第292話 天空海闊
耶蘇会日ノ本管区は、大河と親しい関係にある。
日ノ本で耶蘇教が、安全に布教出来、教会も建設出来たのは、彼の影響が大きい。
日本の切支丹に強い影響力を持つ高山父子の訪問を、大河は、歓迎した。
「ようこそ。ささ、御茶でもどうぞ」
「「有難う御座います」」
禁教令が成立した後も、父子は、自分達が切支丹である事を隠さない。
―――
『右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ』(*1)
『汝の敵を愛せよ』(*2)
―――
を遵守し、教会を焼かれても暴行されても、意思を曲げない。
キング牧師、ガンジー並の崇高な精神の持ち主である。
珠が、接待する。
彼女は、2人でロザリオを見せた。
「『
「! 何と、切支丹が?」
同志を見付けて、右近は喜ぶ。
一方、友照は、訝しむ。
切支丹の支持を集める為に娶ったのでは?
と。
珠は、大河の隣に座る。
「この部屋には自分以外、皆、切支丹です。御訪問した理由を御聞かせ下さい」
「……は」
友照は、珠を気にしつつ、単刀直入に尋ねる。
「あの法案は、真田殿。貴殿が提案者なのでは?」
「法案?」
大河は、珠を抱き寄せつつ、首を傾げた。
珠が恥ずかしそうに俯く。
2人が愛し愛っている事は、誰の目で見ても明らかであった。
「『宗教統制法』です。何故、現行の破壊防止法があるのに、新法を作る必要があるんですか?」
「それは、提出した与党の方々に御聞き下さい。自分は、確かに政府側の人間ではありますが、政治には、中立です」
「「……」」
公的に大河が、政治に関わらない様になったのは、朝顔と結婚したからだろう。
父子が突いても、何も出てこない可能性が高い。
「ただ、この時機に御訪問して下さったのは、幸運です。耶蘇教の現状を考慮し、我が国独自の宗教組織を作ろうかと思います。仏教協会の様な」
「成程」
右近は、頷く。
旧仏教協会は、醜聞により解体され、総務省の管轄下として生まれ変わった。
簡単に言えば、国営になったのだ。
悪僧と判断された僧侶は、「人々の純粋な心を騙した大罪人」として、一般の詐欺罪以上に厳罰に処される。
耶蘇会も国営化されれば、そうなるかもしれない。
短所としては、政府を恐れて、何事も忖度してしまう事だろう。
「右近殿には、その新組織の責任者に任命したいのです」
「は? 私に?」
「ええ。本当は、珠を任命したいのですが、それだと公私混同になってしまいますので」
「成程」
政治家が、組織の高位に自分の親族を据えるのは、独裁者の典型例だ。
例えば、東欧革命で唯一、殺されたチャウシェスク(1918~1989)は、核物理学者になった長男を除いて、政権の幹部となり、家族ぐるみで国家を運営した。
シリアでも1971年以降、短期間を除いて、特定の一家が独裁体制を築いている。
独裁国家は、家族経営な場合が多いのだ。
与祢が、墨で書かれた大きな紙を持ってくる。
『日ノ本耶蘇会』
たった6文字だが、父子は瞬時に理解する。
仏教協会の旧教版である事を。
「右近殿には、会長。友照殿には、名誉会長を御用意しています。御受けして下さいますか?」
「「……」」
仕官するのは、苦労すると思っていたのだが、まさかの勧誘だ。
戸惑った後、2人は頷いた。
「「謹んで御受けします」」
日ノ本耶蘇会の歴史が、始まった。
法案が審議され、組織も歩み出す中、大河は九州の事も忘れていない。
島津貴久、大友宗麟を京都新城に招待し、実情を聞く。
「義弘殿が、大いに御活躍されているそうですね?」
「うむ。流石が”鬼島津”だろう?」
分かり易く貴久は、笑顔だ。
「北部も忘れるなよ。大友隊が島津に負けぬ働きを見せているんだから」
