第403話 神色自若

・政宗の養子

・伊万の人質

・最上義光の国替え

 は、大河の独断専行であったが、彼に反対派は居ない。

 日ノ本版永久独裁官ディクタトル・ペルペトゥオの様だ。

 一旦、帰郷後、大河は再び越後国に戻る。

 を連れて。

 愛妻達には与祢が説明していた様で、怒っている様子は無い。

 それ所か、「家族が増えた」と大喜びだ。

「伊万、飴食べる?」

「にゃはははは♡」

 誾千代の膝の上で、伊万は飴を舐め舐め。

 一方、華姫は不満顔だ。

「ちちうえは、ようじょがすきなの?」

「何でだよ」

 文句たらたらの彼女は、政宗の作ったずんだ餅を食べている。

 料理の御蔭で2人の仲は、急接近。

 その為か、父親離れが進んでいる。

 その証拠に政宗の傍から離れない。

 悲しい事であるが、これも成長だ。

「だ!」

 その分、大河の膝に居るのは、累だ。

 彼女は、舌を出す。

「おお、あっかんべーを覚えたのか? い奴だ」

 本当は、華姫に向けた挑発だったのだが、親馬鹿は誤解した様だ。

「「「……」」」

 元康、猿夜叉丸、デイビッドは羨まし気な視線である。

「皆も」

 笑顔で大河は、3人をクレーンゲームの様に引っ手繰たくる。

「4人には、もうすぐ妹が出来るからな。仲良くするんだぞ?」

「「「「だ!」」」」

「良い返事だ」

 頭を撫でると、4人は、破顔一笑。

 ゲラゲラと大笑い。

 感性が合っているのは、仲が良い姉弟になれるだろう。

「皆様、若殿は、御疲れです」

「「ささ」」

 アプトと珠、ナチュラがそれぞれ、抱き抱えて、母乳を与える。

 卒乳の時機タイミングは、明確に決まっている訳ではないが、WHO世界保健機関では適切な食事を摂りながら、2歳もしくはそれ以上まで母乳を継続する事を推奨している。

 その間、大河は朝顔を抱き締める。

「良い匂い♡」

「真田、変態だぞ?」

「陛下。これは忠義なのです。陛下の匂いを嗅ぎ、体調の変化に気付く事は、忠義かと」

 迫真顔で朝顔の首筋に接吻。

「もう♡」

 橋姫、幸姫、松姫の御姫様トリオは、羨望の眼差し。

「「「……」」」

 すると、大河は見返した。

 皆もと。

「「「!」」」

 3人は朝姫に気を遣いつつ、大河に近付く。

 どさくさに紛れて本物の王女、ラナも。

 朝顔は、大河の膝に座る。

「肩揉んで」

「へいへい」

「何その生返事? 不忠―――」

かしこまりました」

「橋、罰として、

「は」

 橋姫が、指パッチン。

 直後、大河の体は、みるみる内にコ〇ン君化。

「うわ!」

 初めて見る光景に伊万は、大興奮だ。

「すごい! すごい! なんで?」

 誾千代が、優しく説明する。

「橋はね。奇術師なの。だから怒らせない方が良いわよ」

「にんじんさんにされちゃう?」

「かもね?」

 子供らしい、可愛らしい表現に誾千代は、微笑む。

(政宗は大河に取られちゃったけれど、この娘は私の子供にしようかな?)

