第29話「幼馴染は、僕の隠れざる努力を知らない②」
玄関に取り付けられた窓から隣の家へと帰宅した渚を見送ると、僕はリビングへと戻り、自身の教科書とラノベを手に取り部屋へと戻る。
まだ読み切っていない、栞の挟まった本。
1日1冊は必ず読了する僕だが、この日に限ってこの本を読了することはなかった。
「……結構面白かったんだけどな、この作品。でも、あいつも帰ったし……」
――もう、自分の時間は終わらせなければいけない。
僕は名残惜しい感情を抱きつつも、手に取った本を本棚の中へと戻した。
「さて。……戻るか」
僕以外に誰もいない部屋の中で、ポツリと呟く。
さて、先程僕は『天才ではない』と自負したが、だからと言って凡庸でもなければ陳腐であるわけでもない。
人より上達が早いのは事実かもしれない。……けど、あくまでそれだけなのだ。
僕は渚が思う天才児ではない。本物の天才を知っているからこそ、尚更だ。
僕の憎っくき兄――凪宮
周りの人達よりも格段に呑み込みが早く、小学校を卒業する頃には難関大学の入試問題さえも解けるようになっていた。
今は化学専門大に通いながら、研究続きともなれば家にも帰って来ない――というより寮にも帰れず泊りがけになることも多いらしい。この間、本人が愚痴ってたし。
とはいえ、あの兄が立派であることに違いはない。
高校時代にも何十回か告白されていたらしいし、対応も凛々しかったとのこと。そのため中身もさぞ紳士的……だと思ったら大間違いだ。
何故かは知らないが、弟である僕には甘い。甘すぎるのだ。
僕の身に何かが起こればすぐに駆けつけて、僕が何か悩み事を抱えていればすぐさま解決してくれた。物心がはっきりとしていなかったあの頃には、兄はまさに“ヒーロー”のように映っていた。
――が、時代は遠に移り変わった。僕も思春期の男子高校生の1人だ。
そんな幻めいた話が、いつまでも自分の中に定着しているわけがない。
小学生の中学年。身の回りや感情のセーブ、それから周りについて敏感になり始めた時期。僕はある日突然、自分の兄貴が如何に正常じゃないか理解してしまった。
あんなことも、そんなことも、どんなことも……全て兄が僕のことをストーキングしていたのかを明確に表していた。
僕の兄は、一言で云えば変態。
もっとオブラートに包んだ言い方をするのであれば異常なブラコンだ。
そんな兄と一緒にされたくない、と納得出来ない時期もあった僕だったが、それでもあのアホ兄貴が『天才』であることに変わりようのない事実だった。……非常に腹立つことではあるのだが。
あの兄が異常だと気づいた同時期――僕は、周りからの兄への評価と、僕への評価を気にするようになった。
何でも出来る天才な兄とは逆に、物事を覚えにくかった僕は何より自分が許せなかった。周りがどうこうではない。……何よりも、僕自身が惨めに思えてしまったのだ。
こんな考えに陥る自分が情けない。
そうは思っていても、気がつけばあの兄貴を越えることばかりを考えるようになっていた。どれだけ自分が惨めであっても、目の前にある壁を越えたい――おそらく、こう思ってしまったからこそ、僕は今のようになってしまったのだろう。
つまり――僕と渚の勉強のシステムに変わりはない。
渚は僕のことを追い越そうと夢見ているし、僕もまた兄貴を越えることばかり考えている。……これを同じと呼ばずして何と呼ぶのだろうか。
では何故、僕はそれを隠しているのか。
言ってしまえば、非常に軽い理由にはなってしまうのだが。昔、渚が僕の努力を知らずして取った点数に対して「天才だね!」と口走ったことがあった。
その影響力は現在だけに留まらず、渚が満天の笑みで言ったその発言により、僕は近所の人達から兄貴と同じ『天才』だと思われているのだ。人の言葉の力って、ほんっとにスゴいよな……。
ネットなどに流した情報が、経由して人に伝わるのと同じように人間にもそういう力がある。その守備範囲は人によって偏るが、少なからずあいつには人を動かせる力がある。
……何というか、若干ながら負い目があいつにもある気がするんだが?
ネタ晴らしをしても構わないが、この役を担って数年以上も経つ。今更あいつに真実を告げたところでしょうがないし。
それに――あいつが夢見る壁っていうのも、悪い気がしない。
「……よしっ。やるかな」
僕は椅子に腰を掛け、明日のテスト範囲を勉強するために勉強道具一式を取り出した。
夕方か夜頃。
その時間帯になると、僕はいつも決まって家に寄る渚を家に帰して、密かに部屋で勉強を始める。あいつを、渚をガッカリさせないために。
渚の越える壁であるために、ライバルでいるために――僕は今日も、内緒の勉強会を始めるのであった。
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