第166話 鬼哭啾啾

 英気を養った大河は、健康優良児そのものだ。

 北畠軍は昭和20(1945)年8月15日朝の大日本帝国並に終戦間近であった。

 僧兵や傭兵は、「テロリスト」と認定され、その場で殺害される。

 30万人居た北畠軍は、僅か1日で数千人にまで減っていた。

 長島城では、

「降伏をした方が家を存続出来る!」

「いや、こうなった以上、徹底抗戦だ!」

 主戦派と和平派の意見が対立していた。

 支城は全て落城し、テロリストと認定された捕虜は、殺されるか新兵器の実験台になっている。

 長島城目前の平然でアキレス腱を斬られ、膝の皿を叩き割られた捕虜は、空軍の焼夷弾の雨に遭う。

「ぎゃああああああああああ!」

 捕虜達の背中や頭部、顔に刺突後に燃え上がる。

 凄惨な場面シーンに長島城内は憤る、というより、恐怖でしかない。

「「「……」」」

 主戦派も沈黙した。

「鬼だ……」

 具教の呟きに家臣団は、頷く。

 真田軍は、対外的には、軍規が厳しく、人道的な軍隊として有名だ。

 然し、それは噂の様で、目前で起きている事はとてもその様な軍隊とは思えない。

 公開処刑だけでない。

 長島城から見える北畠軍の陣地や支城は、F-16の的となり、破城と化している。

 内は、丸見え。

 城壁も崩壊。

 北畠家伝統の家宝は、全て真田軍に接収され、家紋が入った軍旗は、狙撃手スナイパーの遊びの的になっていた。

「上様、使者が参られました」

「使者?」

 襖が開き、肥満体の武将が、入室する。

「「「!」」」

 具教達は、腰を抜かす。

 大河が放った使者―――それは、きたばたけともふさ

 史実でもかなりの肥満体であり、乗馬も出来なかったといわれる。

 父・具教と大河内城に篭城した際には、敵方の織田軍から”大腹御所の餅喰らい”と揶揄やゆされている。

 この様な具房に、塚原卜伝の高弟・具教は不満を感じていたらしく、『勢州軍記』は具房は父から疎外されていたと記している。

 具房は、大きな御腹を手で支えつつ、座った。

「よいしょっと。父上、御久し振りです」

「……どの面下げて、何の用だ?」

 真田軍が国境を越えた時、は、真っ先に降伏した。

 無抵抗で居城を明け渡し、挙句の果てには、侵攻の案内役を率先して行う等した為、具教や家臣団からは、非常に評判が悪い。

「降伏して下さい」

「……嫌だと言ったら?」

「決定事項です。既に我が家は、私が当主となりました」

「! 何だと?」

 すっと、具房は胸元から書状を差し出す。

 ———

『北畠具房

 右の者を伊勢国国主と任ずる

 征夷大将軍・織田信忠』

 ———

「!」

 びりっと破き、具教は抜刀。

 そのまま実子の首を刎ね様とした。

 切っ先が首筋に触れる。

 寸前。

 ズキューン!

 銃声と共に血飛沫が上がり、具教は倒れた。

 米神こめかみに綺麗に赤い噴水が出来上がる。

「「「!」」」

 家臣団は次々と抜刀し、狙撃手スナイパーを探す。

 然し、1人、また1人と撃ち抜かれていく。

 確実に致命傷となり易いヘッドショットで。

 弾丸は具房を綺麗に避け、武装した者のみを正確に捉えている。

 一方的な虐殺の中、具房は、

「……」

 実父の亡骸に合掌し、その開かれた目をそっと閉じる。

 不仲とはいえ、実父だ。

 送る時くらい、穏やかで行きたい。

(……然し、流石だな。山城守の軍隊は。百発百中だ)

