第149話 禁門ノ変

 都市伝説の一つに『東京地下秘密路線説』なるものがある。

 その名の通り、「戦前に大日本帝国が秘密裏に建設したもの」とされ、その全容は令和の時代になっても謎に包まれている。

 それが、安土桃山時代の御所にもあった。

 政変未遂を機に朝廷は、帝や皇族の避難経路を立案し、着工。

 大河が近衛大将になった時に完成した。

「……ここだな」

 波多野秀治が、大きな扉を開ける。

 ギギギ……

 歯軋はぎしりの様な、不快音の後、決死隊は遂に御所内に侵入する。

 隧道すいどうは、大河が知らない所で始まり、知らぬ時に終わった。

 大河の活躍を嫉妬した一部の保守系有力公家達が、敢えて伝えなかったのだ。

「な、なんだ貴様等!」

 侵入者に公家達は、慌てふためく。

「煩い」

「が!」

 一太刀で斬殺し、彼等は吉良上野介を血眼で探す赤穂浪士の様だ。

 彼等には、運も味方していた。

 現代で言う所の近衛兵と皇宮警察の役割を兼ねる近衛師団は、御所内に居なかったのだ。

 流石に皇族の生活の場でもある御所に、武器を携行して入れない。

 居合わせた公家を殺して、遂に梅の間に居た帝を見付ける。

「!」

 返り血を浴びた決死隊を見て、帝は驚く。

 晴賢と秀治は、跪いて刀を置いた。

 敵意を無い事を示す為に。

「拙者は、陶晴賢と申します。賊軍より御救いに来ました」

「某は、波多野秀治と申します。陛下、新政府の宣言を」

「……うう」

 帝は、うめくしか出来なかった。

 

 帝が人質になったのは、直ぐに、大河にも伝わった。

「……秘密の隧道、か」

 隣席する信長は、額の血管が浮き出ている。

「……貴様等の所為か」

「「「ひ」」」

 御所から逃げて来た隠蔽体質の公家達は、震えていた。

『終戦のエンペラー』で描かれている宮城事件(実際には、あれは架空で史実の同事件では、皇居での戦闘は無い)の様な御所での戦闘は、武芸の素人でありながら、帝を守る為に戦った公家達も居た。

 彼等は、武家貴族と戦い玉砕した一方、敗因を作ったは、のうのうと生き延びている。

 インパール作戦の愚将・牟田口廉也を彷彿とさせる無能に、信長は遂に切れた。

「御所内の地図を書け!」

「「「は、はぁ~」」」

「待て。書く者は1人で良い。他は磔刑だ」

「「「!」」」

「籤引きで死者を選べ。嫌なら皆、ここで死ね」

「「「!」」」

 無慈悲。

 今の信長には、それが似合う。

「猿」

「は」

 秀吉が裏切者達に槍を突き付け、別室へ。

 追放したのは、顔も見たくない、という意思表示だろう。

 尤も、”第六天魔王”の事だ。

 生存者も後々、殺されるに違いない。

 帝が人質になった以上、日ノ本は、「無政府状態」の表現が正しいだろう。

「……」

 申し訳なさそうに信長は、大河を見た。

「……済まないが、真田よ。重祚出来ないか?」

「……」

 誰とは名指ししない。

 然し、重祚出来るのは、1人だけだ。

 平成29(2019)年に成立した天皇の退位等に関する皇室典範特例法により、現代では、重祚ちょうそが法的に出来ない。

 歴史上では、2人が重祚経験者だ。

 然も、2人共女帝。

 皇極天皇(35代 在位:642~645)→斉明天皇(37代 在位:655~661)

 理由:皇位継承者の候補者が居なかった為。

    *中大兄皇子が居ながら史上初の重祚。

 孝謙天皇(46代 在位:749~758)→称徳天皇(48代 在位:764~770)

