第83話 背水之陣

 派兵の準備を進める無敵艦隊のフィリピン駐留軍であったが、不幸が続く。

 ずは、台風だ。

 日本を襲った台風は、日本上陸前にフィリピンを通過しており、数十万人もの死者が出ていた。

 更に暴風雨で軍艦や基地が全半壊し、とても短期間で日本に行く準備は整わない。

 その上、独立運動が激化していたのだ。

 独立派―――カタガログ人の国家タガルガン解放軍が、攻勢を極めていた。

「糞、何故奴等は、連発銃を持っているんだ? 奴隷に訓練させた覚えは無いぞ?」

「ああ。然も、軍隊並に統率されている……誰が支援者なんだ?」

 駐留軍の高官は、独立派の攻撃に頭を悩ませていた。

 数年前まで彼等の武器と言えば、棍棒や弓矢等で銃も火縄銃くらいであった。

 然し、最近では、急速に近代化を成功し、更に軍人も強化されている。

「まさか……日本人か?」

「日本人?」

「ああ、最近、日本の一部の軍閥が、我が軍をもしのぐ軍備拡張に成功したらしい」

「そんなまさか……」

「念の為だ。調べた方が良い」

 高官の予測は、当たっていた。

 フィリピンに来た日本人の商人の一部が、秘密裏に独立派と接触。

 新型火縄銃等、武器の他、現地人に訓練を施していたのだ。

「糞! これじゃあ、出兵も出来ん―――」

「司令官、お届け物です」

「何?」

 司令官が、封を開けた。

 と、同時に中から粉が舞う。

「な、何だこれ……?」

 この時、彼等は知らなかった。

 不審な郵便物の正体が、人類史上最悪の生物兵器の一つである炭疽菌であった事を。


 数日後、基地内は野戦病院と化す。

 発症者は、

・呼吸困難

・血便

 どんどん死体置き場が、満杯になっていく。

 炭疽菌は、1850年に羊の血液内からフランス人科学者が発見した。

 従って、この時代に無いのだ。

 然し、大河には伝家の宝刀―――電子端末がある。

 それで調べた論文から作り、商人に預けて態々わざわざフィリピンに迄送ったのだ。

 モデルにしたのは、9・11の1週間後に起きた炭疽菌事件であった。

 ―――

『【炭疽症】

(1)概要

  炭疽菌から起きる炭疽症は、元来、草食動物の感染症であるが、人にも感染し得る。

 感染部位により、

・肺炭疽

・皮膚炭疽

・腸炭疽

 に分けられる。

 通常、90%以上が皮膚炭疽であり、これは皮膚に付着した菌芽胞が皮膚の傷から侵入して起こる。

 腸炭疽は、感染した動物の肉を十分に調理せずに接触した場合に発生するが、稀である。

 肺炭疽は芽胞を吸入した場合に起こる。

 これも人では稀であるが、過去、米のフロリダ州で死者は肺炭疽であった。

 多くは1~7日程度の潜伏期の後、感冒様症状で発病するが、数日後、突然症状が悪化し、

・呼吸困難

・チアノーゼ

痙攣けいれん

 が起こり最終的に死に至る。

 無治療では90%以上の致死率である。

 炭疽菌は1950~1960年代、米で兵器化されており、その他、イラクや蘇でも保有されていた。

 炭疽菌は培養が容易で、その芽胞は日光や熱、消毒剤に非常に強い。


(2) 治療等

 炭疽菌感染症は感染症法上、第4類に分類されている。

 人~人への感染は無い為、二次感染の危険はなく感染者の隔離の必要は無い。

 ワクチンは日本には無く、米でも1社が製造しているのみで、

・十分な供給量は無い事

・長期に渡り3~6回の接種が必要となる事

・副作用の発生頻度が多い事

 等から、米においても一般に広く接種する事は勧められていない。

 然しながら感染後、抗生物質により治療が可能な疾患である。

・ペニシリンG

・シプロフロキサシン

・ドキシサイクリン

・アモキシシリン

 等の抗生物質が有効である(*)が、早期に対応する事が重要である。

 更に暴露後、無症状の時点から予防的に治療する事も可能である。

 然しながら、無暗に服用してしまうと、抗生物質が効かない耐性菌が蔓延してしまうという大きな弊害をもたらす危険がある事や、副作用もある事から、不必要な段階からの予防的投与は控えるべきである。


