第144話 九夏三伏

 梅雨前線が日本列島に停滞し、日ノ本全土では本格的に梅雨入り。

 1時間に100mmは、ほぼ毎日。

 晴れはおろか、曇りだって殆ど見られなくなっていく。

 大河の御所への通勤も、それに伴い少なくなる。

 御所での仕事は、京都新城でも出来る仕事だ。

 無理に御所に行く必要は無い。

 自然と在宅勤務テレワークが多くなった。

「これが、御父さんの仕事だよ」

 抱っこして累に報告書を見せる。

 字は読めない筈なのだが、累は興味津々だ。

 特に菊の御紋をぺたぺた。

「これは、ね。日本人の御先祖様の家紋だよ? 分かるかな?」

「……だー?」

「分かんないか? じゃあ、将来、学ぼうね?」

「だー」

 親馬鹿らしく、大河は赤子に模造刀等を触らせ、早くから武器にも慣れさせる。

 累の御気に入りは、グロックだ。

 弾を装填しない為、誤射する事は無い。

「ちちうえ~」

「華も興味ある?」

「うん!」

「じゃあ、こっちで」

 AK-47をあげる。

 幼女には途轍もなく重いが、滅多に触る事が出来ない物の為、華姫も興奮する。

「おー!」

 両目をキラキラさせて、そのまま、写生スケッチし始める。

「きしゃみつものしたい―――」

「犬追物は、駄目だ」

 ぴしゃりと、言い放つ。

 騎射三物きしゃみつものとは、

・犬追物

・笠懸

・流鏑馬

 の総称の事だ。

 信長の治世では、大河発案の生類憐れみの令(対象:捨て子、病人、犬、猫、鳥)の下、犬追物は全国的に禁止された。

 伝統文化を廃すのは、当然、愛好家達の反発を招いたが、大河が「反対派は、殺す(濁った笑み)」のを発動させた為、何の問題も無い。

「殺して良い犬は、病犬やまいぬだけだ」

「……わかった」

 震えつつ、華姫は、頷く。

「『犬の十戒』を暗唱しなさい」

「……」

 生唾を飲み込んだ後、

「『一、

  私の一生は大体10~15年です。貴方と離れるのが一番辛い事です。

  どうか、私と暮らす前にその事を覚えておいて欲しいのです。


  二、

  貴方が私に何を求めているのか、私がそれを理解するまで待って欲しいのです。

 

  三、

  私を信頼して欲しい、それが私にとって貴方と共に生活出来る幸せなのですか

 ら。

 

  四、

  私を長い間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。

  貴方には他にやる事があって、楽しみがあって、友達も居るかもしれない。

  でも、私には貴方しかいないのです。


  五、

  時々話しかけて欲しい。

  言葉は分からなくても、貴方の心は十分私に届いています。


  六、

  貴方がどの様に私を扱ったか、私はそれを決して忘れません。

 

  七、

  私を殴ったり、虐めたりする前に覚えておいて欲しいのです。

  私は鋭い歯で貴方を傷付ける事が出来るにも関わらず、貴方を傷つけないと決め

 ているのです。


  八、

  私が言う事を聞かないだとか、頑固だとか、怠けているからといって叱る前に、

 私が何かで苦しんでいないか気づいて下さい。

  もしかしたら、食事に問題があるかもしれないし、長い間日に照らされているか

 もしれない。

  それとも、もう体が老いて、弱ってきているのかもしれません。


  九、

  私が年を取っても、私の世話はして下さい。

  貴方もまた同じ様に年を取るのですから。


  十、

  最後のその時まで一緒にそばに居て欲しいのです。

  この様な事は言わないで下さい。

 「もう見てはいられない」

 「居たたまれない」

  等と。

  貴方が側に居てくれるから最後の日も安らかに逝けるのですから。

  忘れないで下さい。

  私は生涯貴方を一番愛しているのです』」(*1)

 犬目線のこの詩は、道徳の国定教科書に掲載され、動物愛護の精神が説かれている。

 華姫も学校で習った為、原文の英語がペラペラなのだ。

「分かったか? 親愛の情がある犬を、犬追物でも殺すのは厳禁だ。良いな?」

「……はい」

 生類憐みの令に違反した場合、刑罰は死刑のみ。

 これは、『動物を殺傷したする人物は、何れ他人を殺傷する危険性を孕んでいる為、社会には、不必要』との考えの下だ。

「殺して良いのは?」

「……か」

「然う言う事だ」

 文字通り、蚊の鳴く様な声の華姫を大河は、撫でる。

「分かれば良い」

「……うん」

 優しい時は、慈母の如く優しい反面、怒った時は、”第六天魔王”も真っ青な程、怖い。

 その為、華姫は、余り大河を怒らせたくない。

 自分の失策を内心で後悔する。

(地雷だった……)

