」

 元日に行くのが、山城真田家の慣習であるが、大所帯や警備上の観点から、繁忙期は避けるのが、常識になっていた。

 なので年越しから既に10時間以上経っているが、未だ初詣には行っていないのだ。

「任せるよ」

「じゃあ……」

 暫く考えた後、誾千代は答えた。

「……日光東照宮」

「決定だな」

 これまで関東への遠出に対し、難色を示していた大河であったが、鶴の一声で関東への旅行を決めたのであった。


[参考文献・出典]

*1:小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での地位」『学習院史学』40号 

  2002年 /所収・小宮山敏和『譜代大名の創出と幕藩体制』吉川弘文館 2015年

*2:ウィキペディア

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