第235話 春寒料峭

 都内各地で花見が行われる中、

「真田殿、御忙しい中、時間を作って下さって有難う御座います」

 正装に身を包んだ家康が、登城した。

 御供おともは城門に置いて来た事から文字通り、単身で来たのだ。

「いえいえ」

 徳川家という事もあり、千姫も出席している。

 然し、祖父ではなく、大河の隣だ。

 実の祖父より、夫を選んでいる辺り、千姫の家康に対する猜疑心の表れだろう。

「……真田殿、申し訳無いが、孫と2人きりで―――」

「嫌」

 大河の腕にしがみ付き、千姫は、睨む。

 家康の孫娘だけあって、そのやじりの様な鋭い視線は、流石、武家の女性だ。

 家康でなければ、失禁していた事だろう。

「どうせ。『曾孫ひまごを渡せ』とかでしょう?」

「……」

 図星だったのか、家康は、沈黙。

 ”海道一の弓取り”も、孫娘には、敵わない。

「……曾孫は、元気か?」

「ええ。アプト」

『は』

 隣室から声がしたかと思えば、アプトが、乳幼児を抱いて入って来た。

 おしゃぶりを付けた曾孫は、初めて見る家康と目が合うと、

「………」

 じー。

 誰? という様な顔で直視する。

 雰囲気的に家族の1人なのは、判った様だが、大河の遺伝か警戒心は強い。

「……名前は?」

「信康」

「!」

「そうよ。貴方が殺した伯父上様も御名前です」

「……」

 改めて、家康は赤子を見る。

 偶然だろうか。

 思い込みだろうか。

 信康の赤子の時に似ていなくもない。

「……何故、その名を?」

「御爺様が、私を利用した復讐です」

「……その節は、済まなんだ」

 只管ひたすら、平身低頭。

 史実でも千姫は、徳川家から愛される存在で、家康(祖父)、秀忠(父)から可愛がられ、家光(弟)とも姉弟仲は良好だったらしい。

 歴代幕府もその経歴から処遇に関しては細心の注意を払った事を見ると、織田家と浅井家の血を引き、更に豊臣家にも嫁いだ彼女のさが分かるだろう。

 千姫を気にしつつ、家康は見た。

婿殿むこどの、お恥ずかしい所を御見せしてしまい、申し訳無い」

「いえいえ。それで、の話ですか?」

「!」

 聞いていない、とばかりに千姫は振り返った。

「山城様、それって―――」

「我が家じゃないよ」

「! では―――」

 改めて、祖父に視線を向ける。

 首を動かし過ぎて、痛めないか心配だ。

「地獄耳ですな?」

 苦笑しつつ、家康は頬を掻く。

 大河の情報網は、日ノ本一だ。

 流石に恩人である織田家、毛利家や大友家、島津家等にはしていないが、かつて敵対した徳川家等には間者を放ち、家康や四天王の行動を会話から放屁の全てまで記録している。

 失脚後、別荘ダーチャの至る所に盗聴器を仕掛けられ、血税を使って放屁迄盗み聞きされていたフルシチョフの様に。

 外見上、温厚誠実に見える好青年である大河だが、その裏では一度敵対した者には、一切心を開いていないのだ。

 家康もその節に気付いているが、口が裂けても言えない。

 何か言えば、事故死に見せ掛けて殺される事は目に見えているから。

「何故、国替えを?」

 知っている癖に、と内心反論しつつ、家康は答える。

「占星術により、『関東を開拓せよ』との御神託を頂きました」

「はぁ……」

「ですので、御神託を実行したいのです」

「……」

 東海道の盟主という地位を捨てて、縁も所縁も無い場所に異動を希望するのは、現代でも途轍もない決断力だ。

「……何故、自分に?」

「推薦人になって頂きたいんです。婿殿の名前は、効きますから」

「……伝統より、御神託を選ぶのは、何故です?」

「我が家は、御存知の通り東海道の名門です。ですが、平和になって以降、家臣の一部は、汗を流す事を嫌い、武芸にも励む事は少なくなりました」

「……」

「なので、新天地で一族総出で一から出直したい気持ちもあるのです。御神託は、丁度良い時機でした」

「……分かりました。千、どう思う?」

 一応、であるが、である千姫の方が、この問題の専門家だろう。

「……移住して餓死者は出ませんよね?」

「ああ、我が家は勿論の事、家臣団からは、1人も餓死者を出さん」

「……分かりましたわ。勝手にして下さい」

 異母兄を殺した祖父を赦す事が出来ないらしく、遠くなっても良いらしい。

 祖父に対して、あんまりな言葉だが、家康は怒れない。

 絶対的に悪いのは、自分だから。

「……婿殿、御推挙の程、何卒御願いします」

 千姫に頭を下げ、大河に懇願する”海道一の弓取り”は、今や、孫娘の幸せを想う好々爺に過ぎなかった。


 家康の異動届は、大河が推薦人という事ですんなり、受理される。

 当初、予想されていた、

・駿河国

・遠江国

・三河国

・甲斐国

・信濃国(上杉領の川中島を除く)

