第531話 盈々一水

『我が国は、無意味に民間人を殺傷する悪逆非道な国家ではない』

 万和5(1580)年6月10日。

 清が第三国を通じて、日ノ本にその様な声明文を送った。

 両国間で国交が無い以上、回りくどいが、第三国を通すしかないのだ。

 織田政権は、当然、受け入れ難い。

「真田、どう思う?」

 首相・信孝が問うた。

「背後関係は分かりません。ですが、あっても、是が非でも認めないでしょう。先の大戦で我が国に大敗したので」

 まだ、あの戦争から傷が癒えていない。

 更に、日ノ本以外の国々とも沢山の懸案事項を抱えている。

 清の財政は、火の車の筈だ。

「……恨みはあるのか?」

「「「……」」」

 信孝の度重なる質問に、羽柴秀吉等の重臣は、生唾を飲み込む。

 大河の回答次第では、出兵する可能性があるのだ。

 一言一句、聞き漏らさない様に、必死なのは、当然だろう。

「慣れている事ですから、恨む程ではありませんよ」

 左目を失っても尚、大河は、柔和な笑みを崩さない。

 まるで菩薩の様な温かみさえ感じる。

 それが逆に信孝達に恐怖心を与えた。

「……う」

 池田恒興は、今にも吐きそうな位だ。

 信孝が主導権イニシアチブを握っているは筈なのに、いつの間にか、大広間の空気を操っているのは、大河であり、その様な異常性を発揮しているのだから、その空気に飲まれ、嘔吐しても可笑しな話ではない。

 逆に他の重臣は、耐えている方だ。

「隻眼になっても恨みは無い、と?」

「はい。ですので」

「「「……」」」

 その手が誰よりも汚れている事は、政権内部では、公然の事実だ。

 政治家から引退しても尚、軍隊と情報機関には、未だに強い影響力を持ち続け、場合によっては全権委任法で、法律の名の下に合法的に弾圧する事が出来る。

 どの面下げて言えるんだ? とその場に居る誰もが突っ込みたい所だが、万が一、大河に敵視されたら、に遭うのは、目に見えている。

「では、戦争は望まないと?」

「はい。自分1人の為に態々わざわざ、多額の予算を投じて戦争をするのは、流石に気が引けます。又、諸外国からも、我が国が危険視される可能性があるかと。『個人の為に戦をする戦闘狂国家』と」

「……」

 長期間、戦い続け、折角手に入れた平和を、少ない犠牲の為に覆すのは、信孝としても受け入れ難い。

「……分かった。下がって良い」

「失礼しました」

 深々とお辞儀すると、大河は、大広間を出ていく。

 閣僚でありながら、直ぐに退勤出来るのは、彼の所属が宮内省である為だ。

 宮内省は、日ノ本の政府を構成する一機関であるのだが、やはり、建国以来、皇室を支えている為あって、実際には、殆ど独立している。

 その為、大河の直系の上官は、近衛前久であり、更にその上が帝、最上級が上皇・朝顔、という指揮系統になっている。

 尤も、前久は、余り前に出ず、帝、或いは、朝顔が直接指示を出すのが多い。

 これは、前久を通す分、時間がかかる為、それならば、直接、命令出来た方が良い、という朝廷(宮内省)側の判断であった。

 兎にも角にも、帝(或いは、朝顔)の家臣である以上、信孝も安易に命ずる事は難しい。

 すんなり二条城を後にした大河は、馬車に乗り込み、皇居へ向かう。

 車内では、

・楠

・綾御前

・井伊直虎

・早川殿

・甲斐姫

・小少将

・お初

・お江

・摩阿姫

・豪姫

・与免

 の11人が待っていた。

 サッカー1チーム分である。

 なでしこジャパン結成も出来るかもしれない。

「多いな」

「護衛よ」

 そう答える楠は、直ぐに抱き着く。

「守れてないけど?」

「良いのよ」

 楠は、デレデレだ。

 事件を防げなかった負い目がある一方、生還した夫への喜びが爆発しているのだ。

『鼻の下、伸びてるよ』

 心の中で橋姫が、指摘した。

 感傷に浸りたい所だが、邪魔するのが、彼女の悪い癖だ。

 否、嫉妬かもしれない。

(知ってるよ)

