<住みやすい社会><生きやすい社会>、とは?

<幸せな者が幸せを表現することを自重しなければならない社会>


など、果たして、


<住みやすい社会>


<生きやすい社会>


なのだろうか? 確かに、つらい境遇にいる人間は数多く存在するだろう。しかしだからといって、


『幸せそうな様子を見せるな!!』


などと強要するのは、おかしくないか? 問題なのは、


『つらい境遇にいること』


『つらい境遇から抜け出せないこと』


であって、


『他者の幸せそうな様子を見せ付けられること』


ではないはずである。


無論、強制的に見せられるのは好ましくないだろう。しかしそれすら、


『強制的に見せる』


ことがおかしいだけでしかなく、ただ誰かが幸せそうにしているだけなら、それに対して難癖を付けられるいわれはないはずなのだ。


だから現代のロボット達は、つらい境遇にいる人間達に寄り添い、その状況から脱するためのサポートをするために存在するという面もある。安藤家におけるマリアン2189-MAWはまさしくそれであった。


第三次火星大戦で夫を亡くし、友人を亡くし、その悲しみに打ちひしがれつつ我が子と友人の子を女手一つで育てていかなければならないというつらい状況にあった桃香に寄り添い、彼女を常に支え、誰にも打ち明けられない泣き言に延々と耳を傾けてきてくれたのはマリアン2189-MAWである。


当時は、他にも同じような境遇の人間達が多かったこともあり、そこまで他者を気遣う余裕は人間にはなかったというのもあった。けれどもロボットにはそんなことは関係ない。


千堂アリシアとも交流のある根岸ねぎし右琉澄うるずも戦災孤児でしかも施設で育ったもののメイトギアが彼の情動のすべてを受け止めてくれたことで救われたのも、そういう事例の一つだった。そして右琉澄は今、他の誰かが幸せそうにしていてもそれを妬んだりはしない。何しろ今の彼にはアリシア2305-HHSアンブローゼ仕様が傍にいて、落ち込んだりしても支えてくれるのだから。


そうだ。桃香や紫音しおんや良純や右琉澄のように大変なつらい境遇にいた者も、幸せになることだってできるのである。その幸せを表現することを自重しなければならないというのは、やはりおかしいとは言えないか?


ならば、白百合2139-PB(仮)が目指すべき在り方も、それこそ反感さえ買うこともあるような<幸せそうな姿>ではないのか?


千堂アリシアも改めてそれを実感する。


ましてや今の紫音の姿をざまに貶すような社会は、決して住みやすくも生きやすくもないはずである。


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