 の5ヶ国の召し上げは、「織田家の元盟友」という理由から、無くなった。

 これで北条氏が治めていた、

・武蔵国

・伊豆国

・相模国

・上野国

・上総国

・下総国

・下野国の一部

・常陸国の一部

 の関八州は、徳川家の領土に加えられ、旧領主となった北条家は、その家臣に成り下がる。

 事実上の降格処分だが、北条家としては、大河と正面から衝突するより、親類縁者の徳川家の一家臣として生存を図った方が良い、と判断し、渋々承諾。

 北条家の断絶は、避けられた。

 千姫は、元康を抱き、上機嫌だ。

「えへへへ♡」

「笑顔が止まらんな」

「だってぇ~」

 何度も、東海地方から関東地方までの地図を見る。

 これが全て、実家の私有地なのだ。

 笑いが止まらないのは、当然の事だろう。

「真田様」

 真剣な面持ちで、茶々が割って入った。

「千姫様に鼻を伸ばすのは、宜しいですが、真田様には、何れ、小谷城に御入城頂きたいです」

「何の為に?」

「猿夜叉丸に会う為に。浅井を率いる為にです」

 ずいっと、顔を近付かせる。

「……彼奴が、俺を父親と認めらたらな」

「では、その時は宜しく御願いします」

 条件付きとはいえ、大河が呑んだ為、茶々は、満足気だ。

 大河の膝に頭を乗せて甘える。

「固いです」

「柔らかったから怖いだろう? 腐ってる証拠だ―――」

「もう、風情がありませんわね」

 膝を指でツンツン。

「「御姉様……」」

「御出で。独り占めしないから」

「やった♡」

「わーい♡」

 お初、お江も笑顔で近付き、其々それぞれ右手、左手を握る。

「もー、私の場所が無いじゃない?」

 謙信が累を抱き、華姫と握手しつつ、入室する。

「背中があるだろう?」

「そこは、私♡」

 誾千代が抱き着いた。

 最近、御無沙汰だった為、3月以降、積極的だ。

 仕事をしていても、事ある毎に執務室にやってくる始末である。

「暑いな」

「女の肌で蒸し殺してやるわ♡」

 嫌な死に方ではあるが、大河はちょっと興味を抱いたのは、言う迄も無い。


 4月は、現代同様、入学式の時期である。

 背嚢ランドセルを背負い、真新しい制服に身を包んだのは、与祢と珠。

「「……」」

 所謂、セーラー服に恥じらう。

「似合ってるよ」

 大河は、微笑む。

「珠様は、中等部。与祢様は初等部で其々それぞれ、授業を受けて頂きます」

 事務的に鶫が説明する。

 学校に通うのが、羨ましいのだ。

 識字率は、国のレベルを表す指標の一つだろう。

 識字率が高い国程先進国が多く、逆に低ければ、発展途上国が多くなる。

 日本も、その御蔭で少なくとも二度救われている。

 1回目は、幕末期。

 日本侵略を考えた欧米列強が、密かに日本の識字率を調べると、寺子屋の御蔭で国民の多くが読み書きが出来、その計画は破談に。

 2回目は、戦後。

 戦時中の日本の恐ろしさを知ったアメリカは、その牙を削ぐ為に漢字廃止論を計画し、全国に調査員を派遣。

 然し、この時も高い識字率が判明し、その計画は頓挫した。

 文字というのは、国を救う程、重要な道具なのだ。

 文字を読めるだけで知識層になれる国や地域も現代には、数多く存在する。

 日本とは違う道を選んだのが、ポル・ポト政権期のカンボジアだ。

 眼鏡着用=文字が読める=知識層という構図から、ポル・ポトは、知識層を虐殺していき、一切の都市文明を否定。

 農業のみに特化した原始共産制を推し進めたカンボジアは、今尚、発展途上だ。

