第472話 沈鬱悲壮

 節分が終わった後は、針供養だ。

 万和5(1580)年2月7日、針供養前日。

 山城真田家内から使えなくなった針が沢山集まる。

「やっぱり、1番多いのは、たまか」

「申し訳御座いません。服飾の仕事をしている為―――」

「責めてないよ」

 服飾の仕事をしている以上、どうしても他人より消費量が多いのは、当然の事だ。

「じゃあ、明日、頼んだよ?」

「任せて下さい」

 たまは、胸を張った。

 

 針の山を見て、マリアは、感心する。

「……多いな」

 ヨハンナも注目せざるを得ない。

「……」

 そっと手を伸ばすも、

「危ないですよ」

 大河に手首を掴まれた。

「え?」

 それから、引っ張られる。

「中には、錆びたのもあるんで破傷風になりかねませんから」

「……は、はい」

 この他、感染予防策に予防接種がある。

 大河が破傷風の恐ろしさを知ったのは、シリアで知り合ったベトナム帰還兵の元米兵からだ。

 密林の中を駆け回るベトコンは、体格で劣る米兵に勝つ為にゲリラ戦を選んだ。

 そして、最も米兵から恐れられた戦術の一つが、この破傷風だ。

 彼等は、まず落とし穴を掘り、そこに竹を刺し、その先端に人糞を塗り込んだ。

 その後、落とし穴を枯れ葉で隠し、米兵が落下すると、竹で串刺しに遭い、更には、傷口からは病原菌が入り込み、苦しみながら死んでいく。

 大河が米兵なら、遭いたくはない戦術だ。

「説明をしていなかった自分の責任ですが、今後は死にたくなければ、御気を付けて下さい」

「……はい」

 普段、御茶らけている癖に、こうして真面目な顔をするのだから、女性には、ギャップ萌えし易い要因の一つなのかもしれない。

「何、油売ってるの? 行くわよ」

「いててて。耳、引っ張るなよ」

 稲姫に大河は、誘拐されていく。

 完全に尻に敷かれている状態だ。

「……あははは」

「聖下?」

「ううん。何でもない」

 両頬を染めて、ヨハンナは、はにかむのであった。


 針供養は、各地の寺社で行われているが、以下が有名な所だろう(*1)。


・法輪寺(現・京都市西京区 真言宗)

・浅草寺(現・東京都台東区浅草)

・若宮八幡神社(現・愛知県名古屋市中区)

荏柄天えがらてん神社(現・神奈川県鎌倉市)

・護國山太平寺(現・大阪市天王寺区 曹洞宗)

警固けご神社(現・福岡県福岡市中央区)

 但し、主な場所は、淡島神社(粟島神社)又は淡島神を祀る堂(淡島堂・粟島堂)がある寺院(*2)の為、上記の限りではない。


「兄上、何故、率先して針供養を?」

 大浴場でお初が尋ねた。

 この手の事は、家庭の事なので、この時代は、大抵、女性の仕事だ。

 男の大河が、率先して行うのは、珍しい。

「伝統行事だからだよ。大切にしなきゃいけない。それだけの事だよ」

 笑顔で答え、膝の上の茶々とお江を抱き締める。

 2人共、この場所を離れ様としない為、仕方なく大河は浴槽に浸かりながら、アプトに洗髪されていた。

 猿夜叉丸は、たまが世話している為、問題無い。

 大浴場には、男性は大河1人。

 後は全員、女性だ。

 最年少は、生まれたばかりの心愛。

 最年長は、お市である。

 松姫が、幸姫、稲姫を連れて泳いでくる。

 公営の銭湯では浴槽で泳ぐのは当然マナー違反だが、この大浴場は京都新城内にある為、泳ごうが、死体ごっこし様が問題無い。

 管理責任者は、城主の大河なのだから。

「真田様」

「どった?」

「背中頼みたいのですが?」

「分かった。後行くよ」

「「「有難う御座います♡」」」

 3人は、御辞儀して左右と向かい側に座った。

「「「……」」」

 圧で姉妹と入れ替わろうとしているが、姉妹も負けていない。

 逆に睨み返す。

 この位の気の強さで無ければ、山城真田家の正妻は、務まらない。

 バチバチと、視線がぶつかり合う。

「若殿、終わりました」

「有難う」

「流しますね」

「うん」

 首だけ浴槽の外に出し、汲み取った御湯で洗い流される。

「兄上、私も手伝って良い?」

「良いよ。アプト、半分、譲ってくれ」

「は」

 アプトが半分スライドし、空いた分をお初が担う。

 美女と美少女による洗髪だ。

「あ~天国だぁ」

「そのまま天国に行く?」

「ぐえ」

 顔に足を押し付けられた大河は、一瞬、呼吸困難に陥る。

 何とか足をずらして、犯人を見た。

「楠?」

「陛下が御怒りよ」

 楠が振り返る。

 その方向を見ると、出入り口の所で、湯帷子を着た朝顔が、ヨハンナ、マリア、伊万を連れて仁王立ちしていた。

 朝顔は、つかつかと歩いていき、大河の髪の毛を掴み上げる。

「ぐえ」

「必要以上にデレデレしない。分かった?」

「……へい」

「それでよし」

 満足した朝顔は、掛け湯後に入浴する。

 そして、

「誾、謙信」

「「は」」

 近くで見守っていたお気に入りの忠臣を呼ぶと、

「ここ」

 大河の左隣に座らせる。

 それから、自分は、2人の膝に座った。

「誾、謙信、最近、真田の女癖の悪さが目に余る物がある」

「「はい」」

 同時に頷いた。

「私も目を光らせているが、個人だとどうしても限界がある。この痴れ者を皆で管理するのよ」

「「は!」」

 女性関係を清算しなかった分、自業自得だろう。

「まじか」

 大河は、死刑宣告を受けた被告人の様な絶望感ある表情になるのであった。


「……」

 湯に肩迄浸かりながら、ヨハンナは、妻子と談笑する大河を見ていた。

「父上、今度、政宗様と逢引行くんだけど、化粧した方が良いかな?」

「いや、早いぞ。愛よ」

「やっぱり早い?」

「年相応で良い。幼くて化粧するのは、馬鹿のする事だ」

 女好きに見えて、教育には、非常に熱心だ。

 子供の厚化粧を止めさせ、金髪にもさせない。

 刺青や薬にも手を出させない。

 愛姫や累等も幼いながらも、慕っている所を見るに、何だかんだで良い親なのだろう。

「後、余り華美な服は着て行くな」

「どうして?」

「目立つ。誘拐されたら大変だ。地味に行け」

「分かった。父上」

「うん?」

「大好き♡」

 頬に接吻され、大河は嬉しそうだ。

 その時、チクリとヨハンナの心が痛む。

 分かっている。

 これは、恐らく初恋だろう。

 然し、この恋心を公にするつもりは無い。

 ヨハンナは、敬虔な切支丹キリシタン

 操は、唯一神に捧げ、誰とも恋をする事も、交わる事もしない。

たま

「はい、只今」

 すーっと、たまがやって来た。

「初恋って彼?」

「はい?」

「聞かせて頂戴」

「はぁ……?」

 急な質問に珍紛漢紛ちんぷんかんぷんだが、たまは、誠実だ。

「はい。若殿です」

「他の恋はしたくなかった?」

「失恋したらそうなっていたかもしれません」

「そう……幸せ者ね。大事にするのよ。彼」

「?……は、はい」

 意味が分からず、戸惑うたまであった。

 

[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:福田アジオ『日本民俗大辞典(下)』吉川弘文館

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