第603話 麟子鳳雛

「そうだったんですね」

「それは辛いね」

 離縁の経緯を聞いた尼僧と女子大生は、姫路殿に同情した。

 姫路殿の事は余り知らないが、年齢的に初婚であり、然も結婚生活はそれなりに楽しんでいた様なので、結婚生活の辛い部分を知らずに別れたのだろう。

 そういう意味では、幸せ者なのかもしれないが、幸せの基準は人其々それぞれ違う為、今、この場で言う事でも無いが。

「……秀吉様は、私に離縁の理由を何一つ、お教え下さりませんでした。私の何が一体、御不満なのでしょうか?」

「……それは、私には分かりませんね」

「私も。そういうのは、夫婦の問題だから」

「……そうですよね」

「でも」

 松姫が、姫路殿の肩を抱く。

「これだけは言える。ここでは、皆、傷物きずものだから」

「? 傷物?」

「貴女より酷い過去を持った方々を、この家は、寛容ですから」

「そうだね。私みたいな大女おおおんなも受け入れてくれるしね」

 幸姫も逆側からくっつく。

「傷が癒えるのは時間かかるだろうけども……ここでゆっくりし」

「そう。あの人、仕事しなくても怒らないから」

「……はぁ」

 山城真田家の緩い雰囲気に、姫路殿は、圧倒されるのであった。


 入浴後、大河は、呼吸するかの如く、綾御前達と同衾し、朝を迎えた。

「……」

 重さを感じ、目覚める。

 すると体中に女性陣が、粘液の様に纏わりついていた。

 綾御前は右腕に。

 甲斐姫は左腕。

 直虎は腹部で、右足、左足は其々それぞれ、小少将とナチュラがしがみ付いていた。

「……」

 鶫、楠、小太郎、珠を探すと隣の布団に居た。

 彼女達も参加した様で、皆、一様いちように夜着がはだけている。

 昨晩の事は、然程覚えていないが、恐らく、一緒に愉しんだのだろう。

(朝風呂行きたいなぁ)

 綾御前と甲斐姫が起きない様に、そっと両腕を1本ずつ引き抜く。

 次に両足も1本ずつ同様に行う。

 夜這いされ、翌日、この様な形で拘束される事が多々ある大河は、この様に慎重に引き抜く事で妻達を起こさない特技を習得していた。

 最大の問題は、腹部の直虎だ。

「zzz……」

 人一倍、大きな鼻提灯を作っては、熟睡している。

 大河の記憶で昨晩、最も獣であったのが、彼女だ。

 にも拘わらず、今は子犬の様な寝顔なのは、非常にギャップ性を感じる。

(こいつは、良いか)

 直虎が落ちない様に支えつつ、大河は布団から抜け出て、昨晩の汚れを落とす為に朝風呂に向かうのであった。


 万和5(1580)年12月13日。

 今日は朝から、京都新城は騒然としていた。

「衣装はこれが良いかな?」

「もう少し、色は控えた方が良いかも。主催者の陛下が地味にならない様に」

「これ、結び方あってる?」

「あってるけど、前合わせにズレが」

「あ……」

『ホーム・ア〇ーン』の旅行当日の朝並に忙しい図だ。

 こうも朝から忙しないのは、今回の会食は、朝顔の他に帝も御出席される。

 その為、最高級の礼服で行かなければならない。

 本来ならば、前日までに準備しなければならない話だが、当日になって、急遽、「あれ? この服で良かったっけ?」疑惑が浮上し、見直しが行われている真っ最中、という訳である。

 主催者が朝顔と帝なので、2人以上に華美にならない衣装計画デザインや配色に気を配りつつ、誾千代達は姿見で宮廷礼服マント・ド・クールを確認する。

 袖が無く、濃紫色こきむらさきいろ或いは、真紅の外套マントで高位になればなる程、引き裾トレーンが長い(*1)のが、その特徴だ。

「そんなに気を遣わくて良いのに」

 大河の膝を玉座とする朝顔は、苦笑いだ。

 別に普段の服でも良いのだが、慣習である以上、従わざるを得ないのが、難しい所だ。

 ヨハンナ、マリア、ラナも同じ様な反応である。

 ヨハンナが大河に寄りかかりつつ、謝罪した。

「貴方、御免ね。留守にして?」

「全然。楽しんでおいで」

「うん……」

 朝顔、帝の招待なので、拒否出来ないが、ヨハンナは、堅苦しい会食より、自由な方が良い。

 無論、朝顔もそちら派なのだが、やはり、上皇と帝、という日ノ本の国家元首2人を前にすると、自由な雰囲気は難しいだろう。

 大河との一時の別れを惜しむヨハンナは、朝顔に気を遣いつつ、甘える。

「明日すぐに帰って来るからね? 陛下と楽しんだ後に」

「分かってるよ」

「サナダ、別荘って?」

 ラナが、不思議そうに訊く。

 基本的に大河は、直行直帰の人間だ。

 今は在宅勤務が多いが、外勤でも職場である皇居や国立校に行くだけで、後は鳩の様な帰巣本能で家に帰って来る。

 そんな真面目な夫が別荘で過ごすのは、異例な事だ。

「ああ、郊外の家庭菜園が出来る別宅だよ」

「家庭菜園?」

「与免が興味出してな。作ったんだよ。なぁ、与免?」

「うん! おやさい、そだてる!」

 伊万と遊んでいた与免が、大きく挙手。

 京都新城敷地内の家庭菜園は、お市達が管理人だが、別荘は、大河の持ち家なので、家庭菜園も自由に使える。

 この2日間は、与免達と共にそこで過ごすのだ。

「兄者、年末はそこで過ごそうよ」

「良いよ」

「兄上、そこで茶道をしたいのですが」

「分かった」

「貴方、子供達の我儘わがままに聞き過ぎ。お江、お初、我慢しなさい」

「「えー」」

「それと、喋る暇があるなら、服、さっさと選びなさい。茶々は、もう着替えたわよ」

「え? 姉上、早!」

「やば!」

 2人は慌てて、衣装室に駆け出す。

 猿夜叉丸を抱っこした茶々と、心愛を抱っこするお市は、呆れ顔だ。

「母上、我が家は、出発が遅れそうですね?」

「全くよ」

 2人が意識しているのは、幸姫だ。

 前田家は、出席者が幸姫のみなのですぐに着替え終え、もう準備万端だ。

 各家毎かくいえごとに出発する為、遅れようものなら家の恥である。

 デイビッドと遊んでいたエリーゼが尋ねた。

「皇居って、育児室あったっけ?」

「あるよ。俺が両陛下に頼んで設置してもらった」

 皇居の育児室は、女官の子供達が使っている。

 大河の改革により、「育児は家で行うもの」という価値観は、徐々に朝廷にも浸透し始めていた。

 なので、エリーゼ達が会食中の間は、子供達をそこに預ける事が出来る。

 保育士も多数居る為、事故が起きる可能性も少ない。

 大河は、朝顔とヨハンナを抱き締める。

「明日、何時位になりそう?」

「帰る時間? ヨハンナ、何時位が良いかな?」

「両陛下の御都合最優先なので、私は何とも」

「一応、終わり次第、早く帰って来るよ。寂しがり屋の為に」

 朝顔は、微笑んで大河の頬を撫でた。


[参考文献・出典]

*1:『服装大百科事典』 上巻(増補版) 文化出版局 1986年6月30日

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