第594話 知己朋友

 アプト妊娠の報せは、蝦夷にも届き、アイヌ民族からも贈り物が数多く届く。

 その中で最も大河が喜んだのが、熊の毛皮であった。

 現在では、ワシントン条約の規制対象(*1 )である為、現代人は、入手が困難になっている代物だが、16世紀には、そんな国際法は存在しない。

 気が利くのは、人数分ある事だ。

 時は、万和5(1580)年11月初頭。

 そろそろ雪の季節である。

 アイヌ民族が、毛皮を選んだのは、その配慮もあるのだろう。

「温かいわ♡」

 エリーゼは、上機嫌で身に纏う。

 一方、聖職者である、朝顔、ヨハンナ、ラナ、珠、松姫は、其々の信仰宗教に則った祈りで熊の為に祈る。

「「「「「……」」」」」

 同じ室内で騒がしい空間と、静謐な空間が出来上がっていた。

 家長・大河は、前田家四姉妹に囲まれていた。

「疲れた~♡」

 甘えに甘えているのは、幸姫。

 卒業制作(又は、論文)の制限時間タイムリミットが迫る中、束の間の気分転換の時間だ。

 長い手足を折り曲げ、大河の膝に収まる。

 摩阿姫、豪姫、与免は、其々、左右と背中に陣取っていた。

 芳春院も何故かちゃっかり、与免の隣は居るが、言わずもがな、大河との肉体関係は無い。

 流石に盟友・前田利家の妻を寝取るのは、大河の性癖には無い。

 それに相対するのは、浅井家三姉妹+αである。

 猿夜叉丸を抱っこした茶々と、お初、お江。

 その背後には、お市が居る。

「「「「「……」」」」」

 両者は、普段、友好な関係だが、大河を巡ると、険悪にならざるを得ない。

 両家共に、複数の子女を送り、結婚出来た一方で、その命運は、くっきり分かれている。

 浅井家は、お市、茶々が妊娠、出産し、お市が信長の妹という事もあって、事実上のボス・ママだ。

 一方、前田家は、最も推していた幸姫が、大学4年生、という事で一旦、卒業に向けて集中し、残りの三姉妹は、まだ幼い。

 然も、その年齢から大河は、結婚には、余り好意的ではない。

 一応は、「結婚適齢期が来て、まだ自分の事が好きな時には迎える」という待ちの姿勢だ。

 その為、確約を得る為に、千世出産後間もないにも関わらず、こうして京都新城に居座っている。

「幸、制作と論文、どっちにするんだ?」

「そりゃあ論文よ。貴方の事について書こうと思うの」

「どんなの?」

「日ノ本版『君主論イル・プリンチペ』」

「そりゃあ内容が重くないか?」

 オリジナルの『君主論イル・プリンチペ』(1532年)は、権謀術数主義マキャベリズムの語源になったニッコロ・マキャヴェッリ(1469~1527)の著作の一つだ。

 その名の通り、君主主義について述べた哲学書であり、後世には多大なる影響を与えた。

 日ノ本には、商人が持ってきて平和になった治世の下、地方の大名を中心にその訳書が読まれている。

 著者の死後から53年、刊行から48年経っているのだが、日ノ本では、権謀術数主義が大名の間で流行語になる位、大ヒットしていた。

 幸姫がそれを卒業論文に選ぶのは、何も可笑しくは無いだろう。

「♡」

 公衆の面前でデレデレな幸姫の愛を受け止めつつ、大河は、穏やかに話す。

「お初、お江。御出で」

「「は~い♡」」

 指名されなかった茶々は不満げだが、猿夜叉丸の育児がある為、仕方ない事だろう。

「……」

 お市が優しく、その背中を撫でる。

 お初、お江の姉妹は、大河の前で座った。

 摩阿姫が威嚇するも、2人は、という事実がある為、気にしない。

「2人は、着ないのか?」

「嬉しいけれど、毛がチクチクしてね」

「痒くなったから、どうしようかと」

「あー……」

 現代でも、セーター等を着ると、その材質によっては、肌触りが良く無い事がある。

 姉妹以外は、余り抵抗無く着ている事から、受け手は、十人十色なのだろう。

 大河もどちらかというとその肌触りが心地よく感じる方だ。

 こればかりは、好みや体質の問題なので、贈ってくれたアイヌ民族には、申し訳ないが、宝の持ち腐れになるだろう。

