第65話 撼天動地
豪雨の中、会堂を後にする。
ユダヤ人達は別れの挨拶をしたかったが、この豪雨だ。
肺炎になる事を恐れ、誰も玄関から出る事は無い。
「では」
大河が会釈し、再び丸太町通りを戻って行く。
会堂に居たのは、30分位になるが、この豪雨でも来た時より強まっている。
本当に天気は、読めない。
文明の利器であるスマートフォンがあっても、変動が激しい。
この時代に気象庁があれば、大慌てで情報収集し、深夜でも会見していただろう。
「もう少し温まりたかったですね?」
望月は、震えていた。
蓑とは言え、寒いのは、事実だ。
「然うだな。でも、帰る迄の辛抱だ。我慢してくれ」
「い、いえ、そういう訳じゃ―――」
「分かってるよ」
大河は、微笑み、舌を出す。
「! (……狡い)」
聞こえない様に小声で愚痴を呟く。
本当に大河という男は、一緒に居ると楽しい。
多くの女性達が囲うのは、分からないではない。
道中、余りにも風雨が強くなってきた。
「こりゃあ、何処かで和らぐのを待った方が良いな。小太郎、近くに休憩出来る場所はあるか?」
「は。近くに連れ込み宿があります」
「え」
望月が呻くが、大河、エリーゼは、動じない。
「じゃあ、そこに行こう」
「そうね」
民主主義的にも望月は、少数派だ。
(……そこしかないなら……仕方がないか)
望月が嫌々な理由、それは―――
数分後、一行が到着したのは、この界隈で最も有名で且つ人気の旅館であった。
従業員は皆、避難しており、中には誰も居ない。
不法侵入は当然だが、緊急避難は合法だ。
差し引き、宿代と入店時、鍵を壊した時の弁償金で済むだろう。
4人は、和室に陣取り、荒れ狂う鴨川を見る。
「……橋が崩れそうだな」
「然うですね。復旧費用が嵩みますね」
「然うだな」
大河は、疲れているのか、小太郎を枕に横になっている。
エリーゼも座り、望月のみ、立哨したままだ。
「望月も休め。どの道、いつ天候が回復するか分からんからな」
「は」
命令が出た事で、望月は漸く座る。
内心は、小太郎と取って代わりたいが、自薦する程の勇気は無い。
「ジョン」
エリーゼが横になり、大河と向かい合う。
「布団を出す?」
「遠慮しておくよ。起きる時、布団から出難くなる」
「真面目」
大河の鼻先数mmまで近付くと、彼の吐息や視線を独占する。
「あのなぁ。寝難いんだが?」
「良いじゃない。連れ込み宿なんだし、愛し合うのは、本来の姿よ」
そう。
連れ込み宿は所謂、ラブホテルなのだ。
大河達は、夫婦(1人、愛妾)なので問題無いのだろうが、部外者の望月には、羞恥心しかない。
「断る。抱くなら小太郎の方が良い」
「あん♡」
胸を揉まれ、小太郎は、挑発する様な猫撫で声で甘える。
「正室より愛妾の方を重視するのね?」
「ああ。可愛い聞き分けの良い奴隷だしな」
小太郎を抱き寄せ、大河は、嗤う。
「面食いで下半身は、だらしないが、俺にも好みって物がある。メンヘラは、正直、美人でも無理だ」
「あら、御褒め頂き有難う♡」
美人、という単語に反応したのだろう。
はっきり拒絶されても尚、エリーゼの恋心は、失われない。
彼女の事は嫌いな望月だが、その部分は、感心だ。
「……ジョン、貴方は忘れてるわよ。あの日の約束を」
「何だよ?」
含みのある言い方に、大河は眉を顰めた。
直後、押し倒される。
そして、接吻された。
「……!」
じたばたと暴れる大河だが、エリーゼの腕力は強い。
「! 貴様~!」
数瞬、遅れて望月は、抜刀し、
「主!」
小太郎もグロックを抜く。
「離れろ! 馬鹿者!」
ちゅぽんっ。
音を出し、望月は離れる。
「私は、過去の約束を履行しただけ。さぁ、撃ちなさい。斬りなさい」
「「……!」」
両手を大きく広げ、エリーゼは、大河に跨ったまま、立ちはだかる。
その威圧感は、大河をも凌駕する。
2人には、エリーゼが巨人に見えた。
「死んでも尚、私は。ジョンに固執するわ」
すかさず、大河が突っ込む。
「おい。ユダヤには、死後の世界は、存在しないんだろう?」
最後の審判の時に全ての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済等)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。
カバラ神学では、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神は全ての生命に内在し、ただ唯一神様は永遠の魂(命の木)である。
個体が善悪を分かち、銘々の記憶は神様へ帰っている。
神様はただ記憶を収集し、善悪を分からない。
神様では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶がなくなる。
カバラではその様な寓話がある。
―――
『毎年贖罪の日では全ての生命は死んで、生き返り、悪もなくなる(或いは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間に全ての生命は死んで、記憶が神様へ帰った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神様は再創造し、善の記憶が全ての生命へ帰った)。死亡はただ贖罪の日と同じである』(*1)