 認めた後、大河は楠を抱擁したまま、空席に腰かける。

 すると、左右に、綾御前と直虎の寡婦コンビが座った。

 2人も新妻だが、古参の妻並に心配し、生還時、大号泣した者達だ。

 愛情深い事は言うまでもない。

「貴方、お疲れ様♡」

「若殿、お疲れ様です♡」

 左右から2人は、同じ様な事を言うと、其々それぞれ、接吻。

 次に、楠、お初、お江、早川殿、小少将、甲斐姫と続く。

 郷に入っては郷に従え。

 最初こそ、山城真田家で行われる頻繁の接吻に、戸惑いを隠せない綾御前達であったが、現在では、である事を理解し、受け入れられている。

「「「……」」」

 その様子を興味深げに見るのが、前田家三姉妹だ。

 接吻、というものは、京都新城に来る迄知らなかったである。

 言わずもがな、前田利家と芳春院は、夫婦なので、行っている可能性は高いが、日ノ本の文化としては、子供の前で盛んに行うものではない。

 なので、男女が唇を重ね合うのは、非常に奇妙なものだ。

 京都新城に来て以来、暫く経つものの、これには、未だに見慣れない。

 それでも、大河や女性陣が苦ではなさそうな為、悪習とも思わない。

 甲斐姫との接吻を終えた後、大河は、気付く。

「口紅、変えたんだな?」

「あ、気付きましたか?」

「分かるよ。そりゃあ」

 故郷では、”東国無双の美人”と評される程、男子顔負けの武人であったが、大河の前では、少女そのものだ。

 髪型や化粧品を変えただけで、直ぐに気付いてくれる。

 気付いても言わない男性が多い中で、これは、嬉しい事だ。

 但し、大河が変化に過敏なのは、常日頃から女性陣を好色な視線で見ているからに過ぎない。

「似合っているよ」

「有難う御座います♡」

 甲斐姫は微笑んだ後、真向いの席に座る。

 面白くないのは、早川殿と小少将だ。

「「……」」

 2人は耳飾りを見せ付ける。

 さり気無くだが、大河には、露骨に見えた。

「知ってるよ。似合ってるよ」

「気付くのが遅いです」

「全くです」

 早川殿と小少将は、臍を曲げた。

「済まない」

 頭を下げた後、大河は詫びとばかりに2人の手を握っては、楠を太腿の間に移動させてから、其々を右膝、左膝に座らせる。

 そして、綾御前と直虎を抱き寄せてから、早川殿と小少将の耳飾りに注目した。

 非常にせわしないが、これが多妻の常だ。

 特定の人物を贔屓しない。

 これが、一家円満、妻同士の対立を防ぐ唯一無二の手段である。

 2人が装着しているのは、南蛮から輸入された耳飾りイヤリングだ。

 既視感があるそれに大河は、気になった。

「何処でそれを?」

「国立美術館で真田様が御紹介していた南蛮の浮世絵です」

「確か。『真珠の耳飾りの少女』だったかと」

「あれか……」

 早川殿は、浮世絵と勘違いしているが、あれは油彩画だ。

 オランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632~1675)のそれは、現代、オランダのマウリッツハウス王立美術館に所蔵されている名画中の名画である。

 ナチスの大物中の大物であり、ヒトラーの後継者、とされたゲーリングも、この絵に惚れ込み、当時の所有者であるハン・ファン・メーヘレン(1889~1947)から購入した。

 戦後、メーヘレンは、対独協力者として戦犯になったものの、後の調査で贋作である事が判明し、売国奴から一転、ナチスを騙した英雄、として、一躍時の人になった。

 ナチスをも魅了し、最後は大どんでん返しとなったこの絵画に、大河も又、魅了されて、スマートフォンから検索し、見付けていた画像を絵師に描かせて展示していたのである。

 当然、メーヘレン同様、贋作ではあるのだが、フェルメールに敬意を払い、作者名を『蘭人 よはねす・ふぇるめーる』と明示している為、贋作とは言い難いだろう。

 尤も、16世紀に生まれていない画家の絵を世に広めたのだから、今後、本物のフェルメールが生まれた時、彼が割を食ってしまうのだが、そこまで考えないのが大河の良い所(?)だ。

