第497話 雨露霜雪

 万和5(1580)年4月15日。

 この日、大河は、近江国(現・滋賀県)長浜の徳勝寺(曹洞宗)の納骨堂に来ていた。

 お市、三姉妹、猿夜叉丸を伴って。

「真田様、では、手筈通り、進めますよ?」

「御願いします」

 和尚が閉眼供養を執り行う。

 それから遺骨を取り出した。

 それをお市達が神妙な面持ちで、骨上げ箸で拾い、別の骨壺に移していく。

 4人は、当時の事を思い出したのか、啜り泣き出した。

「……」

 大河の腕に抱かれた猿夜叉丸は、不思議そうに見詰めている。

 そして、お市に手を伸ばし、その背中を擦る。

 泣かないで、と言っているのだろうか。

 今、彼女達が行っているのは、分骨だ。

 分骨は、「魂が分割されて、成仏出来ない」等の理由から敬遠される場合がある。

 然し、釈迦の遺骨が沢山の寺に分散され、『仏舎利』として祀られていたり、キリスト教でも聖人の遺骨の一部が『聖遺骨』として保管されている為、必ずしも、分骨=不吉、という訳では無い。

 又、違法でも無い。

 ―――

『墓地等の管理者は、他の墓地等に焼骨の分骨を埋蔵し、又はその収蔵を委託しようとする者の請求があつたときは、その焼骨の埋蔵又は収蔵の事実を証する書類を、これに交付しなければならない。

 焼骨の分骨を埋蔵し、又はその収蔵を委託しようとする者は、墓地等の管理者に、前項に規定する書類を提出しなければならない』(*1)

