第90話 蹇蹇匪躬

 槍は、大河の頬を掠めていた。

「「!」」

 数瞬遅れて、小太郎と鶫が銃を抜くが、

「止めとけ」

「「!」」

 大河が手で制止する。

「主、如何して?」

「殺気が無い。今のも、わざと外したんだ。そうだろう?」

「……流石ですね」

 黒人女性は、跪く。

「東アフリカ帝国より来ました。パトリスです。以後、お見知り置きを」

「日本語上手いな?」

「はい。来日前、フィリピンで日本人の神父から習いました」

「成程」

 聴く限り、イントネーションに問題は無い。

「それで、何の用だ?」

「父上の厳命により会いに来ました。先程の御無礼は山城様の実力を見たいが為の事です。御容赦下さい」

「丁度、良かった。大使館に行く手間が省けた」

「は?」

「いや、こっちの話だ。上がってくれ」

 東アフリカ帝国は、今後、山城国の重要な貿易相手国になる。

 門前払いは出来ない。

 大河達は、パトリスを連れて城に入った。


 ほぼ初めて見る黒人に城内は、当然、注目する。

「「「……」」」

 珍獣を見る様なそれだが、パトリスにはもう慣れた。

 アフリカでも黄色人種が居たら、同じ様になるだろう。

「それで、御話というのは?」

「単刀直入に申し上げる。カリフと縁談の話は、破談になった」

「!」

「御詫びの菓子だ。受け取ってくれ」

「……」

 八つ橋を前にし、パトリスは震えた。

 カリフは、事前から困難と聞いていた為、覚悟していたかもしれないが、縁談も破談になるとは思わなかった様だ。

「理由は?」

「環境だよ。災害が多く、文化も違う外国人に、この国は住み難いのでは? との判断だ」

「……成程」

 元やスペイン帝国の敗因の一つが台風である事から、パトリスもこの国が、災害大国である事を熟知していた。

 世界で難しい言語の一つである日本語をネイティブスピーカーレベルに操り、又、この柔軟さは彼女が知識層である事を示している。

「良かったです。納得出来る理由で」

「他国じゃ門前払い?」

「はい。白い者は、常に我々を土人と見ています。聖職者でさえも」

「……」

「その点、日本人は非常に友好的で有難いです。少し、無知な部分もありますが、父上は、『山城を信頼しろ』と言ってはばかりません」

「……有難う」

 後年、全米黒人地位向上協会の創立者、W・E・B・デュボイスが帝国ホテルで体験した経験や、アート・ブレイキーの来日時の逸話等から、日本人には、古くから黒人差別する場合が少ない。