(*)米における指針であり、日本では、

・投与内容

・量

・期間

 について変更があり得る』(*1)

 ―――

 言わずもがな、大河にアメリカの微生物学者で2001年に炭疽菌事件(死者5 負傷者17)を起こしたブルース・イビンズ(1946~2008)のような動機は無い。

 あるのは、愛国心だけだ。

「ほぼ壊滅したか」

 大河の手には、空輸された報告書が。

 これほど早く情報を入手出来るのは、大河が源内に開発させた『渡り鳥型監視カメラ』の御蔭だ。

 春と秋に日本から南へ移動するしぎ千鳥ちどりの仲間に偽装させ放ち、フィリピンに滞在させている。

 その為、大河には手に取る様に無敵艦隊が分かるのであった。

「さて、次は如何どうし様か?」

「司令官、嬉しそうですね?」

 おしゃくをするのは、望月だ。

「勝てる戦ほど嬉しい事は無いからな。なぶり殺してやる」

「……」

 相当、楽しい様で大河は普段、飲まないジョージア・ワインを飲んでいる。

 スターリンが政敵を葬った時の習慣の様に。

「何故、主は、無敵艦隊にそれ程敵意を?」

 全裸の小太郎が、肩を揉む。

「『無敵艦隊』って名前が嫌いなんだよ」

「「ああ……」」

 史実での無敵艦隊は1588年、英西戦争の最中、英に敗れ、没落していく。

 無敵と名乗った以上、終生、無敵でなければならない。

 名前負けしている時点で、大河に無敵艦隊への憧れは無いのだ。

「私達は、何もしなくて良いの?」

「そうよ」

 一緒に飲んでいる誾千代と謙信が、尋ねた。

 姫武将として、参戦したいのだろう。

「気持ちは有難いが、これは、俺が原因なんだ。助けは不要だよ」

「そう……?」

「ああ。気持ちだけは受け取っておくよ」

 2人を抱き寄せ、大河ははべらす。

 2人には、分かっていた。

 それは言い訳で、大河が愛妻の手が汚れる事を好んでいない事を。

「済まんな。我儘わがままを聞いてもらって」

「全然。もう多分、引退だと思ってるし」

 一気に謙信は、大河の飲み残しのジョージア・ワインを煽る。

「平和主義者だし、尼僧だし、もう戦う理由は無いわ」

 大河を押し倒し、その平べったい胸を触る。

「うふふふ。酔っちゃった」

「分かったよ。その前に、小太郎」

「は」

海驢作戦オペレーション・ゼーレーヴェ、実行だ」

「は」

 答えると同時に小太郎は、消えた。

「おぺ……? 何て?」

「何でもないよ。寝様」

「あん♡」

 誾千代も倒された。

 酔った大河は、何時もの数倍、性欲が増す。

「望月」

「はい?」

「可愛いな」

「え? ―――!」

 赤くなった大河は引っ張ると、そのまま無理矢理、接吻した。

「……」

 間近で見る大河は、本当に童顔で年上の癖に年下にしか見えない。

 身長と体格が縮小化すれば、少年と言ってもいいだろう。

 大河は離れた後、望月の胸に落ちる。

 スースーと可愛い寝息を立てて。

「……司令官?」

「もー、下戸の癖に可愛い奴」

「本当」

 愛妻は、大河の愚行に怒らない。

「嫉妬なさらないんで……?」

「望月ちゃん、好きなんでしょ?」

「え?」

「据え膳食わぬは男の恥、と言うだろう?」

 怒る所か愛妻達は、勧めた。

「え? でも……?」

「さ、早く」

「私達が愛撫してるから、さっさとおっ始めなさいな」

 笑顔で謙信は、炊き付ける。

「え……」

 困惑していると、大河が寝返りを打つ。

「きゃ」

 望月に抱き着き、大河は、寝言で。

「……望月♡」

「……」

 嬉しさ半分、恐怖半分な所だ。

 誾千代、謙信の圧力に望月は、叫んだ。

「―――もっと雰囲気を! ―――え?」

 飛び起きた望月。

「?」

 周囲を見ると、大河が小太郎を枕に誾千代達に囲まれ寝ていた。

 その手は、真っ直ぐと伸び、望月の左手と繋がっている。

(……夢?)