 この攻撃は言わずもがな、狙撃手によるものだ。

 事前に聞かされていた話では半信半疑であったが、いざ、実際に見ると論より証拠。

 正確に敵味方を識別し、撃っている。

 100mも先から。

 狙撃手スナイパー達が使用しているのは、IMI ガリル。

 イスラエル製のそれは、変種バリエーションによって有効射程距離が異なるが、最短でも300m先の標的ターゲットを撃つ事が出来る。

 エリーゼ監修の下で組織され、使用弾薬も城壁を貫通する程、改造カスタムされている。

 狙撃手スナイパー達が、具房を誤射しないのは、彼の体に装着された信号が理由だ。

 それを特殊なカメラで通すと、赤色に光り具房の位置が判る。

 虐殺は、3分程で終わった。

 具教、彼に最後まで付き従っていた家臣団は、皆、殆ど断末魔を上げる暇さえ与えられず、額や米神に風穴を開けている。

 部屋は、一面、真っ赤に染まり、スプラッター映画の様な惨状だ。

制圧クリア

 真田軍が、何時もの黒づくめの軍服で突入して来た。

 信雄を惑わし、織田家を御家騒動にさせ様としていた具教の目論見は、失敗に終わった。

 その後、北畠具房は、正式に大河に忠誠を誓う。

 これにて伊勢国は、山城真田家の版図に加わるのであった。


「……伊勢が……」

 観戦武官として真田軍に同行していた柴田勝家は、荒れ果てた長島城を仰ぎ見る。

 死臭も酷い。

 戦場に慣れている”鬼柴田”でも、運び出されていく死体の多さに目を逸らすしかない。

「山城様、ここまでやる必要はあったんですか?」

「信賞必罰です。政変を企図したのですから当然の報いです」

「……この国は、貴家が?」

「荒廃させたのですから復興させなければならない責任があります」

「……着々と領地を増やしている様に見えますが?」

 勝家が疑うのも無理無い。

 無欲、と公言しながら、

・対馬国

・九州全土

・蝦夷地

 等を吸収しているのだから。

 これでも疑わない人物は、ただの無能か馬鹿だ。

「誤解ですよ。うして柴田殿を同行させ、尚且つ、織田家の役人を占領地に多数、配置しているのですから、織田領に他なりません」

「……然うだが」

 それでも信用出来ない、と勝家、不満顔。

 信長の忠臣だけあって、彼を圧倒する軍事力と器量の大河に、好感を持っていないのだ。

「……はっきり言おう。お市様を奪い、その上、我が家の黒幕の様に振る舞う山城、貴様が嫌いだ」

「残念です」

 ケラケラと大河はわらうばかり。

 男に嫌われても興味が無い、と言わんばかりだ。

「それ程お市様が御好きなんですね?」

「う……」

 弱点を突かれた勝家は、赤くなる。

 赤ら顔に角が生えれば、文字通り、”鬼柴田”だ。

「なあに?」

 優しい声で、お市がやって来た。

 柴田勝家、55歳(1522年説)の春である。

 戦国一の美女を前に思春期男子の如く、視線恐怖症になってしまった。

 正直、髭面のおじさんの照れる姿は、賛否が分かれる所だろう。

「私の話、してた?」

「はい。柴田殿が―――」

「山城、戦勝の御祝いに精力剤をどうぞ」

「おお、有難い」

 大蒜を大量に渡された。

「あら、”鬼柴田”優しいわね?」

「戦勝ですから」

 お市の前では、デレデレ。

 仕事一辺倒のサラリーマンが、ホステスに入れあげている様な感じだ。

 大河に目配せ。

『賄賂を受け取ったのだから、俺を重用しろ』

 と。

 完全に下心だ。

 大河は、笑顔で視線を送る。

なこった。この女も俺の大事な人だから』

 と。

「お市様」

「はい?」

「帰りましょう」

「きゃ♡」

 見せ付ける様に御姫様抱っこする。

 年下の童顔の義理の息子に掌で遊ばれているのは、お市も承知の上だ。

 然し、楽しい。

 浅井長政との新婚時代を思い出す。

(長政様、御免ね。でも、幸せだから。許してくれるよね?)