 むしろ、好意的に接している事が多いだろう。

 その為、黒人の間では、親日家が多く、坂上田村麻呂黒人説が提唱される程、両者の関係性は、白人と黒人のそれと比較すると良好だ。

 無論、差別が無い訳ではない。

 それでも、東アフリカ帝国の人間の目には、「肌の色だけで殺されない日本は、天国」と映っているかもしれない。

「……困りましたね。任務が続行不可能になったので」

「後は観光を楽しんでくれ」

「ちちうえ~」

 とてとてと、小さなメイドがやって来た。

「おお、華。その服どうした?」

「あぷとにつくってもらったぁ」

 アプトを見ると、御揃いのメイド服を作るのに苦労したのか、その手は、傷だらけだ。

「よくやった。労災だ」

 その場で小判を渡す。

「え? 良いんですか?」

「釣りは良い」

 華姫の両手を掴むと、万歳させる。

「もうちちうえのえっちぃ~♡」

「いやぁ、上出来だ。可愛いぞ?」

「うふふふふ♡」

 微笑むと、華姫は然も当然の様に大河の膝に座る。

「ちちうえ、わがし、たべたい」

「ほら、お土産だ」

 華姫に餡麺麭あんぱんを渡す。

 餡麺麭は、明治7(1874)年に木村屋が発明し、山岡鉄舟経由で明治天皇に献上された和洋折衷を代表する和菓子だ。

 大河がスマートフォンで作り方を覚え、『おこしやす』に教えた為、この世界では、彼が開発者になっている。

「あんぱん♡」

「ちゃんと手洗いして食べなさい」

「はーい♡」

 上機嫌で華姫は、アプトに手を引かれ、手洗い場に行く。

 次に来たのは、三姉妹であった。

「真田様、御帰宅が遅いですわ」

「そうそう。姉様、寂しがっていたわよ」

「兄者、遅い」

 3人共、額に怒りマークを浮かべていた。

 待っていたの、帰宅後、大河は直ぐに朝顔と逢引に行ったのは、怒らない訳が無い。

 朝顔が、謝る。

「御免ね。私が悪いの」

「いえ、朝顔様は、御悪くないです」

 怒りの矛先は、大河のみ。

 流石に元皇族の朝顔を責める事は出来ない。

 茶々は、大河に抱き着き、甘える。

 パトリスの前であっても、関係無い。

「茶々、御客様の前だぞ?」

「あら? ―――失礼しました。正妻の茶々です」

 態度を急変させて、茶々は、挨拶する。

「パトリスです。東アフリカ帝国から来ました」

「「……」」

 自己紹介を終え、会話が無くなった。

 その間、お江が空席の膝に座る。

「兄者、又、女性を連れて来たの?」

「失礼だぞ。御客様だ」

 お江は、ほぼ初めて見る黒人が怖いのか、一切、パトリスとは目を合わせない。

 元服したとはいえ、まだ12歳。

 大人でも殆ど見慣れない黒人に、ビビるのは当然だろう。

 大河に抱き着いたまま離れない。

 その頭を撫でつつ、大河は、尋ねた。

「パトリス、困ったら相談に来てくれ。友人として出来る事はするから」

「有難う御座います」

 ぎこちないながらも、パトリスは、会釈するのであった。


 パトリスの宿泊先は、帝国旅館だ。

 国賓が泊まる最上級のホテルは、

・外国人に慣れている

・従業員がスペイン語に堪能

 等の為、選ばれ易い。

 饗応役の大河もパトリスが帰国するまで、帝国旅館と二条古城の往復生活となった。

「最近は、外国人に興味がありますの?」

 布団の中で、千姫が尋ねる。

「パトリスの事か?」

「ええ」

「彼女は、客人だよ」

「でも、山城様は、失礼ですが、兎ですので」

「何も無いよ」

「山城様が御否定されても女性の方が如何か分かりませんわ」

 ねて、千姫は不貞寝する。

「嫉妬か?」

「……」

「全く、子供だな」

 嘆息後、大河は千姫の隣で寝る忠臣に声をかける。

「じゃあ、稲」

「はい」

「脱げ」

「!」

 慌てて、千姫が振り返った。

 直後、唇に柔らかな感触が。

 大河が離れ、嗤う。

「引っ掛かったな?」

「うー……」

 唸った千姫は、大河の胸をポカポカと叩く。

 千姫を抱擁する。

「嫉妬させて済まんな。でも、本心だよ。千が好きだから」

「……本当ですの?」

「じゃなきゃ結婚しないよ。馴れ初めは、最悪だったがな」

「もう、それは、黒歴史ですわ」

 初対面の大河に求婚し、嫌われたのは、思い出すだけでも顔から火が出そうな程、記憶から抹消したい。

「それも千の良ささ」

 黒歴史でも大河は、否定しない。

 その優しさは、若し、妻が娼婦でも差別はしないだろう。

 千姫の額に接吻すると、

「きゃ♡」

 自分の体の上に寝かせる。

「もう元気じゃない?」

「男は、皆、そういう物さ」

 自分を女として見られている事に千姫は、非常に嬉しくなる。

「もう1戦、交わる?」

「千だけに?」

「そう。わたくしだけに♡」

 千姫の頬に接吻後、大河は、その胸に触れる。

「今晩は、千だけだ」

 ほとほと千姫は、「悪漢に惚れてしまった」と内心、思う。

 後悔先に立たず。