2人は、戦国時代、敵対した仲だが、家臣を大河に送って以降、徐々に仲良くなっている。
複雑だが、大河を通して縁戚関係になったのだから。
敵対する理由も無い。
「それで、国家保安委員会は、如何見ているんだ?」
「報告書あるか?」
「どうぞ」
楠が作った報告書の複写を見せる。
守秘義務違反に見えるかもしれないが、両人は、討伐軍を送っている関係者だ。
情報共有の観点から、見せない訳には行かない。
「「……」」
2人が熟読している間、誾千代と楠がやって来た。
「「上様、お久しぶりです」」
彼女達は、久し振りに来た上司の為に黒振袖を披露。
「「おお……」」
忠臣の晴れ姿に2人は、息を飲む。
元々、美女と美少女だ。
一時は所属先の関係上、険悪であったが、両家の友好が進むに連れ、彼女達も棘が無くなり、今では女子会をする仲だ。
挨拶を終えた後、女性達は大河の両脇に座る。
楠は、右側を。
最近、山城真田家では誾千代等、古参の正室が大河の近くに居る際、左側を座る様になった。
これは、『
日ノ本には、飛鳥時代、遣唐使等を通じて中国から伝えられた。
唐では「天帝は
皇帝は不動の北極星を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、日は左の東から昇って右の西に沈む。
日の昇る東は沈む西よりも尊く、故に左が右よりも上位とされた。
実は中国では王朝や時代の変遷によって「左上位」と「右上位」が
左上位は、正面から見ると、右が上位となって左右の序列が逆になるが、あくまでも並ぶ当事者から見て左側を上位・高位とする。
律令制での左大臣と右大臣の並び順は、天皇から見て左側に格上の左大臣、右側に格下の右大臣が立った。
国会議事堂も、真ん中の中央塔から見て左側に、貴族院の流れを汲む参議院を配置。
舞台の左側(客席から見ると右側)を「上手」、右側を「下手」と呼ぶのも、左上位に基づいている。
左上位は日常生活の仕来たりにも浸透しており、和服の着方である「右前」はその代表例。
自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。
襖や障子のはめ方も、襖や障子から見て左側を前にするのが鉄則だ(*3)。
左上右下は、山城真田家には無かった。
導入者は、朝顔だ。
彼女が、「左上右下を導入してくれ。何だか違和感がある」との事で、採用に至った。
因みに朝顔が誾千代と同席した場合、後輩だが、朝顔が上位になる。
流石に皇族と平民の地位が逆転する事は出来ない。
朝顔は「公務以外なら気を遣わなくて良いよ」と言ったが、誾千代が丁重にお断りし、結果、朝顔が済し崩し的に最上位になってしまった。
無論、彼女に罪は無い。
環境が悪かったのだ。
閑話休題は、これで終わり。
時を戻そう。
「「……」」
2人は、忠臣の晴れ姿に涙す。
披露宴には、出席したが、これ程間近で見る事は出来なかった。
平和な時代だからこそ出来る事である。
「誾、仲良くしている様だな?」
「はい。毎日、らぶらぶです♡」
大河に抱き着き、その仲の良さを
大友氏の中には、誾千代の離縁を望み者も多い。
・不妊の彼女を尼僧にさせたい
・上皇陛下に迷惑をかけたくない
との理由からだ。
当然、誾千代の意見を無視した形である。
そういった事もあり、宗麟の前では、必要以上にイチャツク必要があるのであった。
大河も2人と更に密着し、その親密度を
「毎日、仲良くさせてもらっていますよ」
「「そうか……」」
宗麟、貴久の目尻は、緩みぱなっしだ。
親の様に、
・
・子供が出来ず、悩んでいないだろうか?
・夫婦喧嘩していないだろうか?