 理由:淳仁天皇(47代 在位:758~764)の廃位により復帰。

    日本史上初、出家したまま即位。

 若し、朝顔が、重祚すれば、史上3人目。

 天平宝字8(764)年以来、813年振りとなる。

「決めるのは、彼女自身です」

「……真田は?」

「大反対です」


 信長の提案を朝顔は、厳しいかんばせで聞いていた。

「……」

 アッツ島の守備隊が玉砕した時の昭和天皇の様な表情だ。

「……他に候補者は居ないのか?」

「居るが、経験者は君だけだ。誰も未経験の事には、奥手だ」

「……」

 重責が再び、朝顔に伸し掛かる。

 臣籍降下したのだが、まさか、復位する可能性が出て来たのだから。

「……おえ」

 余りの圧力プレッシャーに嘔吐してしまう。

 吐瀉物としゃぶつで畳が怪我され、異様な臭いが鼻を突く。

「はぁ……はぁ……」

 今にも、卒倒しそうだが、何とか気力で耐える。

 衝撃だが、自分が倒れた場合、本当に候補者が居なくなってしまうのだ。

「……」

 何も言わず、大河は、朝顔の肩を抱き寄せる。

 その間、小太郎が、吐瀉物を掃除。

「……御免なさい」

「いえいえ」

 笑顔で鶫が畳を剥がし、何処かに持っていく。

 自分で掃除したかった朝顔だが、今は、その気力さえ無い。

「……真田、私は―――」

「言うな。無理に復帰しなくて良い」

「でも―――」

「帝が退位していない今、復位は可笑しい。二重権威になりかねん」

 平成から令和になった際、日本政府と宮内庁は、上皇と天皇が同時に存在する事によって二重権威になる事を恐れ、火消しに躍起であった。

 信長が焦っているのも分からないでは無いが、大河は、何処迄も冷静沈着だ。

「……」

「重祚には、大反対だ。朝顔が苦しむなら尚更協力は出来ない」

「でも―――」

「案ずるな。策がある」

 朝顔をぎゅっと抱き締める。

 それ以上の反論は許さない、と言わんばかりに強く。

「……」

 痛く苦しいが、先程のそれと比べれば、楽だ。

「……策って?」

「一時的に上皇として復位するのは、如何だ? 一時的な院政だよ」

「!」

 院政は、後花園上皇(102代天皇 在位:1428~1464)と後土御門天皇(103代 在位:1464~1500)以来、行われていない。

 後花園天皇は足利義満の皇位簒奪こういさんだつみすい未遂以降、皇権を回復した「中興の英主」として極めて重要な人物であると評されている。

 在位中、各地で土一揆が起こり、永享の乱(永享10年、1438年)、嘉吉の乱(嘉吉元年、1441年)等では治罰綸旨を発給する等の政治的役割も担って、朝廷権威の高揚を図った。

 永享の乱での治罰綸旨じばつりんじの発給は、足利義満の代より廃絶していた朝敵制度が60年ぶりに復活したものであった。

 以後、天皇の政治的権威は上昇し、幕府が大小の反乱鎮圧に際して綸旨を奏請した為、皇権復活にも繋がっていった。

 寛正5(1464)年、成仁親王(後土御門天皇)へ譲位して上皇となり、左大臣・足利義政を院執事として院政を敷いた。

 上皇になった後も名君で、応仁元(1467)年、応仁の乱が勃発した際、東軍・細川勝元から西軍治罰の綸旨の発給を要請されたが、前例とは異なり上皇はこれを拒否した。

 兵火を避けて天皇とともに室町第へ移るも、出家、法名を円満智と号した。

 上皇の出家は、嘗て自ら発給した畠山政長に対する治罰綸旨が乱の発端になった事から自責の念に駆られ、不徳を悟ったからだとされている。

 この出家は義政の無責任さに対して帝王不徳の責を引いた挙として、世間から称賛を浴びた(*1)。

 後花園上皇の様に、朝顔がなれるかは、分からない。

 然し、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が無いこの時代、上皇は一定の権力を有す事が出来た。

「……一時的?」

「ああ。事情が事情なだけにそれしか方法は、今の所、思い付かない」

「……そうだね」

 腹をくくったのか、朝顔は、深い溜息を吐いた。

 復位はしゃくだが、大河が傍に居る。

 若し、独身であったなら、圧力に押し潰され、病んでいたかもしれない。

 今にも泣きそうな顔で、大河は謝る。

「済まんな。本当は、上皇でも嫌なんだ」

「……そう、なの?」

「ああ、妻だからな」

「……」

 この期に及んでも大河の愛妻ぶりが止まらない。

 圧力は瞬時に吹き飛び、今度は、恥じらいで一杯になる。

「もう……馬鹿」

 改めて大河と結婚出来た事に、朝顔は、安心感を得るのであった。


[参考文献・出典]

*1:「後花園天皇」『朝日日本歴史人物事典』

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