 そう考えるのが、妥当だろう。

 今、思えば謙信に禁酒を勧める程、酒が嫌いな大河が率先して飲酒する可能性は少ない。

 ほぼ24時間一緒に居る望月も、彼が飲酒している所は見た事が無い為、恐らく本当に酒嫌いなのだろう。

「……」

 考えるが、何処まで現実で、何処からが夢だったのかが分からない。

 疲労が溜まっていたのかもしれない。

 大河と手を繋いだまま寝る等、本来、有り得ない事なのだから。

「……」

 繋がった手をじーっと見る。

 自分から求めたのか、大河からしたのかは分からない。

 その手を離そうにも、接着剤が塗りつけられたかの様に離れられない。

「……?」

「大丈夫よ」

「! 小太郎?」

 のそのそと起き上がる。

 大河を起こさない様に、慎重に。

「……私は?」

「覚えてないのも無理無いわ。貴女、大暴れしたんだから」

「え?」

 仰天する望月を無視し、小太郎は続ける。

「上杉様に勧められたお酒を飲んで、酔って大暴れ。ほら、部屋も変わっているでしょう?」

「然う言えば……」

 居間で飲んでいたのだが、今、居るのは、大河の寝室だ。

「備品を壊して主に組み伏せられた後、泣きじゃくりながら告白していたわよ。『司令官が好きです』って」

「……」

 背筋が凍った。

 大河が組み伏す程の事だ。

 相当、大暴れしたに違いない。

 その上、告白までしているのは、もう穴があったら入りたい。

 吐きそうな程、震え出す。

「大丈夫よ。主は、慰めてくれたわ。主だけじゃない。立花様も上杉様も」

「……司令官は、何て?」

「『有難う』としか。でも、一晩中、貴女の愚痴を聞いていたわよ。『奥さんに甘えすぎ』『もっと私の事、見て下さい』だの」

「……」

 砂になりたい、と望月は心から想うが、残念ながら人間に変身は出来ない。

「折角の酒宴が貴方の所為で打ち壊しになったけれど、大きく見ると成功みたいだよ。好きでも無い人をずーっと握手出来る?」

「……じゃあ、司令官は?」

「告白の仕方は大失敗だと思うけど、多分、成功したんじゃない? 貴女の寝顔を見て『可愛い』って笑顔だったし」

「……」

 額面通りならば、両想いだろう。

 然し、大河は普段から、美女や美少女を見ると「可愛い」「綺麗」等と言う節がある。

 その為、御世辞なのか真意なのかは分からない。

 全ては、大河の本心次第だ。

「その手も離さないのも、貴女を心配しての事よ。離れてみ」

「……」

 言われた通り、力一杯離そうとするも、

「……馬鹿野郎が」

「あ!」

 寝言と共に大河に引っ張られ、その体の上に抱き寄せられる。

 寝てても尚、自由自在に体を動かせるのは、流石、現役の軍人だ。

 大河に抱き締められ、遂に望月は抵抗を諦めた。

「ね? 言ったでしょう? 貴女が辞職を考えても、主は許さないわよ?」

「……」

 よく見ると、大河の手や頬には、刺し傷がある。

 血は止まっているが、その傷は深い。

「これは?」

「貴女を組み伏せた時、貴女が抵抗して割った硝子の破片で刺したのよ」

「!」

「それでも主は、貴女を許した。分かる? 傍に置きたいのよ。ずっとね?」

 説明しつつ、小太郎も思い出す。

 以前、一度だけ大河に刃を向けた時の事を。

 あの時も大河は許し、現在の様に関係は継続している。

 下手すれば失血死もあり得るのに、治療せずに慰めるなど、正気の沙汰ではない。

「立花様達も貴女の長年の功績を讃えて許しているわ。だから、もっと強くなりなさい。良い事?」

「……うん」

 親友の力強い助言に望月は、涙する。

 そして、永遠の愛を誓う様に大河の唇にそっと接吻するのであった。


[参考文献・出典]

*1:厚生労働省HP 一部改定

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