「まぁ、しゃーない。ただ、貰い物だから譲渡や売薬は出来んからな?」

「「うん」」

「珠」

「は」

「宝物庫で飾っておいてくれ。アイヌ民族との友好記念の為に」

「は」

 無理に着せる事無く、代替案で解決する大河に姉妹は、安堵した。

「兄上♡」

「兄者♡」

 2人は、左右から抱き着く。

「にぃにぃ♡」

「さなださま♡」

 豪姫、与免も真似する。

「幸、済まんが―――」

「分かったわ」

 余りにも大所帯なので、幸姫は、渋々、独占を止め、膝を伸ばし、そこに、自分の妹達―――摩阿姫、豪姫、与免を乗せる。

 これで左右が空いたので、そこに其々、お初、お江が陣取った。

 2人と違い、摩阿姫達は、毛皮のモフモフ感を楽しんでいる。

「にぃにぃ。くまさん、かいたい♡」

「熊? ……んー、無理だよ。危険だし」

 世界には、熊の愛玩動物ペット化に成功した猛者が居るが、流石に大河は、それ程の勇気は無い。

 熊害ゆうがい事件は、農作物等の被害も含めるのだが、被害者が人間の事例に限ってみても、

 ―――

・事例

 1823年、ヒュー・グラス(探検家 1780頃~1833) 重傷

 この出来事は、2015年に映画化されている。

 1957年、マイソールの人喰い熊(印 *2) 死者:少なくとも12

 2009年、インドネシア 負傷1

 2015年、インドネシア 死者1

 2011年、ノルウェー  死者1 負傷2(*3)

 2017年、インドネシア 死者1 負傷1(*4)

 種類別では、

①灰色熊による襲撃(*5) 2000~2015年 664件

・北米  183件

・欧州  291件

・アジア 190件

 →664件中95件(14・3%)が致命的

②北極熊(*6) 1870~2014年 調査対象:73件

 地域 :加、グリーンランド、ノルウェー、米、露

 死者 :20

 負傷者:63名

なまけ熊(*7) 1989~1994年

 地域 :マディヤ・プラデーシュ州(印)

 死者 :48

 負傷者:686

 原因 :・食糧確保の為の争い

     ・人口密度

ひぐま(*8)

 1878年、札幌丘珠事件 死者3 負傷2(*9)

 1880年、北海道    死者1 負傷1

 1881年、北海道    死傷者数不明

 1896年、北海道    死者1 負傷1

 1901年、北海道        負傷1

 1915年、三毛別羆事件 死者7  負傷3

 1925年、北海道     死者1 負傷2

 1928年、北海道        負傷1

 1934年、北海道        負傷2

 1939年、北海道    死者1

 2020年、富山県        負傷1(*10)

 ―――

 この様な事例がある以上、大河は、熊の飼育には、否定的だ。

「愛でるのであれば、動物園で遠目からな?」

「う~ん……」

 豪姫お得意のおねだりは、この時ばかりは、現実主義に敵う事は無かった。 


[参考文献・出典]

*1:TRAFFICトラフィック(野生生物の取引を調査・モニターするNGO非政府組織 HP

*2:ケネス・アンダーソン『Man-Eaters and Jungle Killers』

*3:AFP 2011年8月30日

*4:AFP 2017年10月5日

*5:Giulia Bombieriの研究 2019年

*6:ジェームズ・ワイルダー(森林学者)達の調査

*7:Wolf Trust『Wolves Killing People - Perspective』

*8:門崎允昭 『羆の実像 羆研究50年の成果を集大成』 北海道出版企画センター

  2019年9月28日

  1880~1939年の資料(1915年は除く)

*9:北海道新聞 2010年11月21日

*10:毎日新聞  2020年11月21日

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