 大河の首筋に噛み付く。

「痛いよ?」

「印ですわ。山城様がこれ以上、他の女性に目移りしない様に印を付けておかねば」

「信用が無いな」

「御自分の天命に苦情を」

 歯を立てた為、血が流れ出す。

 鉄の味がするも、千姫は離れない。

”血の伯爵夫人”―――バートリ・エルジェーベトの様に。

 血を啜るその様は、異常者そのものだ。

 尤も、夫人は、処女の生き血を好んだが、千姫の場合は、大河に限る。

 大河も抵抗しない。

 千姫の背中を撫でつつ、その(異常な)愛に応えるのであった。


 山城国が、どんどん発展していく中、暗黒街では、不穏な風が吹いていた。

「最近の御殿様は。異国に近付き過ぎだ」

「そうだ、そうだ。名君なのは、認めるが、先祖代々の伝統文化を壊している! 女子おなごが肌を露出し過ぎだ!」

 彼等は、外国人嫌いの排外主義者。

 大河の功績は、認めつつも、

・朝顔をたぶらかせ退位させ、娶る

・女性の肌の露出を大幅に容認

・神仏以外の異教の布教自由化

 等は見過ごせない。

 組織の名は、攘夷党。

 攘夷派の公家や僧侶が支援する、現代でいう所のテロ組織だ。

 その太った指導者は、池田。

 あの世紀の悪僧の後継者を自称する僧侶であった。

 肉を食べ、文盲もんもうの裸の女性を侍らすその様は、仏道から外れた破戒僧だ。

 読経した事が無い彼は、後小松天皇の落胤らくいんを自称し、支持者と資金を集めた。

 文字通り、破戒無慙はかいむざん な悪僧である彼は、朝顔と結婚し、そのまま皇位に就く事を考えていたのだが。

 大河の所為で破談になってしまった。

 完全なる逆恨みだが、悪僧は、常人の思考ではない。

 大河が施行したカルト教団を排する『宗教制限法』も気に食わない。

「孫市、蜂起出来るか?」

「は」

 整った顔立ちの渋い中年男は、雑賀孫市。

 雑賀衆を統率する指導者であり、日ノ本一の狙撃手だ。

 石山合戦では、石山本願寺側として信長と戦い、織田軍を苦しめた。

 今でも、織田軍からは、憎悪の的となっており、賞金首となっている。

「真田の監視は、非常にキツイですが、やはり、何処にも穴がありますから」

「穴、というのは、隧道すいどうの事か?」

「はい。紀伊から京までの地下隧道を知っているのは、我等雑賀衆だけです」

 現代でもエジプトとイスラエルの国境線付近では、テロ組織の地下隧道があるように。

 隧道トンネルは、工作活動に於いて、非常に便利だ。 

「じゃあ、善は急げだ。早期の蜂起を頼む」

「御意」

 淡々と攘夷党のテロ計画が、進んでいた。


 8月下旬。

 ソテロが舞鶴港から帰国する。

 その直前、

「真田よ。君は私の命の恩人だ。遠距離ではあるが、これからも親友として交流し様」

「有難う」

「帰国後は手紙を書く。返信を頼んだ」

「分かった」

 軍艦に乗り込み、ソテロ一行は手を振る。

「父上、御達者で」

「?」

 振り返ると、涙目のパトリスが居た。

「残るのか?」

「はい。大使ですので」

「そうか……」

 ソテロを見ると、ニコニコ笑っている。

 してやったり、という顔だ。

 彼なりのサプライズなのだろう。

 尤も、愛娘をわざわざ、大使として日本に残すのは相当な覚悟が要る筈だが。

 軍艦の速度は、速い。

 あの無敵艦隊を沈めた日本海だ。

 荒天になる前に距離を稼ぎたいのは、誰だって思う事だろう。

「若、御時間が迫っています」

「分かった」

 ハリウッドスターの様に分刻みな予定の大河は、感傷に浸る程の時間が無い程、忙しい。

 馬の大文字に乗り、帰京する。

 御供は、鶫、小太郎のコンビだけだ。

 本来ならば、1万人位の将兵を連れて来たい所だが、生憎、舞鶴港は丹後国。

 大河の主権が届かぬ地域である。

 その為、丹後守に配慮して、僅かな手勢なのであった。

「主、流石に短時間での滞在でそのまま帰京するのは、面倒ですね?」

「文句言うな。仕事だ」

 車や電車、飛行機があれば、時間短縮は可能だ。

 然し、そのどれもが、道路、線路、発着場が必要なので、乗り物が開発出来ても容易には、行かない。

 悪路の中、馬の疲労や怪我にも気にしつつ、一行の帰り道は非常にゆっくりだ。

 新橋に差し掛かった所、雨が降って来た。

 今年は、梅雨時から雨が多い。

 1年間雨期の年なのかもしれない。

「弱雨の時に距離を稼ぐぞ」

「「は」」

 3人は、各々、馬の腹部を軽く蹴る。

 よく調教された3頭は、それだけ意思を汲み取った。

 走る馬の上で3人は、蓑を着る。

 どれ程、乗り心地が悪くても、3人には馬上で着替える事が出来る位の均衡バランス感覚がある。

 然し、大河はこの時、知らなかった。

 帰京した時、自らが作り上げた平和都市が、豹変している事を。

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