 2人がその少女の耳飾りに注目し、購入した事を見ると、恐らく、金銭的に余裕がある女性は、御洒落の為に続々と耳飾りを買い漁っているのかもしれない。

「「「……」」」

 楠達、他の女性陣は、「負けた」と言わんばかりな表情だ。

 こういう場合は、身を切るしかない。

「……全員分の買うよ」

「本当? やった!」

 楠はガッツポーズを決めた。

 逆に早川殿達は、不満顔だ。

 折角、買ったのに他の女性陣は、奢りなのだから、自分達は自腹なのだから。

 当然、不公平感は、否めない。

「真田様……」

「私達は……」

「分かってるよ。だから、2人は1個ずつ。楠達は2個ずつ。これで個数は合うだろう?」

「「!」」

 2人も笑顔になった。

 多妻な分、必要経費が凄まじい。

 これに気配りも加わるのだから、ハーレム、というのは、羨む男性が多い事だろうが実際には、経済的負担と精神的苦痛が計り知れない。

 実業家であり、軍人でもある大河は、その両方に耐性がある為、何て事無いが、一般人では中々、難しい所だろう。

「「「……」」」

 じーX3。

 前田家三姉妹の視線を感じた大河は、目線で返す。

(芳春院様の許可が出たらな?)

 大河の優しい反応に、三姉妹は、内心でガッツポーズをした事は言う迄も無い。


 皇居での大河の仕事は、朝顔の補佐だ。

 署名や御璽の押印を補助しつつ、大河は、眼帯を擦る。

「……」

「気になる?」

「んー? ……まぁ、そうだな」

 何せ、今迄見えていた左目の視力が無くなった訳だ。

 気にならないのは、困難な事だろう。

「……」

 署名を一旦、止め、朝顔は、大河の隣に座った。

「ん?」

「……もうさ。名誉除隊出来ない?」

「……」

 左目失明、という危険な目に遭った以上、軍を止めて、文官に徹するか、隠居するのが筋だろう。

 大河が親で、我が子がそうなった時は、彼も除隊を勧める筈だ。

「……難しいな。後輩を育成出来ていないし、引継ぎもあるから」

「……御免」

「全然」

 朝顔も無理な事は分かっているのだが、いかんせん、あの様な事があった以上、感情が先行してしまう。

 大河も彼女の気持ちは分かっていた。

「……私って我儘だよね?」

「何処が?」

「だって、真田の事が心配な分、他が見えず、真田を束縛してしまうから」

「気にしていないし、束縛とも思わないよ」

 笑顔で首を振り、大河は、愛妻を抱き寄せる。

「……私ね。あの時、色々、考えたんだよ。『このまま目覚めなかったからどうしよう?』とか『死んだら、私、生きていけるかな?』とかさ」

「……」

「だから、真田が生還して嬉しかったんだ。だから、余りその……外勤は、控えて欲しいんだよ」

「又、狙われるかも?」

「うん……」

「……」

 現実問題、やはり引継ぎや育成等がある為、外勤を減らす事は出来ても無くすのは、困難な話だ。

「……朝廷と要相談だな。1人では、決めれないから」

「いや、良いよ。難しいのは、分かっているから―――」

「愛妻の苦悩を減らすのが、夫の務めだ」

「!」

「あくまでも朝顔発信じゃないとした上で、相談してみるよ」

 朝顔が提案者ならば、公私混同、という事になりかねない。

 その為、今回の話は、あくまでも、大河が「暗殺未遂事件を機に家族と過ごす時間を増やしたくなった」という脚本シナリオが必要不可欠になるのだ。

「……御免。気を遣わせて」

「全然」

 大河は筆を置き、朝顔の玉座となる。

「……有難う」

 やがて、朝顔の目には涙が溜まり始める。

 そして、大河に抱き着き、その優しい胸の中で、嗚咽を漏らすのであった。

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