第521話 精力絶倫

 井伊直虎と楠の対立は、速やかに大河の耳に入った。

 大河は2人を呼び出し、事の真相を尋ねる。

「何があった?」

「私なりの意思疎通です」

 直虎が最初に答えた。

「意思疎通、ね」

 彼女の言葉を飲み込んだ大河は、次に楠を見た。

「……」

 直近で2連敗なので、落ち込んでいる。

「……楠」

「……」

 返事が無い。

 ただのしかばねの様だ。

 深い溜息を吐いた後、大河は、告げる。

「休め」

「! ……え?」

「給料は出すから心配するな。有給扱いにもしない」

「……私は―――」

「過労だ」

 断じた後、大河は、橋姫に尋ねる。

(過労だよな?)

『そうね。悩み事があって、不調みたい』

(分かった)

 よっこいしょ、と大河は立ち上がった後、楠の手を握る。

「今後は、家事も禁止」

「え? では何を?」

「俺の傍に居る事」

「!」

「もう一つ、直虎」

「はい♡」

 呼ばれた直虎は、笑顔で居住まいを正す。

 楠同様、優しくしてもらえる、とでも思っている様だ。

「新人の癖に調子に乗るな」

「え?」

「謹慎だ」

「そ、そんな!」

「将校から下女に降格。俺達の世話をするんだ」

「う……」

 徳川隊では、武将だったが、山城真田隊に配属されると将校だったのだが、今回の一件で、更に降格だ。

「アプト」

「はい」

 アプトが用意したメイド服が、直虎の前に置かれる。

「現刻を以て君は、下女だ」

「そんな―――」

「不満なら放逐だ。”退き佐久間”の様にな?」

「!」

 ”退き佐久間”―――佐久間信盛(1528? ~1582)は、家老・平手政秀(1492~1555)が自刃後、筆頭家老として約30年間、織田家に仕えた宿老だ。

 史実での天正8(1580)年8月25日、19か条の折檻状を突き付けられ、織田家を追放された。

 ―――

『一、

 佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に5年間在城しながら何の功績も挙げていない。

 世間では不審に思っており、自分にも思い当たる事があり、口惜しい思いをしている。


 一、

 信盛等の気持ちを推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ、城の守りを堅めておれば、相手は坊主である事だし、何年かすれば行く行は信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。

 武者の道というものはそういうものではない。

 勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれて誠に本意な事であったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けた事は分別もなく浅はかな事である。


 一、

 丹波国での明智光秀の働きは目覚ましく天下に面目を施した。

 羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。

 池田恒興は少禄の身であるが、花隈城を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。

 これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。


 一、

 柴田勝家も是等これらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄が無くては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。


 一、

 戦いで期待通りの働きが出来ないなら、人を使って謀略等を凝らし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、5年間それすら無いのは怠慢で、けしからぬ事である。


 一、

 信盛の与力・保田知宗の書状には、

「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆も大方おおかた退散するであろう」

 とあり、信盛親子も連判している。

 今迄一度もそうした報告も無いのに斯うした書状を送ってくるというのは、自分の苦しい立場を躱す為、彼是あれこれ言い訳をしているのではないか。


 一、

 信盛は家中に於いては特別な待遇を受けているではないか。

 三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊に元、小身の者ばかりとはいえ7ヶ国から与力を与えられている。

 これに自身の配下を加えれば、どう戦おうとも是程これほど落ち度を取る事は無かっただろう。


 一、

 水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それ所か水野の旧臣を追放してしまった。

 それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保出来る筈だが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているという事である。

 言語道断である。


 一、

 山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。

 これも先の刈谷と件と思い合わされる事である。


 一、

 以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、是程落ち度を取る事は無かったであろうに、けち臭く溜め込む事ばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。

 これは唐・高麗・南蛮の国でも有名な事だ。


 一、

 先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかった所、恐縮もせず、結局自分の正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。

 これによって信長は面目を失った。

 その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。


 一、

 甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。


一、

 大まかに言えば、第一に欲深く、気難しく、良い人を抱え様ともしない。

 その上、物事を好い加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこの様な事になったのである。


 一、

 与力ばかり使っている。

 他者からの攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。

 領地を無駄にし、卑怯な事をしている。


一、

 信盛の与力や家臣達迄信栄のぶひでに遠慮している。

 自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てた様な怖い扱いをするのでこの様になった。


 一、

 信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われる様な働きは一度もない。


 一、

 信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方無い。

 然し、家康の事もあり、遅れをとったとしても兄弟・身内や然るべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、1人も死者を出していない。