 余りにも可愛らしい為、養女にしたくなった。

 無論、最上氏との交渉次第になるが。

 少年になった大河は、朝顔に逆によしよしされる。

 普段、腕力で敵わない楠や阿国、三姉妹等もベタベタ。

「兄上が年下になった♡」

「兄者、可愛い♡」

 大河は、されるがままだ。


「美少女に セクハラされりし 越後の夏 男女の股は いと濡れし」


 と詠みつつ、幸せな笑みを浮かべているのであった。


 青年ver.より少年ver.の方が、評判が良い。

「真田は、可愛いなぁ♡」

「本当ですね。陛下」

 朝顔、お市は相当、このver.が御好みな様で、寝所でもこの状態を維持させている。

「真田、もうずっとその姿で居てよ」

「え~。嫌だよ」

「勅令でも?」

「この姿だと、鎧兜を付けれないし、第一、守れない」

「平和な治世なのに?」

「常在戦場だよ。『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』」

「ラテン語だね?」

 お市は珍紛漢紛ちんぷんかんぷんだが、朝顔は、直ぐに分かった。

 賢い上皇だ。

「よく御存知で」

「勉強家だからね」

 朝顔は珍しく、大河を抱き締める。

 少年になった事で、当然、彼の平熱も高くなる。

「暖かい♡」

「なら、私も」

 2人は、大河を挟む。

 朝顔は、大河の頭を撫で、お市は、彼の腹部をベタベタ。

「子供は、順調?」

「はい、陛下。もうすぐ生まれます」

「私も立ち会って良い?」

「どうぞ」

 保健の知識程度しかないが、朝顔は出産未経験者なので、他人の出産に興味があった。

 将来的には大河の子供をはらむかもしれない為、予習でもあるのだろう。

 ガチャガチャと金属がぶつかり合う音がする。

 鎧武者が来た様だ。

 障子は開けず、寝所の前で座る。

「……景勝?」

『……』

 ―――『最上氏の伊達氏への降下に反対する重臣の一部が、挙兵。出羽国独立を目指している模様です』

「分かった。有難う。謙信は?」

『御出陣なされる予定です』

「分かった。行こう」

 大河は、欠伸しつつ、立ち上がる。

「楠」

 天井のタイルが反転し、楠が顔を出す。

いくさ?」

「そうなるな。最初は無罪で通したが、二度目は無い」

 怒気を滲ませた後、大河は、2人のそっと口付け。

 出陣は急だが、妻を忘れる訳にはいかない。

 朝顔は、行かせたくない様で、袖を摘まむ。

「……」

 が、口では言わない。

 出羽国で民が殺傷するかもしれないのだ。

 それを自身の感情で止めるのは、難しい。

「ちょっと、行って来る。直ぐ戻るからな」

「……うん」

「陛下、大丈夫ですよ」

 お市が、優しく朝顔を抱擁する。

「……じゃあ、ちょっと行って来るわ」

「帰って来るよね?」

「ああ。大好きだよ」

「私も。愛してる」

 2人は接吻し、別れを惜しんだ。


 本陣に到着すると、既に政宗が、謙信、誾千代と軍議を開いていた。

「ああ、貴方も来たの?」

「景勝に呼ばれてな」

 誾千代は、久々に鎧武者になっていた。

 因みに大河は、元の姿に戻っている。

 橋姫も当然の事ながら、軍医として帯同している。

 その他、参加者は以下の通り。

・楠

・小太郎

・鶫

 エリーゼや千姫も観戦武官としてだが、参加したがっていたが、流石に子持ちを戦場に連れて行く事は出来ない。

「楠、反乱軍は?」

「5千」

「意外と多いな」

「浪人主体だからね」

 万和になってから、武士の失業者は増えた。

 日ノ本は、彼等の受け皿として、

・兵士

・警察官

・警備員

 等、武士に近い業種を用意しているのだが、浪人を選ぶ保守派な武士はまだまだ多いのだ。

「指揮官は?」

「最上義守」

「成程な」

 現在の当主は、義光だが、その前任者が義守だ。

 2人は父子なのだが、元亀元(1570年)頃から、仲が悪い。

 史実では、同年中に重臣・氏家定直(1504? ~1570?)の仲裁で2人は和解したものの、天正2(1574)年1月、両者の間が再び険悪になると、伊達氏からの独立傾向を強めていた義光を抑えるべく、伊達輝宗が岳父・義守救援の名目で最上領内に出兵する(天正最上の乱)。