 華姫を抱き締めて大河は、膝に置く。

「銃は、もう少し大人になってからな?」

「……るいも?」

「そうだよ。子供には、早い。夜伽と一緒でな?」

 最低の冗談ジョークに。

 華姫は、

「ははは……」

 乾いた作り笑いしか出来なかった。


 仕事を終えた大河は、エリーゼの部屋に行く。

 気象病で調子が悪い彼女は、最近、引きこもりがちだ。

「調子は、如何だ?」

「……元気」

 と言うが、顔色が悪い。

 頭痛がするのか、頭痛薬の瓶がそこら中に転がった。

 他の気象病発症者は軽症で、続々と復活しているが、彼女は長引くのだろう。

「御免ね。気を遣わせて」

 何時もは強気な彼女だが、この時ばかりはしおらしい。

「ゴホッゴホッ」

「……」

 額に掌を当て、検温。

 38度位か。

 こんな状態でも『旧約聖書』を手放さないのだけは、感心せざるを得ない。

「……風邪だな?」

「やっぱり?」

「多分な。軍医を呼―――」

「嫌」

 ぐいっと引っ張られ、大河は布団にいざなわれる。

 そして、接吻される。

「貴方を想えば想う程、頭が痛いわ」

「……有難う」

 ヤンデレな目は、大河がどれ程目を逸らしても逃がさない。

 再び接吻を敢行するも、

「元気になってからな?」

 闘牛士の様に、大河は、ひらりと躱す。

「も~ケチ~」

 本当に牛みたいだ。

 額から角が生え出しても可笑しくは無い。

「今は、風邪と戦う時機だ。我慢してくれ」

「……じゃあ、逢引」

「完治後?」

「うん。2人きりで」

「何処に行きたい?」

「……」

 暫し、エリーゼは、考える。

 美人故、『考える人』になってもその絵になるのが、凄い。

「……避暑地」

「梅雨明け後だな」

 嵐山を連想するが、エリーゼは、提案する。

「神戸のシナゴーグにも行きたい」

「? 京にもある―――」

「巡礼よ」

 ふと、そこで大河は、気付く。

 本棚に『ラビになるには』との題名の参考書がある事に。

「……ラビ、なりたいの?」

「ええ。駄目?」

 師とは、ユダヤ教に於いての宗教的指導者であり、学者でもある様な存在だ。

 英語圏(主に米)ではラバイと発音する。

 宗教的指導者ではあるが、中央集権的な強い政治的影響力を持つ訳ではなく、地域で行われる宗教的な行事をとり仕切る等、どちらかといえば日本の神社の神主や寺の住職に近い。

 又、『旧約聖書』研究をする等、中世キリスト教の神学者にも似ている。

 日ノ本のシナゴーグには、女性のラビは居ない。

 世界で初めて確認出来るのは、1930年代の事だ。

 ベルリンの改革派ラビ養成学校が、1人の女性にその資格を与えたが、残念ながらナチスによって虐殺されてしまった。

 1960年代、フェミニズムの発展と共に再建派、次に改革派において女性にラビの資格を授与するという要求が起こった。

 その後、

 1972年、アメリカの改革派が、最初にラビ資格を許可

 1975年、イギリスの改革派がラビ資格を許可

 1985年、アメリカの保守派がラビ資格を許可

 され、男女平等が進んでいる。

 正統派でもこの議論がなされ、将来的には、正統派で女性ラビが誕生するかもしれない(*1)。

 日本でも女性の住職や神主は、少なからず居るが、16世紀に男女雇用機会均等法等の概念は無い。

 女性は家庭に入るべき―――との固定観念が強く、住職、神主、師になり難いのだろう。

「応援する。だが、短所があるな」

「政教分離?」

「ああ」

 政教分離原則の下、大河は特定の宗教や宗派を公的に支援していない。

 玉串料たまぐしりょう等も、私費だ。

 然し、愛妻が師になると、「猶太ユダヤ教を贔屓するのでは?」と邪推される可能性がある。

 国教の神道を重んじる朝廷の保守派も気分が良く無いだろう。

 万が一、近衛大将が異教に改宗すれば、彼と近しい帝にも影響を与える可能性があるから。

「……御免、やっぱ無し」

「うん?」

「師は、諦めるよ。貴方の為に」

「……」

 師の夢を撤回したエリーゼだが、その表情は暗い。

 敬虔な信徒であるが故に相当な想いだったのだろう。

「……良いよ。その時はその時だ」

「で、でも―――」

「夢なんだろう? 俺に配慮する事は無い。間違った事は、何一つしていないんだからな」

「……良いの?」

「揚げ足取りで凹む程、俺はやわじゃない。追及されたら説明責任を果たすさ」

 公私混同で解任され、実際に解任された政治家は過去も居るが。

 彼等の様に逃げも隠れもしないのが、大河だ。

 応援され、エリーゼは温かな気持ちになる。

 敬意を払い、勉強にも反対せず、むしろ応援してくれるのは、心底、嬉しい。

「……大好き♡」

「俺もだよ。だから結婚したんじゃないか?」

 そう意味で無いのだが、理解せずとも良い。

 大河に抱き着き、その胸板に頬擦り。

 鼻水や寝汗が和装に付着するが、彼は気にしない。

 小一時間が永遠に感じる程、2人は、愛を育むのであった。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

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