等、不安が絶えない。
襖の向こうから声がする。
『真田、ちょっと良い?』
朝顔のそれだ。
「ああ、行くよ。済みませんが、用事が出来た為、4人で御歓談してて下さい。それでは」
去り際、誾千代と楠の其々に額に接吻してから出ていく。
人前でも愛情を隠さないのは当初、彼女達を困惑し、恥ずかしがらせたが、もう慣れた。
「「行ってらっしゃい」」
まるで、双子の様にハモって送り出す。
貴久は、理解した。
朝顔が、大河を呼んだ真の理由は、自分達で楽しい空間を作りたかったのだろう。
宗麟も同じ様な感想らしく、嬉しそうだ。
「じゃあ、2人には、豊後牛を」
「待て待て。黒牛が先だ」
名産品を巡って、楽しく喧嘩を始めるのであった。
都内に居ながら、大河はちゃんと九州を忘れている訳ではない。
・大友隊
・島津隊
の協力者として、国家保安委員会を派遣し、国軍同様、前線で戦っているのだ。
日本海や瀬戸内海等、反乱軍が航行する海域には、機雷をばら撒いて、中国地方や四国に上陸しない様に努めている。
又、不審船を発見次第、それが外国籍だろうが、漁船だろうが、御構い無く海軍がミサイル発射。
不審船は皆、
天草等を占拠した反乱軍であったが、その後、国軍の封じ込めに遭い、最初の時の様な勢いを失っていた。
「糞! 政府の奴らめ!」
「山口の同志は如何だ?」
「毛利が、領内の教会を日ノ本耶蘇会の管理に置いた。他の所もな?」
「じゃあ、俺達だけが、真の切支丹って訳か?」
「そうなるな」
全盛期の勢いが無いだけに反乱軍には、焦りの色が見えていた。
占領した集落の男達を、子供から老人まで平等に徴兵したのだが、無理矢理参加させられた為、士気は非常に低い。
督戦隊の目を盗んで敵前逃亡する脱走兵も多い。
彼等は
その結果、4万人以上居た軍勢も開戦後、1週間も経たずに約半減している。
脱走兵の他、戦死も多い為だ。
一部を除いて、反乱軍を構成する兵士の多くは、戦闘に特化していない素人である。
碌に訓練も受ける暇も無いまま、出撃し、戦死するのが、平常運転となりつつある。
なので、減った分、更に集落から男を探し出すのだが、新兵は、やる気が無い。
戦闘になった際、自分達を徴兵した上官をどさくさに紛れて殺害する事も多々ある。
既に反乱軍は、空中分解の様相を呈していた。
原城の四郎と晴信は、軍議を重ねるしかない。
「やはり、志願兵だけに絞った方が宜しいかと」
「気持ちは分かるが、兵力が圧倒的に足らなくなるぞ?」
「支配地域の非戦闘員を人質にして政府と交渉しますか?」
「ならん。彼奴等は、人質が居様が問題無く攻撃するぞ? 『反国家分裂法』を忘れたか?」
「う……」
反国家分裂法は、国会の真田派が提出し、成立した現代で言う所のテロ対策法だ。
分かり易く要約すると、
・漁船等の乗っ取り事件の際、人質の有無に関わらず、撃沈等出来る
・緊急性を要した場合に限って検閲、盗聴、盗撮、拷問等を認める
・刑事警察(民警)の対応が困難な事件については、その権限を国家保安委員会に委譲する
等が、決まった。
これに則れば、政府は、人質が1人でも100人でも武装勢力に対して攻撃が可能だ。
反乱軍が如何に『人間の盾』をし様が、司令官次第では、人質諸共殺害する事が出来るのである。
人質やその家族にしたら悪法以上の何物でもないが、「一歩足りとも譲歩しない」という政府の強い意向が反映さえているのだけは、分かる。
四郎が、渋面で言う。
「右衛門、使者となって交渉して来い」
「は」
「分かっているだろうが、家族は置いていくんだぞ?」
「……は」
晴信の圧力に右衛門は、悟るのであった。
(終わりだな)
[参考文献・出典]
*1:新約聖書 マタイによる福音書 第5章
*2:新約聖書 ルカによる福音書
*3:くらし&ハウス 暮らしの知恵 2013年2月7日
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