 優しい先夫の事だ。

 極楽浄土で、理解している事だろう。

 大河の首に腕を回し、お市は飛び切りの笑顔を見せるのであった。


 帰京前に大河達は、伊勢神宮を参拝する。

 伊勢神宮は、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬されている。

 神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。

 戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったた為、式年遷宮が行えない時代もあった(*1)。

 戦国時代には、尾張国(現・愛知県西部)の織田信秀の様に寄進を行う武将も居た(*2)。 

 然し、大河等の有力武将が熱心に寄進した御蔭で、今は、現代同様の原型を留めている。

 又、空前のお伊勢参りの流行により、観光資源で財政難は遠い昔の話だ。

 観光客に配慮して、閉館後に参拝を済ます。

 巫女等の職員には、大河が直々に残業代を渡していく。

「こ、これ程下さるんですか?」

「労働の対価ですから」

 玄人プロである以上、働いた分、無報酬という訳にはいかない。

 本人がどれ程拒否しても受け取らなければ意味が無い。

 その後、寄付したり、貯蓄したり、趣味に使ったりする等は本人次第だ。

 残業代は、大河の謝礼分を含めて1人10万円(現代換算)。

 僅か30分程の滞在なのだが、それでも破格の料金である。

 神宮大宮司は、只管ひたすら平身低頭だ。

「有難う御座います!」

 財力に物を言っている感は否めないが、大河は、日ノ本で最も寄進に熱心な武将と言え様。

「戦国の世を終わらし、尚且つ、ここまで厚遇して下さった山城様の恩に報いて、銅像を建て様と思います」

「いえいえ。その必要はありませんよ。引き続き天照大神様と豊受とようけ大神様を御信仰下さい」

 権力者は、自分の名を後世に伝えるべく銅像を建てる場合が多い。

 然し、政権が変わればその末路は悲惨である。

 東欧革命後、民主化を果たした東欧諸国ではレーニンが。

 イラク戦争後のイラクではフセインが。

 其々それぞれ、怒り狂った民衆の手により、ボコボコにされている。

 彼等の場合は、独裁者であった為、民衆の怒りに同情出来るだろう。

 又、揚げ足取りにも利用されかねない。

 木像で豊臣秀吉の怒りを買ったに千利休は、それが契機に切腹された(説)。

 大河程の地位になれば、千利休の様な末路になるのは難しいが、歴史を知っている以上、無暗に自分の像を造りたくのは本音だ。

「では、大宮司の私が言うのも何ですが、神社を創建してみては如何です? 大出世したのですから、死後、神になる事も」

 一神教の世界では、考え難い事だが、日本では、古くから人が死後、神様になる場合が多い。

 所謂、「ひとがみ」という信仰形態だ。

 ―――

『大別すると、

 ①祖霊を神格化して発生したもの(祖霊崇拝、エウヘメリズム)

 ②生前にこの世に恨みを残して没した者が祟りを引き起こす事を恐れてこれを鎮める為に祀るもの(御霊信仰)

 ③生前に優れた業績を残したものを死後に神として祀る事でその業績を後世に伝え様とするもの(エウヘメリズム)。

 である。

 ①は、天照大御神や大国主神等、神話の神々。

 ②は、

・天満大自在天神(菅原道真)

・神田明神(平将門)

 ③は、

・豊国大明神(豊臣秀吉)

・東照大権現(徳川家康)

 が代表例として挙げられる。

 又、近世の民衆の間では佐倉惣五郎に代表される義民や、

・竹垣三右衛門

・岡村十兵衛

 に代表される善政を敷いた代官、新田開発に貢献した人物等を死後も神として祀ったり、仙台四郎に代表される放浪者を生前から福の神として崇める信仰が生じた(*3)(*4)』(*5)

 ―――

「神様になる気はありませんよ。一介の武人ですから」

「そうですか? 勿体無いです」

 大宮司は、落ち込む。

「敬虔な信者ではありませんが、自分の神様は、天照大御神様御一人ですから」

 日本人で生まれた以上、天照大御神を否定する事は出来ない。

 鹿児島県神社庁が天照大御神を「日本国民の総氏神」としている(*6)様に。

 政治家として極力、宗教に接近しない様に配慮している大河であるが。

 天照大御神を主祭神として祀る伊勢神宮では、厳かな気持ちになるのであった。


[参考文献・出典]

*1:茂木貞純『知識ゼロからの伊勢神宮入門』幻冬舎 2012年

*2:谷口克広『信長と家康:清須同盟の実体』 学研新書

*3:伊藤聡『神道とは何か』中央公論新社〈中公新書〉 2012年

*4:紙谷威廣「人神」『日本歴史大事典 3』小学館 2001年

*5:ウィキペディア

*6:鹿児島県神社庁 HP

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る