――
「さぁ? 分かんない?」
適当に濁しつつ、エリーゼは、大河を抱き締めた。
そして、その米神にUZIを突き付ける。
「「「!」」」
所持品検査した際、そんな物は無かった。
全裸にした時もだ。
「……何処で?」
「私は、
(……解体していたのを造ったって訳か)
それ以外考えられない。
源内に頼めるのは、大河だけだからだ。
「大丈夫、貴方を撃てば、私も後を追うわ」
「自殺は、厳禁じゃなかったか?」
「あの2人が介錯してくれるわ」
「……」
大河殺害後、絶対に2人は、エリーゼを殺す。
2人の大河に対する忠誠心と愛情を利用した自殺方法だ。
「……本気なんだな?」
「ええ。元は言えば、約束を破った貴方の方に非があるのよ」
引き金に指をかける。
「……大好きよ。だから、貴方も言って」
「……」
「何を躊躇う必要があるの?」
近くで雷が落ちる。
まるで、エリーゼの心情を暗喩するかの如く。
「最後の好機よ。答えて」
「……大好き」
「「!」」
「そうよ。良い子ね」
満足気にエリーゼは、その頭を撫でる。
その直後、
「だったよ」
「え?」
「今は違う。俺には妻も子も養女も居る。可愛い部下もな。だけど、あんたとは無理だ。夫婦になっても幸せな未来は、描けない」
「そ、そんな……」
今まで以上にはっきりとした拒絶に、エリーゼは動揺する他無い。
「残念だが、俺に妄執しても何も出ない。御互い不幸になる」
「止めて。もう訊きたくない」
エリーゼを見る大河の目には、涙が溜まっていた。
本当に昔は、好意があったのだろう。
然し、今の病んでいる戦友の苦しむ様に、色々、思う事がある様だ。
引き金の指に力が入る。
「「!」」
2人が反応し、止め様とするも、9x19mmパラベラム弾が発射され、大河を蜂の巣にする。
頭部、頬、首筋、胸部、腹部……
「「!」」
大河が倒れるよりも前に、2人は攻撃した。
「うわああああああああああああああ!」
小太郎はグロックを乱射し、望月も斬りかかった。
数瞬後、大きな風が吹き、旅館の庭にあった大木が倒れる。
大河達の部屋に向かって。
ドスン!
大きな音を立てて、大木は部屋を踏み潰したのであった。
「……う」
頬に雨粒を感じ、望月は目覚めた。
豪雨は小雨となり、雲の切れ間には、光が見える。
「……!」
慌てて飛び起き、周囲を見渡す。
彼女が居たのは、野原であった。
起きる前に居た筈の旅館は、見るも無残で全壊していた。
彼女の近くには、小太郎が、倒れている。
「だ、大丈夫?」
慌てて抱き起す。
息は無い。
一瞬、死を覚悟するも―――ぱちり。
目が開けられた。
「ああ……望月さん。御無事で何よりです」
「貴方も幸運ね。誰か運んでくれたのかな?」
「……」
小太郎は、自分の頬に付着した血を舐める。
「主ですね」
「え?」
「この血は、主です。負傷されている様です」
「じゃ、じゃあ、生きてるの?」
「恐らく……」
2人は、ずぶ濡れのまま旅館に戻る。
幸い、馬も生きていた。
3頭―――
「無事だったんだ。良かった。大文字は?」
望月の問いに、3頭は、同時に首を横に振る。
「そう……」
大河の愛馬の殉職に、2人は、涙が出そうだ。
然し、今は、落涙する暇はない。
「主は?」
3頭は、2人の裾を咥え、何処かへ連れて行く。
旅館の裏に迄来ると、
「「!」」
防弾ベストが、落ちていた。
小太郎が、臭いを嗅ぐ。
「主のだ!」
「え? じゃあ、無事なの?」
「多分!」
希望が見えて来た。
成程、と望月は思う。
恐らくだが、大河は、常日頃から、狙撃された場合に備えて防弾ベストを着ていたのだろう。
小太郎が四六時中傍に居るにも関わらず、彼女が気付いていないのは、彼女でさえにも秘密にしていた、と思われる。
秘密主義者で何処迄も用心深い大河の性格なら有り得る。
「でも、頭と首を撃たれていたよね?」
「大丈夫です。私はちゃんと見ていました」
「え?」
颯爽と小太郎は、小倉に乗る。
「主は、撃たれた際、身を
「本当なの? 希望的観測じゃなくて?」
「目の前で主が撃たれるのをこの目で見たんですよ? 信じて下さい」
「……」
愛妾として大河を想う気持ちなのか、小太郎は、自信満々だ。
彼女程自信家では無い望月は、その姿勢が羨ましい。
「でも、変ですね。容疑者が居ないです」
「……そうね」
望月も愛宕に乗る。
発狂したエリーゼが、そのまま拉致したのか。
大河が、2人を安全地帯まで運んだ後、エリーゼを何処かに連れ去ったのか。
只、防弾ベストを着ていても、大河は出血している事を考えるに、後者の可能性は低いと思われる。
「……捜索しましょう」
「そうね」
幸い、犯人は異人なのでこの国では、目立ち易い。
尤も、大河が認める程の武人である為、怪人二十面相並の変装の達人の可能性もあるが。
兎にも角にも、捜索しない事には、変わらない。
2人は3頭の馬を連れ、一旦、本部に戻った後、捜索隊を結成するのであった。
[参考文献・出典]
*1:ウィキペディア
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