 あまつさえ、もう1人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしている事を以てしても、その思慮無きこと紛れも無い。


 一、

 こうなれば何処かの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、何処かで討死するしかない。


 一、

 親子共々頭を丸め、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう』(*1)

 ―――

 宿老であっても、増長すれば粛清の対象になる。

 それが信長の方針だ。

 尤も、追放は、『信長公記』の誤謬ごびゅう説があり、実際、『多聞院日記』等の他の資料では、信盛は、高野山で平穏に過ごしている事が判っている(*2)。

 その為、追放が本当にあったかどうかは、不明なのが、真相であった。

 この異世界でも追放説同様、佐久間信盛は追放され、最後は大河と敵対し、敗死した。

 日ノ本一、家臣を大事にする大河であり、これまで、家臣を追放等した事は無いが、絶対にやらない、という保証は何一つ無い。

 武家の名門・井伊家の家柄である直虎は、屈辱的な報復人事に対して、唇を真一文字に結ぶ。

「……」

 それを見ていた鶫が抜刀の準備を行う。

 直虎とは会ってまだ時間が経っていない。

 その人となりが分からない以上、警戒するのは、当たり前だろう。

 反対に、大河は、何も用意しない。

 どっしりと構えている。

 大河クラスの武人では、徒手格闘でも勝てる自信があり、実際そうなのだろうが、油断大敵を信条にしている事を考えたら、危ない行動、と言えるだろう。

「……分かりました」

 渋々、納得した直虎は、メイド服を受け取った。

 大河は、優しく声をかける。

「休むのもまた、勉強だからな?」


 楠の強制的な休職は、国家保安委員会に何ら影響は無かった。

 小太郎がバリバリ働き、彼女と大河が集めたくノ一、忍者が超優秀だからだ。

 1992年のバルセロナ五輪オリンピックで大活躍した、バスケットボール男子アメリカ代表―――”ドリーム・チーム”が現代には、近い感覚かもしれない。

 楠の空いた穴を、他が代理で兼務し、仕事を行う。

 単純に仕事量が2倍になるのだが、代理人は悪い気がしない。

 大河の判断で休ませ、その結果、仕事が増えたのだから、彼からの賞与は何時もの10倍。

 有給休暇も同様にこれまでの10倍貰えた。

 遣り過ぎな感じは否めないが、山城真田家には、サービス残業といった概念が存在しない。

 労働には相応の対価を―――が、基本的な方針だ。

 その為、手厚い対価に代理人の士気も上がり、仕事をバンバン熟していく。

 小太郎は、それを見つつ、考えた。

’(主は、世界最高♡)

 と。

 身分上、大河の専属奴隷である彼女だが、その生活に不満は無い。

 衣食住は保証され、自分への給料は無いものの、働いた分は、親元に送金されている為、故郷の家族の生活は、非常に裕福になりつつある。

 若しかしたら、元上司・北条家よりも豊かかもしれない。

 自分にでなく、親に給料を仕送りするのは、小太郎の謀反或いは、出奔対策の可能性もあるかもしれないが、この生活に満足している彼女は、無給でも嬉しかった。

 厳密には、無給ではない。

 おねだりすればお小遣いもくれるし、何でも買ってくれる。

 現代人が連想する、17~19世紀のアメリカのアフリカ人奴隷の様な暮らしぶりではないのだ。

「長官」

 鶫は書類を持って来た。

「若殿は、今晩、綾様、早川様と同衾されます」

「分かった。行く」

 大河の夜の営みも監視するのも仕事だ。

 女性の中には、暗器を仕込んで、夜伽の際、暗殺を謀る者も居る。

 寝所に行く女性陣は、基本的に無審査だが、

・井伊直虎

・綾御前

 等、新参者には、身体検査が入る。

 あくまでも、念には念を入れよ、で。

 その仕事も、小太郎、鶫の仕事なのである。

「今日は2人。長い夜になりそうだね?」

「では、私達も参加します?」

「そうだね。そうしよう」

 2人が4人になったとて、大河の好色が薄まる訳が無い。

 だったら利用すればいいだけの話。

 それが愛人としての狙いだ。

 公私混同は否めないものの、2人は、微笑み合い、体を洗いに行くのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア 一部改定

 *2:神田千里『織田信長』筑摩書房〈ちくま新書1093〉 2014年

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る