 ―――

 法に則った上の分骨である。

「うう」

 ぐずり出したので、大河は、和尚に一礼し、猿夜叉丸を抱っこしたまま出て行く。

 一緒に居たいが、納骨堂には、他の遺骨も保管されている。

 余り大声を出すと、迷惑になる事は必至だ。

 和尚もその気遣いに嬉しいのか、笑顔で見送った。


 納骨堂から離れた場所の東屋で、アプトが哺乳瓶を使って乳を飲ます。

「だ!」

 ごくごくと。

 笑顔で喉を鳴らしつつ、猿夜叉丸は嬉しそうだ。

 因みに心愛は、ナチュラが看ている。

「……♡」

 心愛の顔を凝視し、母性本能を昂らせていた。

「御戻りになられないんですか?」

「あそこでは、俺は部外者だからな」

 大河は、アプトの疑問に答えつつ、珠にしな垂れかかっていた。

 この寺は、お市の前夫・浅井長政が眠っている為、大河は、必要以上に気を遣っている。

 参拝と寄進以外、極力しない方針だ。

「今は夫婦だけど、あの過去まで奪う気は無いよ」

「……」

 長政に嫉妬する事はあれど、大河は思い出を奪う事は無い。

 京都新城の敷地内に浅井邸を建設や、お市が浅井長政像 (高野山持明院像)の複写を飾る等も認めている。

 本来であれば、再婚した男は、亡くなっているとはいえ、前夫に嫉妬し、この様な事を認めるのは、少ないだろう。

 にも関わらず、認めている大河の寛大さは、浅井家家臣団は勿論、近江国の住民からも評価され、それが支持基盤の一つにもなっている。

「何処までもお優しいんですね? まるで、耶蘇会の信者に相応―――」

「そこまでじゃないよ。買い被り過ぎだ」

 大河は、珠の手を取り、膝に乗せる。

「弾圧されても信仰心を捨てない切支丹の方が凄いよ」

 褒め称えた後、珠の首筋に口付け。

「あ……」

「珠の悪い所は、直ぐに俺を切支丹にさせる事だ。改宗する気は無いよ」

 実家が神道の朝顔、ユダヤ教徒のエリーゼ、仏教徒の謙信と松姫に気を遣っての発言だろう。

 珠は、シュンとする。

「申し訳御座いません」

「誘ってくれるのは嬉しいけどな」

 肩書だけならば、教会の名誉職に就いても良いかもしれないが、悪用された場合の対応が面倒なので、やはり公正中立を重んじた方が良いだろう。

 ポツポツポツ……

 雨が降って来た。

 現代とは、地球の状況が違う為、若しかしたら、早くに梅雨に入るかもしれない。

 納骨堂から骨壺を抱えたお市が出て来た。

 それに続いて三姉妹。

 結構、長く納骨堂に居たのは、久々にした為、夫婦水入らず、三姉妹と一緒に色々、思い出話や世間話を前夫としていたのだろう。

 皆、泣き腫らし、すっきりした顔だ。

 その時機で、珠が大河から離れる。

 お江が、発見すると、東屋まで走って来た。

 傘も差さずに脇目も振らずに。

 そして、飛びつく。

「……」

 何も言わない。

 大河も返さず、その頭を撫でる。

 お市がはす向かいに座る。

「貴方、御免ね。長くなっちゃって」

「全然。なんなら、まだ時間あるけど?」

「良いよ。もう済んだ事だし」

 ぎゅっと、骨壺を抱き抱える。

「そうか……」

 鶫を見ると、彼女は頷き、御辞儀。

 馬車の準備に小太郎と共に東屋を離れていく。

 雨は、段々強まっていく。

 長政のお江に対する貰い泣きか、それとも家族との再会を喜ぶ嬉し泣きか。

 その真意は、長政のみ知る所だ。


 帰り道。

 遂に雨は、強雨となり、激しく窓を打ち付ける。

 本来ならば、恐怖を感じるレベルであるが、今回は、勝手な解釈だが、一行には、肯定的に受け取っている。

「「zzz……」」

 緊張の糸が途切れたのか、茶々は猿夜叉丸に、お市は心愛に母乳を与えつつ、そのまま寝ている。

 その為、大河の両脇を陣取っているのは、お初、お江のコンビだ。

 2人も疲れていそうだが、気力を振り絞り、起きている。

 昼間で寝たら、夜の睡眠に差し支え易い。

「兄上」

「うん?」

「御配慮してくれて有難う御座います」

 お初は、嬉しそうに胸板に頬擦り。

 長政との思い出を邪魔しない、大河の優しさに感激しきりだ。

「全然」

 大河も抱き締めて、その想いに応える。

「兄者、寂しいよ」

 お江は、涙目だ。

 した事で、小谷城での辛いトラウマが抉られた様だ。

 全てが+ではない。

 その涙は、それを暗示していた。

「寂しいよな」

 大河は、手巾でそれを拭う。

「でも、浅井殿は、笑顔のお江を見たいよ」

「……うん」

「ただ、俺は強さを強要しない。弱くても構わん」

「……良いの?」

「良いよ。俺が守るから」

 にっこりと微笑み、お江を抱き締める。

 世の中には、男女平等を訴え、女性にも同等の権利を推進している大河だが、義務化までは求めていない。

 弱いなら弱いままで良い。

 それが、大河の真意だった。

(……兄者の優しさに溺れそう)

 強くならないといけないのだろうが、お江は、この優しさにどっぷり肩まで浸かる事にした。

 恐らく、多くの女性達もこれの虜だろう。

「兄者」

「うん?」

「弱くて御免ね?」

「全然。自分を責めるな」

「……うん。有難う」

 長政が生きていたら、どんな言葉をかけていただろうか。

 戦国時代が終わっていなければ、そんな悠長な事も言えなかっただろう。

「兄者、大好き♡」

「俺もだよ」

 2人は、接吻する。

「兄上―――」

「分かってるって」

 お初にも忘れない。

 妹→姉の順番になってしまったが、甘えたがりなお江を優先しないと、後が面倒だ。

 強雨の中、馬車は進む。

 

 京都新城に帰宅後、大河は、呼吸をするかの様に、お初とお江を抱く。

 その気は無かったのだが、お江の悲しみを軽減したい一心から、夜伽に誘ったのだ。

「zzz……」

 事後、お江は、夜着をはだけたまま、熟睡している。

 一方、お初は、目がギンギンだ。

「兄上」

 お江と違い、夜着を正しく着こなししている。

 流石、清楚系美少女だ。

「御質問なんですが、若し、私が浅井姓を名乗っても許して下さいますか?」

「そりゃあ又、急な話だな」

 大河は、煙管を咥えたまま、苦笑い。

 余り、本意ではなさそうだ。

「猿夜叉丸が浅井姓を名乗るが、既定路線の様ですが、私も子供には、名乗らせたいかなぁ、と思いまして」

「まぁ、そうだろうな」

 三姉妹には、

・浅井

・織田

・山城真田

 の三つから、選ぶことが出来る。

 無論、浅井、織田の姓になるには、その家に養子に入る必要が迫られるが。

「良いでしょうか?」

「良いよ。ただ」

「ただ?」

「既に先約がある以上、安易に賛成は出来ない。お市やと相談してからな?」

 姓は、重要な事だ。

 それで、お家騒動は、目も当てられない。

「……分かった」

 心愛には織田姓が決定事項だが、三姉妹は、やはり、父親を殺された恨みで、織田姓は、避けたいらしい。

「兄者……?」

「済まんな。起こして」

「うん」

 お江は、寝惚け眼で、大河に抱き着く。

「お休み」

「お休み」

 2人は、接吻し、灯りを消すのであった。


 北陸の大雪は、時間の経過と共に溶けていく。

 その行程で出来た大量の水は、石田三成の主導の下、土嚢や堤防で調整し、琵琶湖に誘導。

 その結果、琵琶湖に綺麗な水が流入。

 湖水は当然、増えた。

 琵琶湖の貯水量は、275億㎥(*2)。

 この量を超えれば、言わずもがな湖岸は、浸水する。

 それを防ぐ為に水位を管理しているのが、瀬田川洗堰あらいぜきだ。

 史実では、

 明治33(1900)年、瀬田川改修工事着工

 明治35(1902)年、洗堰本体の工事着工

 明治38(1905)年、堰完成

 という歴史を辿り、現在の管理者は、国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所である。

 その安土桃山時代版を、大河は造っていた。

 信玄堤の功績がある為、幕府から簡単に予算が下り、元武士を多数、雇って着工し、完成させたものであった。

 琵琶湖からの水がちゃんと調整されている事を、大河は、瀬田唐橋で確認していた。

「……大丈夫そうだな」

「真田様」

「応」

 松姫が瀬田に用事があった為、それに付き添うついでに見に来たのだ。

「説話は済んだ?」

「はい。沢山の方々が来て下さいました」

「そりゃあ良かった」

 大河の腕に松姫は、絡み付く。

 袈裟から私服に着替えている為、誰も彼女が尼僧とは思わない。

「帰り道、買物で寄り道しても良いですか?」

「良いよ」

「やった」

 松姫は、ガッツポーズ。

 普段、尼僧として禁欲している為、私的な買物は、楽しみの様だ。

 大河も身近に居る分、それをよく知っている為、敢えて付き合う。

「真田様、ぱふぇ、奢って下さいな♡」

「あいよ」

 2人の愛で、雪は更に溶け、水は澄むのであった。


[参考文献・出典]

 *1:墓地、埋葬律施行等に関する法規則

 *2:国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所 HP

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