・天童頼貞

・白鳥長久

・蔵増頼真

・延沢満延

 等が義守・輝宗に同調、義光派の寒河江氏を攻める。

 寒河江氏も義守側に付き、義守派有利で和睦がされたが、義光は敵対勢力を個別に撃破し、寒河江氏も再び義光に伺候する。

 その後、義光に有利な和議が伊達氏と成立し伊達氏も撤兵した。

 父子の義守と義光の対立は続いたが、出羽国国人領主・白鳥長久(? ~1584)の仲介で和議が結ばれ、義守は隠居。

 以後、最上氏は義光体制となった(*1)(*2)(*3)。 

 天正2(1574)年と言えば、

・越前一向一揆

・金ヶ崎合戦

・高天神城の戦い

・長島一向一揆

 等、日本史の教科書で掲載される様な、有名な戦が数多く起きた年だ。

 中央では、群雄割拠している間に、最上氏は内輪揉め。

 結果論ではあるが、中央に先を越された感は否めない。

 在京の義光と、越後に居る伊万は、無事であったが、代わりに義姫が人質になった。

 義守の次男・中野義時は、謝罪した。

「叔母上、申し訳御座いません。この様な仕打ちをしてしまい……」

 義時29歳。

 史実では、天正2(1574)年に嫡子・義光との後継者争いで敗れ、自害。

 享年24歳。

 とても若く亡くなっている。

 一方、この時間軸では、生き長らえていた。

 史実では、『最上記』『奥羽永慶軍記』『治家記録』等に彼の記載が無く、登場するのは、12本ある系図の一つ『菊池蛮岳旧蔵本』のみ。

 文献に初めて登場するのは、仙台市青葉城資料展示館の学芸員の指摘によれば、『稽補出羽国風土略記』だ(*4)。

 従って、中野義時=創作人物説もあるのだが。

 兎にも角にも、この世界では、実在していた。

「良いのです。戦争が始まるのですから」

 伊達家乗っ取り計画が失敗した義姫は、失脚し、蟄居になっていたのだが、義守・義時父娘に救出され、保護下にあった。

 義光と仲が良い彼女を解放する事は難しく、結局、父子の人質には変わりないが。

「殺し合いは、戦国乱世の常です。挙兵した限り、勝ちなさい」

「は!」

 

 同じ頃、仙台城では、

「最上が……」

 何とか快復した輝宗は、仙台城に居た。

 この城は、慶長6(1601)年に築城された為、万和4(1579)年にはないのだが。

 南蛮貿易で財を成した輝宗の下で、22年早く完成していた。

「殿、真田が、出羽に再び入りました」

「……軍勢は?」

「不明。ですが、国軍の特殊部隊や情報機関が多数、越境している様です」

「……」

 輝宗が連想したのは、奥州合戦(1189年)。

 28万4千騎(*5)もの鎌倉幕府の侍が、17万騎(説)もの奥州藤原氏との戦いだ。

 関ヶ原合戦では、西軍約8万人、東軍約7万もの軍勢が戦った事を比較すると、奥州合戦の方が規模が大きい事が分かるだろう。

 長治2(1105)年、平泉に最初院(後の中尊寺)を建立して以来、平泉文化を極めていた奥州藤原氏は、この合戦で敗れ、滅亡した。

 84年という短期間ではあったが、中央から遠く離れ、


『昔から祖彌そでいみずから甲冑をつらぬき、山川さんせん跋渉ばっしょうし、寧処ねいしょいとまあらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国』(*6)


と、古墳時代に記述されていた事を考えたら、中央から敵視される中でのこの発展は、奇跡と言えるだろう。

 輝宗は、独立派ではないが、東北の発展を心から願っている。

 大河が武力行使を選べば、出羽は、血の海になる可能性が高い。

 残虐な性格から向こう100年は、人が住めなくなる位、荒廃する事も考えられる。

(……最後の仕事になるかもな)

 義姫に毒殺されかけて以来、輝宗の人生観は変わった。

 ―――東北の為に尽くす。

 それが、余命短い彼の目標になった。


『参考文献・出典]

*1:『伊達輝宗日記/原題天正二年御日日記『大日本史料』10編20冊

*2:『伊達輝宗日記』/原題天正貳年御日日記『大日本史料』10編23冊

*3:伊藤清郎『最上義光』吉川弘文館〈人物叢書〉 2016年

*4:最上義光記念館

*5:『吾妻鏡』

*6:『宋書』倭国伝

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