 識字率で見ても日本が、99%で23位に対し、カンボジアは、76・3%で133位(*1)。

 悪例を知っているからこそ、大河は、教育にも熱心だ。

 国立校の学費を無料化したのもその為である。

「じゃあ、行こうか?」

「若殿、手を繋いでも?」

「構わんよ」

 珠が右手と握手。

 遅れて、与祢は、左手を。

「む~、兄者。私のは?」

「じゃあ、ここは、如何だ?」

 腰を下ろすと、

「分かってるじゃない」

 嬉しそうに飛び乗り、首に手を回す。

「落ちない様に」

「分かってるって」

 と、言いつつ、お江の絞める力は強い。

 常人だと危ないが、そこは、軍人。

 大河にしてみれば、赤ちゃんに裸絞チョークスリーパーされている様な感覚だ。

 一緒に通学する朝顔、楠からは、抗議が来ない。

 3人と比べれば自分達は、大人な女性―――とでも言いたげな程、自信満々な顔である。

 一行は、春の陽を浴びつつ、京都新城を出発するのであった。


 学校での大河の立場は、創始者である。

 例えるならば、慶応義塾大学の福沢諭吉の様な立ち位置だろうか。

 近衛大将が創始者という事もあり、安心して子供を預ける親は多い。

 寮もある為、北は蝦夷。

 南、旧琉球から集まって来る。

 学生達を送り出した後、大河は、校長室に入り、そこでも仕事をする。

・帝からの要望書

・女官からの相談事

・近衛師団からの予算増額要求

 等、用心棒以外にこなさなければならない仕事は多い。

(ふむ……)

 書き物をしつつ、ふと、隣室と目が合う。

 鏡張りのそこは、託児所だ。

 累やデイビッド、猿夜叉丸、元康が仲良く寝ている。

 子は国の宝、という信条の下、国立校では、託児所が設置されている。

 現代で言う所の企業型保育園が近いかもしれない。

 この為、子を持つ教職員は、安心して授業や仕事が出来る。

 当然、我が子を生徒にしない様に配置転換も必要不可欠だ。

「……?」

 ぱちくり。

 累が目覚めて、辺りを見回す。

 そして、大河を見付けると、

「……だー♡」

 幸せそうな顔で硝子に張り付いた。

 むにゅっと、顔面が、あっちょんぶりけの様に潰れる。

 大泣きする前にアプトが動いた。

「連れて来ます」

 流石、気が利く女官だ。

「有難う」

 アプトが扉を開け、他の子供達を起こさない様に累だけ抱っこして戻って来る。

 大河と腕の中に渡ると、

「だー♡」

 甘えたい盛りらしく、頬擦り。

「全くしょうがないな」

 書き物を一旦止め、あやす。

 仕事は、愛児の為ならば二の次で良い。

『父母はただ其のやまいこれ憂う』と『論語』にある様に。

 子の健康を想わない親は、居ない。

 累が、大河の頬を引っ張ったり、抓ったり、書類に涎を垂らしても何も言わない。

 只々、成すがままだ。

「若殿、書類が―――」

「又、作れば良い」

 子煩悩な大河に小太郎も笑うしかない。

「(良い父親だね?)」

「(そうそう。若殿は、こうでなくちゃね)」

「(多分、日ノ本一の親馬鹿だよ)」

 其々、小太郎、鶫、アプトの評。

 累も大喜びだ。

(大きくなったら父上の専属用心棒になる!)

 幼いながらも、ル●ィの様に固く誓うのであった。


[参考文献・出典]

*1:2013年国連 人間開発報告書HDR 個人による統計

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